広島市内を・・・
8時15分の黙祷の後、元安橋の麓にあるレストハウス(旧・大正呉服店)に行き小休止をした(涼んだ)。リニューアルしたレストハウスだったが被爆建物である。そこで、約10分程涼んだ後、平和記念公園方面から元安川の河川敷に向かい、河川敷の階段を下りて川辺に、今は、ごく普通の川辺だったが、77年前は、原爆に被爆した人達が、水を求めて川に飛び込み生き耐えた人達の遺体が数多く見られたに違い無い。まさに地獄絵図だったのだろう。
次に向かったのは、島外科医院の前にある爆心地だった。そこに着くと数人の人集りが有った。そこから上空を見上げると、曇り空だったが77年前のこの日は、快晴でかなり暑い日だったという。黙祷から30分以上経ったものの、この上空600mのところで、投下された原爆が炸裂して、凄まじい閃光と巨大な火の玉は広島市内を襲ったのだった。その後は相生橋を渡って、本川小学校へ。被爆建物の一つである本川小学校、一部の建物が平和資料館になっているようだ。名前を記入して、中に入る事ができた。地下に入ると広島産業奨励館(原爆ドーム)のコンクリートの一部等が置かれていた、そして原爆投下直後の広島市内、中島地区のパノラマ模型が、その上には、原爆が炸裂した瞬間と思わせる、赤い玉が吊るされていた。1階は、原爆投下前の本川小学校の写真等が展示されていた。
そこから、再び市電に乗り込んで、江波という場所に向かった。ある被爆建物を見に行こうと、思ったのだが・・・。
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