第2話 4月29日、金曜。昭和の日。


 2022年、4月。風見は炎上した。物理的にではなく社会的に。


 大学3年生になって間もない風見は、当時近所のファミレスにてアルバイトをしていた。


 店はそこそこに忙しいし、特に休日なんかは扱いに困る客が来店したりだとか、面倒事と厄介事に囲まれた職場ではあったが、他にやりたい仕事も無かった為、惰性的にずるずると働いていた(もちろん業務自体は及第点にこなしていた訳だが)。


 そんな中、高校を卒業したてで、新たに入ってきた男の子が居た。下の名前は全く覚えていないが、苗字は鍋…なんとかだった筈だ。便宜上、Nと呼ぶことにしようか。


 Nは愛想と都合の良い男の子だった。言われたことは、言われた通りにやろうとするし、適当に褒めたら満面に笑顔作るし、業務中にインスタか何かをチラ見してたことを指摘したら、それからやらなくなった。


 2週間程度で、キッチンのマニュアルも、閉店後の清掃も、担当ではなかったが最低限のホールの対応とか、あとはレジ打ちも…まぁ監督役が付いてなくてもこなせられる程度にはなり、視られ続けるのもうざいだろうなぁ、という思いがあったことから、風見はNに密着することがなくなった。



 ――それ、が間違いだったのだろうか?



 4月29日、金曜。昭和の日。Nがファミレスで働き始めてから1ヶ月程度が経った時のことだった。


 その日は祝日ということもあって、店はそこそこに忙しかった訳だが、日付を跨いだ直後くらいはさすがに客足も落ち着いた。


 そうなると、当然従業員だって減る。ホールに居たスタッフも、バイトも、キッチンに入る人間も少なくなって。月末だから店長はスタッフルームでExcelぶっ叩いていた。


 風見のシフトは18時から0時だった。今は0時半。入れ替わりで来る筈の30歳前後のおっさんはまだ顔を出さない。仕方なく風見はキッチンに立っていた訳だが、大してやることもなく、ただ時間を持て余していた。


 1時手前くらいに店長がキッチンへと顔を出して、「ごめんね。もう帰っちゃっていいよ」なんて言ったものだから、風見だってすぐ頷いて帰りの支度を整えた。


 

「N君。店長が1時間くらいしたら顔を出すみたいだから。それまでキッチンの方、一人でも大丈夫?」

「おーいけますいけます! 暇なんで!」


 暇だからお前一人なんだよ。という心の声は当然留めて、風見は「じゃ頼む」とぶっきらぼうにファミレスを後にした。


 後にして、夜光虫となり損ないヤンキーが群がるコンビニへと入った時に風見は自身の失態に気がついたのだった。


「…財布忘れた」


 幹線道路沿いの道を引き返してゆく。距離にして5分、目視できるまで0分。くっきりとした黄緑色のうるさい看板を目指し早足にて戻った。


 裏口の無機質な金属扉をぐわんと開き、スタッフルームに顔を覗かせる。振り返った店長の眉は簡単に上がった。


「どしたの?」

「財布忘れてしまってて」

「あちゃー! 惜しかったなぁ。先に気づいていたらぁ」


 大袈裟に仰け反った店長が懐に何かを仕舞い込むような素振りを見せたのだった。


「犯罪すよ」

「店長権限だ」

「めちゃくちゃ言うすね。 ……そういや、N君って上手いことやれてます? キッチンに一人、初めてだから」

「ん? あぁーまー大丈夫じゃない? ちょっとしばらく様子見れてないけど、最低限の事は出来るからさ。僕こっちで忙しくてね」


 店長が指さしたExcelの画面には格子状のセルと、細々とした数字の羅列が並んでいた。会計関連はよく分からないが、たぶん従業員の給料とか、光熱費の計算をしているのだろう。


 風見は小さく会釈をした。


「上がり際にキッチンの様子だけチラ見してきます」

「あーりがと。助かるよォ」

「今度なんか奢ってくださいよ」

「いいぞいいぞー。ハンバーグステーキでいいね?」

「うっわ絶対に廃棄品だ」


 たはは、と今日日きょうび聞かない笑い声を上げた店長。風見は今度こそスタッフルームに背を向けたのだった。


「お疲れ様す」

「ああ、お疲れちゃん」


 このファミレスは少し入り組んだ構造をしている。テナントがもっと別の…ライブハウスかなんかのために建設されたモノらしく、バックヤードの廊下が異様に長い。直方体の建物の、外周を渦巻きにぐると回るイメージで、そのように迂回をしてやっとキッチン、ホールへとたどり着くのだ。


 防音の施された長廊下を歩く。春先にも関わらず肌寒い空気をたっぷりと溜め込んだ長廊下。スニーカーだから、あまり足音は響かない。靴底のゴムが水っぽい地面と擦れてシャバ、と音を鳴らした。



「お前バッカ! くくくハッハッハッハ!」

「やっばこいつ! えぐいってお前さぁ!」

「聞こえる聞こえる聞こえるから! カカカ……聞こえるって!」



 ――嫌いな人種の笑い声が聞こえた。無人の、長廊下の肯定的な不気味さを完全に殺す、下品な陽気である。



 (客か……? キッチンやばい?)


 声だけを聞いて風見が考えたのは、なり損ないヤンキーの宴会とか、或いはノンデリ酔っ払いの喧嘩とか、はたまたそのような者共によるスタッフへのだる絡み…これらの類であった。


 軽く舌打ちをした風見。いくら関わり合いたくない人種とはいえ、ココは職場である。みすみす見逃す訳には行かない…なんて言い方は正義のヒーローすぎて痛いとは思うが、まぁ見逃せないのは事実だった。靴をシャバシャバと鳴らしながら、風見はキッチンルームへと身体を乗り出したのである。



 ――バカッターと呼ばれる人種をこの時初めて目撃した。控えめに言って、あいつら全員死ねばいいのに、今の風見はそう思う。


 

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