第17話 黒い足跡

 もうこれ以上は無理な気がした。

 こんなものを見て、何も言わず黙って一人で抱えていることは出来ない気がした。

 ずっと我慢してきたけれど、もう、夫に告げなければならない。そうでなければ、自分は壊れる。すでに、体調に異常が生じ始めている。仕事も手につかなくなりつつあるし、峻也も幼いながらも何かに気がついているかも知れない。

 今日こそ、尋ねよう。

 ハンドバッグの奥底に沈めた口紅とピアスが、とてもつもなく重い。

 だが、伝えると決心したせいか、ほんの少しだけ勇気が出てきた。

 手紙を手早くしまい、部屋へ歩いていく。落ち着いて、深呼吸して、鍵を開ける。

 手応えがない。

 鍵を解錠するときには、間違いなくその手応えとしっかりと重い音がする。それなのに、音も感触もない。

 もう、勘弁してくれ。これ以上、どんな恐ろしいことがあるというのだ。

 ドアノブを握る手が震える。

 ゆっくりと自宅の玄関の扉を開いた史織は、目にした光景に、またも立ち眩みを起こしそうになった。

 玄関の三和土部分から廊下に向かって大きな足跡が点々と黒く付いていた。それは、いかにも泥のついた長靴の跡と言った風情の、大きなそれだ。今日は一日晴天だったというのに、そんなことがあるだろうか。

 恐る恐る廊下の方を覗き込んで見る。ふと、下駄箱のドアがうっすらと開いていることに気がついた。廊下から他の部屋へ通じるドアの全てが開いている。

「・・・っ!!け、けいさつ・・・!!」

 その場で腰を抜かしてしまった史織は、バッグからスマホを取り出す。

 動転してしまって、どの番号へかけたらいいかすぐに判断がつかなかった。

「洋輝っ・・・!!洋輝っ・・・!!」

 這うようにして玄関を出て扉を閉める。そして、腰を抜かしたまま、廊下でスマホをどうにか操作した。

 電話した先は、仕事中の夫だ。

 滅多なことでは仕事中の夫に電話することなんて無い。

 過去にもほとんどした記憶はなかった。

 だから、気付いてくれれば、夫は異常事態だとわかってくれるはずだ。

「出て・・・出て・・・お願いだから・・・!!」

 ひきつった表情と声を出しながら、とにかく電話の向こうで夫の声がするのをいまかいまかと待ち続けた。

 

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