おはよう③
そこから彼女は僕に話しかけてこようとするけど、朝の女子に毎回引っ張れてどこかへ行き、一人で帰ってくるを繰り返していた。帰ってくる度に彼女は少しだけ嫌そうな顔をしていた。
「琴くん、私お昼は絶対屋上で食べるからね」
四限目が始まる前、彼女から謎の宣言を受ける。この宣言は朝の女子から逃げる、という意味も含まれているのだろう。小説から目を外して、彼女の方に視線を移す。
「うん、頑張って」
僕はただ一言彼女に送る。
そして、四限目が終わって朝の女子が動き出す。彼女はそれを察知して、いち早く教室から出ていく。その様子を見ながら僕は猫と鼠みたいだなと呑気に思っていた。
呑気だなと思って見ていたが、朝の女子が彼女の後を追っていこうと足を進めたため、僕は前に立ち塞がる。
「ちょっと、どいてよ」
「えっと、僕もこっちに用があって」
女子の前に立ち塞がったのはいいが、こういう役回りはいつもしないためどうしたらいいか分からなく右往左往する。そもそも、何でこんなことをしてしまったのだろうか。荒波を立てずに視線を集めない、穏やかな学校生活を望んでいた僕が、敵に回したら面倒くさそうな女子の前に立ち塞がっているのだろうか。
彼女のため?自分のため?一体僕は何のために、目の前にいる女子に楯突いているのだろうか。
「どうでもいいから、早くどいてよ!」
中々どかない僕に朝の女子の語調が強くなる。明らかな敵対心だ。当然っていたら当然の敵対心であり怒りであろう。急にクラスの知らない奴が自分の前に立ち塞がって、行く道を邪魔しているのだから。
流石に潮時だと思い僕は廊下をちらっと横目で見て、彼女の姿が完全にないことを確認してから退く。
「あ、すいません。今、どきますんで」
「最初からそうしなさいよね」
朝の女子はやっと退いた僕を横目に見ながら、彼女のあとを追っていく。自分の席に戻って、僕も彼女の後を追う。
屋上に行くと、リスのように口いっぱいにご飯を詰め込んだ彼女がフェンスに寄りかかっていた。
「ふごご」
「口の中無くなってから喋りなよ。何言ってるか分からないよ」
「琴くん遅かったね」
「まあ、色々してたら遅くなった」
「ふーん、あっそ」
「君から聞いてきたのに興味無さそうにすな」
僕は彼女の横に失礼して弁当を食べ始める。
さっきの人は何処を探し回っているのだろうかな。ここは絶対に分からないだろうし、どこを回ってるんだろうかな。屋上は入れない、というか入ってはいけない場所なので絶対見つからない安心安全の聖域だ。
「……月海さんはさ、あの人の子苦手?」
僕は思いきって彼女に聞いてみる、あの女子のことを。
「あの人?あぁ、
「うん」
聞かれた彼女は、そうだね。と前置きしてから喋り始める。
「苦手かと聞かれたら、苦手かな。強引にどこかへ連れて行くしさ。でも、別に大嫌い!って訳でもないんだけどね。まだ一日しか喋ってないし、どんな人かも分からない。それで決めつけるのはおかしいでしょ?私はまだ色々な方面から富澤さんを見てない。それで決めつけるのは嫌なんだ」
「なるほどね。変な事聞いたよ、忘れて」
「嫌だね、忘れない」
彼女の小悪魔の様な笑みがフェンスの影に重なって僕をバカにする。
「琴くんって夏休みの予定って何かある?」
「いや、これといって特にないよ。強いて言うなら、宿題を終わらせるぐらいかな」
「ふーん、そう。真面目だね」
「また興味無さそうに」
彼女は青く澄み渡る空を仰ぎながら、今日なさそうに返事をする。
「ねね、ここって風景いいね」
「屋上だからね、町が全部見えるってわけじゃないけど綺麗だよね」
学校の屋上は町が一望できる、という訳では無いがその風景は格別に美しい。人が息づいて、日々を過ごしている町並みが眼前に広がっていて、僕達がちっぽけな存在に思える。夏には緑に染る町が見られて、秋には紅葉でオレンジ色に染る町が見られて、春には桜でピンク色に染る町が見られる。
「私、この町好きなんだ」
「でも、何もないよ」
この町は風景は確かに綺麗だが、遊べる場所が少なすぎる。精々がスーパーでとてもじゃないが、楽しい町とは言えない。都心のような、屋内型遊園地もなければ、屋外遊園地もない。
だから、若い人達は都内へ希望と憧れを持って旅立ってしまう。残るのは、まだ小さい子供とお年寄りだけ。そんな町を彼女は好きという。
「何も無くていいんだよ。何かあるからいい町なんじゃないよ。別に遊園地が無くても、カラオケがなくても、ゲームセンターが無くても楽しければいい町なんだよ。思い出が全てを補完してくれるよ」
「ふーん」
「それって私の真似?殴るよ?」
「暴力は反対派なんだ。やめてくれ」
「ふふ、嘘だよ。でも、次やったら殴るからね」
彼女は町の風景の美しさをかき消すような言葉を吐く。
「後さ、もうひとつ聞きたいことがあってさ聞いてもいい?」
「うん、いいよ。何でも聞いてよ」
「朝の時さ視線がこっち集まったでしょ?月海さんはさ、わざと大きい声出してさ挨拶したけど、あれって僕が視線が苦手だって言ったから?」
「うーん、バレちゃったかあ。そういうのはバレないでやるのがカッコイイから、バレたくなかったなあ」
腕を組んで彼女は少しだけ頬を赤らめて恥ずかしそうにする。
朝、彼女が大地を揺るがすような声を出したことにずっと疑問を持っていた。人の事には干渉せず、自分の道行くみたいな人間だと思っていたから、こんな風に誰かを気遣うとは思っていなかった。
彼女とは出会って二日なのに、勝手にこんな人だと決めつけていた自分を恥じる。
「……なんか、ごめん」
「え?何が?」
「いや、月海さんは自分の道を行くような人間で他人の事とかどうでもいいと思うような人間だと思ってたからさ」
「え〜何それ酷い」
「月海さんの言う通り、全然喋ってないのに何かを決めつけるのは駄目だね」
「そうだよ。でも、琴くんは悪いと思ったら素直に謝ることができるから大丈夫だよ」
「はは、そうかな」
僕は彼女の励ましの言葉を素直に受け取れなかった。
僕は人を疑って、人を信じないような性格の人間で言ってしまえば、最悪な性格の人間だといえるだろう。
心にはいつも雨雲があって、雨が降り注いでいる。太陽は昔に消えてしまって、今は月明かりも射さない暗い心。そんな僕の心に彼女の善意たっぷりの言葉は心に深く突き刺さる。
「そろそろ、教室に帰ろうか」
「うん、そうだね」
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