第二章 蕾

おはよう①

 彼女とのメッセージを終えた僕は深い眠りについていた。

 カーテンから漏れ出す太陽の光。外から聞こえる雀の鳴き声で目を覚ます。体にまとわりついている布団を剥がして、洗面所に向かう。

 まだ寝ぼけている顔と目を起こすために水を一思いにかける。タオル入れから、ふわふわの柔軟剤のいい香りがするタオルを取りだして顔を拭く。


「琴〜起きたかあ!ご飯出来てるぞ〜!」


 リビングから父さんの声が聞こえる。拭き終わったタオルを洗濯機の上に置く。

 リビングに行くとクマ柄のエプロンをした父さんはスーツを着て、会社に行く準備は整っていた。


「おはよう、父さん」


「おはよう。あと味噌汁入れるだけだから待っててくれ」


 椅子に座る。父さんが味噌汁を運んできてくれて、僕は手を合わせてご飯を食べ始める。


「そうだ、琴。今日父さん大事な会議があって遅くなる。昨日作ったカレーが余ってるから先に食べててくれ。ごめんな」


「いいよ、全然。会議頑張ってね」


 家族との時間を何よりも優先する父さんだが、月に一回ぐらいは会議で夜遅くに帰ってくることがある。その度、父さんは心底申し訳なさそうな顔をするのだが、仕事なので仕方ないと思っている。


「ご馳走様でした」


 朝ごはんを食べ終えて、食器を片付ける。二階に上がって、パジャマから制服に着替える。もう一度、洗面所に行き歯を磨く。顔を拭いたタオルで口を拭いてカゴに入れる。

 ドタバタとリビングから音が聞こえる。父さんがそろそろ会社へ行く合図だ。


「それじゃあ、琴。父さん行ってくるから」


「うん、気をつけてね」


 父さんは昨日と同じように慌しく家を出ていく。そして僕も昨日と同じように家を出る。

 今日は最高気温は更新しておらず、最低気温二十度、最高気温二十五度と夏にしては過ごしやすい気温だった。友達とかけっこしながら、横を通り過ぎていく小学生は夏を感じさせる。

 緑の木漏れ日は、夏の避暑地で砂漠の中のオアシスのような存在。そんなオアシスに見たことがある人影が。

 その人影はこちらを見ると、元気に手を振り始めた。


「あっ、琴くん!おはよう〜!」


 人影の正体は彼女だった。木漏れ日に彩られて緑のベールを被った彼女は視線を釘付けにしていた。


「どうしてここにいるの?」


「昨日さ、私と琴くんぶつかったじゃん?だから、ぶつかった場所にいたら会えるかなって思ってさ」


「僕を待ってたってこと?」


「うん、そうだよ。何、嬉しい?」


「早く学校行こうか」


「嬉しいって言ってくれてもいいじゃない」


 嬉しいと聞かれた僕は視線から逃げるために嬉しいと言わずに、足を学校へ歩み始めさせた。

 彼女はベールがなくとも、美しい。だから、いつも視線がまとわりついていて僕は気が落ち着かない。

 ソワソワ、と肩を揺らしているとそれに気付いた彼女が声をかけてくる。


「まだ視線気になる?」


「うん。前も言ったけど一人でいることの方が多いから、誰かに見られるのは慣れてないんだ」


 自分が、僕が注目されていないことは重々分かっているつもりだ。だけど、一度染み付いたものはなかなか取れなくて、心の底にこびりついてしまう。この染みは抜けることはなくて、多分一生付きまとってくる。僕の首を締め付けるようになる。


「なるほど。琴くんにいいこと教えてあげるよ。琴くんはね、誰かと喋っているとそんなこと気にしなくなるようだよ」


「どういうこと?」


「昨日ね、私と琴くんよく喋ってたでしょ?その時見られてたの知ってた?」


「え、いや全然知らなかった」


「ほらね。だから、大丈夫だよ。私と話してればそんなの気にしなくなってくるよ。私に見惚れて、視線なんか気にしなくなってるだけかもしれないけど」


「それは無い」


 彼女の言う通りかもしれない。僕は彼女と話している時は、視線を気にしたことがない気がする。いつもは必要以上に気にして、一人でいようと努めていたのに何故か彼女と話していると、それらが全部どうでもよく思えてしまえている自分がいたのかもしれない。


「え〜、なんて奴だ。でも、どうしてなんだろうね?」


「分からない」


「まっ、いいか。学校行こ、遅刻しちゃう」


 この疑問に今は答えがない。いつか見つかる時が来るのだろうか。

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