おとなりさん家(ち)の正宗くんは、嘘つき

仲町鹿乃子

第1話

 幼馴染みでご近所さん。

 同級生でおとなりさん正宗まさむねくんは賢く、しかも、性格までよい天使のような男の子だ。

 でも、そんな正宗くんにも一つだけ欠点があった。







頼子よりこ! 正宗君が来ているわよ! 下りてらっしゃい!」

 階段の下から二階の部屋にいるわたしに向かって、母が大声で叫んでくる。

「はいはいのはいよ」

 パソコンの画面に視線を固定させたまま、わたしは母に聞こえるはずもない小さな声でそう返した。

「鈍感娘、返事は? 聞こえているの?」

「はい! 聞こえてますっ!」

 切りのいいところでワードの保存を済ませると、わたしはパソコンの電源を落とした。

「もう、なんなのよ。正宗、正宗って」

 ぶつくさと文句を言いながら、わたしは洋服タンスを開ける。

 いくら梅雨の明けた七月の夜とはいえ、下着同然のタンクトップに短パン姿で出ていくのはまずいだろう。

 わたしは二十七歳の女性としてふさわしいと思われる服装――丸首のブルーと白のチェックのシャツと麻のパンツをタンスから取り出し履いた。足は、裸足のままでいいだろう。

 そして、無造作に結んでいた肩までの髪をほどくと、そのまま指ですいた。


 正宗はおとなりさんの志村しむら家の長男で、わたしの同級生だ。

 わたしと正宗は、個人的に親しい間柄であるとは言えないけれど、幼稚園から高校まで一緒だった縁で、友だちという言葉よりは、幼馴染みとかご近所さんといった言い回しが合う、ぬるい関係だった。

 ぬるいながらもちゃっかり者のわたしは、家の近さといったアドバンテージを最大限にいかし、ことあるごとに彼のノートを借りに行った。

 そんなわたしに対して、心根の優しい正宗は嫌がることなくノートを差し出し、なんなら丁寧にわからない箇所も教えてくれた。

 わたしが正宗と同じ高校に入学できたのも、彼の力が大きいと思っている。


 正宗は社会人となったあとも、わたし同様に自宅暮らしを続けている。

 そのため、回覧板や町内会の草むしりなんかも、旅行好きで不在がちな彼のご両親の代わりに参加していた。

 つまり、ご近所での正宗の評判はすこぶるよい。

 幼いころはその聡さから、「聖徳太子」なんて呼ばれていた。

 すごいな、「聖徳太子」。

 お札(さつ)になった人だぞ。


 そして、そんな優秀な正宗の比較対象者として引っぱりだされるのが、同じ年のわたし。月瀬つきせ頼子なのであった。

 母はわたしを「鈍感娘」なんて呼ぶけれど、こんな優秀な幼馴染み兼おとなりさんがそばに住んでいたのなら、「正宗」といった存在に対して鈍感でなきゃやっていけないのだ。


 想像してほしい。


 常に自分ではなく、そのとなりにいる誰かが褒められる状況を。

 そんなのが二十年以上続くのだ。

 ほら、嫌になったでしょう。


 ぐれて「不良娘」にならずに、自分を守るために「鈍感娘」となったわたしを、母は褒めてくれてもいいんじゃない?

 でも、そんな事情は、正宗にとってはあずかり知らないことだけど。


 正宗が自分の優秀さを鼻にかけ、わたしに害をなしたり、圧をかけてきたりしたことはない。

 一度だってない。

 性格ヨシ、顔ヨシ、スタイルヨシ。

 嫉妬さえできないほどに、同級生でおとなりさん家ちの正宗くんはいい子なのだ。


 そんな正宗が勤務する会社は外国との取引が多いようで、ここ二年ほど彼も頻繁に海外出張に行くようになった。


 これで正宗とも顔を合わせずにすむ。


 ほっとしたような、少し淋しいような気持ちになったのは、一瞬だった。

 なんと彼は、毎回帰国するたびに我が家にお土産を律儀に持参するようになったのだ。

 洋酒やお菓子といったごく普通のものから、なにを表しているのかわからない置物や、呪われそうな人形。読めない言語で書かれたTシャツに、奇抜な色遣いの帽子。

 世界は広いとは言うけれど、正宗の選んだお土産を見るたびに、ほんとうに世の中には、まだまだ知らない世界があるのだなと感心した。


 そして、その不思議なお土産を嫌いじゃないわたしがいる。

 むしろ、わたしはそういったものを面白いと思ってしまうのだ。

 というわけで、わたしの部屋の一角は、正宗からの世界不思議土産物ギャラリーと化していた。


 正宗が来ると、母はいつでもウエルカムで迎え入れた。彼に家にあがっていきなさいと言い、ご飯を食べていないと知れば、そりゃ大変だと用意もした。

 そんなこんなで、わたしとも顔を合わせたり、合わせなかったり。

 忙しいはずの正宗なのに、気が付けば我が家にいたりする。

 そんな日常だった。

 となりの家の息子に対して、しかも成人した男性でもある正宗に対して、いくらなんでもかまい過ぎじゃないかと思わなくもない。

 けれど、母と正宗のお母さんは仲が良く、特にあちらからNGも出ていないようなので、この件についてはわたしが口を出す問題でもないだろうと黙っている。


 わたしは母が正宗を家にあげようが、食事をふるまおうが、なにをしようがかまわないのだ。


 問題なのは――そう、母の態度だ。


 たとえば、わたしが友だちと遊んでいたために、お土産を持って来た正宗とすれ違うと「正宗君がかわいそうだ」と、文句を言う。

 なんで、わたしに会えないと正宗がかわいそうなのか。

 なぞだ。

 はっきりいって、意味がわからない。

 そう尋ねるたびに「鈍感娘」なんて言われてしまう。

 理不尽極まりない話である。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る