大樹横断

黒白 黎

第1話

人はいつ、この世界がひとつしかないと信じるようになったのだろうか。

子供の頃はこの世界の他に別の世界があると空想しては想像し、その世界で活躍する場面を思い描いていた。大人になるにつれその世界は遠い昔のように消えていき、いまある世界でしか信じることしかできなくなっていた。

だけど、その考えが実は違うのだと、偶然にもそれがひとつではないと見つけてしまった。それは、たまたま空を眺めていたらこことは違う世界が空の先の先にあることを見つけてしまったからだ。

その世界はここから簡単に届くところにはないものだと分かっていながらも、こことは違う別の場所へ行ってみたいという気持ち(理由)から、ぼくは大陸横断をしているという、一団に混ぜてもらった。


一面海に広がる小さな島国アルト。行商が主で経済を動かしている。ここは小さいながらも他の大陸との橋渡しのためか港では多くの船が集まってくる。船の大きさは様々でそれを操る人たちも人種多様で、見えるものはすべて新鮮だった。

その中に『大陸横断』している一団があることを耳にした。

まあ、この世界で大陸はそうそうなく。八割が海を占めており、残りの二割は小さな島々だ。大きい島は指の数ほどない。

『大陸横断』の一団に加えてから、知らないことをたくさん聞いた。

見たこともない食べ物、知りもしなかった歴史や文化、未知なる生物たちの出会い、そして一団の仲間たち。

忘れられない宝物となった。


2年後、一団のテントの外でぼーと空を眺めていた。空は星々に光り輝いており空気が澄んでいるのかよく見える。山がなく空を一周にして見渡せるのはいつ頃だろうか。遠い昔のように思えた。

「あれは……」

たまたまだった。偶然だった。

銀河を遮るかのように七夕の川の中に現れるかのようにそれは現れた。

見たこともない大きな建物に羽が生えたトカゲが自由に空を飛んでいる。大きな樹が世界をつなぐように伸びている。こんな神秘的で美しい光景がぼくだけの世界にしたくない。そう思い、一団に声をかける。この世界がまだ知らない世界があることをこの時ばかりか眠れないほど絶頂に達していた。


「空へと伸びる樹…ね」

一団の前にぼくは団長に興奮気味に話し込んでいた。団長は胡散臭そうな顔をしながらぼくをじろじろと見つめたのちため息をついた。

「そんな与太話。誰が聞くかね」

一団はあの日のことをまるで覚えていない様子だった。

あの日、テントに向かって声をかけ、団長と仲間たちを無理やり外へ連れ出し、別世界があることに指さしたのだが、あの時の団長たちの目は久しぶりに見た星々を眺める…そんな可愛らしい素顔しかなかったのかもしれない。

別世界があることを指摘しつつも、団長たちは「嘘」とも言わんばかりに「想像豊かだ」としか思っていなかったのかもしれない。別世界があることはもしかしたら、ぼくでしか見えていなかったのかもしれない。

「確かに空は綺麗だったさ。だけど、そんなものなかったぞ。星が集まってそんな風に見えただけなのかもな」

団長はクフフと笑った。仲間たちも聞いていたようで、可笑しそうにしていた。

「ぼくは見たんだ! この目で! はっきりと!!」

肩にガッチリと手で掴まれ振り返ると身体が大きい男が掴んでいた。布を頭に巻いた怖そうな男だった。

「小僧、面白そうな話をしているな、俺も混ぜてくれ」

ニッコリと笑う男に、信じてくれるのかとぼくは心を開いて懸命に語った。

だけど、違っていた。舞い上がっていた。

男らはぼくの話を肴(さかな)にしていただけだった。

酒が入るたびに彼らは酔っ払い、ぼくの話を茶化すようになった。

ぼくの話を聞いているというよりは吟遊詩人のように唄を聞いているかのようだった。

「あれは…夢だったのだろうか…」と自分でも信じられない気持ちになっていたとき、遠くの席から誰かが大きな声で言った。

「少年よ、他に何を見た?」

「おいおい、真面目に聞くのかよ」

「そうよ、単なる子供の作り話でしょ」

一団や真面目に聞いていた男がまるで初めから真剣に聞く耳をもっていなかったことに驚いた。

「俺は、少年に聞いているんだ。そこに”樹”はあったか? と」

耳を疑わなかった。聞き捨ててはいけない言葉にぼくは頷いた。

「そうか、なら、俺と同じだ」

奥のテーブルから男がやって来た。ここでは珍しい漆黒の髪色に黒い瞳。片方は眼帯で隠している。キザともいえるようなその姿から、彼も旅行者なのだとそう思えた。

「俺の名は、M(エム)。仲間からは”マスター”と呼ばれている。少年の名は?」

「ぼくはエルム」

「そうか、エルム。これからはE(エルム)と呼ばせてもらうよ。俺らの仲間はみんな、偽名を名乗れるように頭文字で名乗る。もし、興味があったら、明日、噴水の前に来るといい」

Mの前に遮るかのように一団が囲む。

「どこの誰かか分からないが、オレたちの仲間に気安く誘うんじゃない」

「そうーだよ、おれらは『大陸横断』を掲げているんだ。船で海を渡り世界中を旅しているんだ。訳も分からない連中に仲間を売る気もない」

「エルム。私たちにとって大事な仲間よ」

「さあて、さっさと帰るんだな。誘うなら他を当たってくれ」

一団に連れられ、外へ出た。

Mは手をひらひらと振っていた。その顔は諦めたような顔じゃなかった。


散々考えたけど、どうしてもあの男(M)が気になる。

テントに戻り明日を迎える準備をしているとき、団長が仲間たちと話し込んでいるのが見えた。いつもなら気にならない。大人の会話に子供が入ってはだめだと言いつけられているからだ。

けれどこの時ばかりかは、混ざりたいと思ってしまった。

彼らに見つからないようにこっそりと隠れて耳を澄ませる。

「……そろそろヤバいんじゃないの」

「金がそこを尽きそうだ」

「私たちが働いても働いてもエルムの分まで稼ぐのはやっとだ」

「団長、あの話聞いて見てもいいんじゃないですか」

「そうよ。あの子の話を聞くのもストレスなのよ。毎晩毎晩、あんな面白くもない話を聞かされる身になってよ」

一団の女がごねるが、団長は視線を逸らした。

「団長、我々はずいぶんと仲間がいなくなりました。最初こそ七人、エルムが入って八人。仲間が多くてワイワイと大盛り上がりでしたが……ここ一年で四人にまで」

ぼくが入る前まで七人の仲間たちがいた。みんないい人だったが、みんな離れていった。最初の人は、病気により断念、次の人は結婚かなんかで立ち寄った島で離散、最後のひとりは、みんなを逃がすために囮となっていなくなった。

「……潮時か。次の町でこの一団は解散だな」

「団長!」

「団長!」

仲間が一斉に寄り添った。団長は鼻から決心していたようで動揺することも仲間から揺さぶられることも決心は曲がることはなく、澄んだ空を眺めながら悟ったような顔をして言う。

「いずれ、世界を渡り歩くにも金が要る。それに、子供だからと言って値引いてくれる業者は少ない。食料だって高くつく。もう限界なのだ。わかっている。だけど……」

涙越しにこらえる団長に男は目をつむった。

「だけど……?」

女の疑問に遮るかのように男は言った。

「息子と重ねていたのでしょ。海難事故に巻き込まれて亡くなった息子を。だから、団長は加えた」

「へ? 団長…もしかして既婚者?」

「妻は若くして病死した。その島では病が流行していた。その島から逃げるように去ったが、妻は助からず亡くなった。残された息子を大事にしていたが、それも病気が進行していて、それに気づかず……」

「あんた、物知りね。団長とそこまで仲がいいなんて驚き」

「俺は団長の親戚だからな。航海する前から交流があったからな」

「……このことはエルムには内緒だ」

団長…みんな……最悪だよ。なんで隠していたんだよ。どうして言わなかったんだよ。それじゃ決心(ケジメ)が歪むんじゃないかよ。


次の日。噴水の前で待っているMの前にぼくはいた。

団長たちには悪いことした。

船が出港したのを遠くから眺め、ぼくの変わり身として人形を置いてきていた。

団長たちは気づくだろう。けど、それは気づいても戻ってくることはない。

「決めたんだね」

「ああ、Mさん、ぼくをあなたの一団に混ぜてください!」

「エルム…この先何があっても、E(イー)と名乗ることだ。本名を明かした時点で、捨てていく。そういうルールだ!」

団長……すみません。いままでありがとうございました。

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