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「ははっ、それはよかった。おっと、もうこんな時間か。次は昼食にしようか。とは言っても昼時だし、どこも混んでるかな。

 おっ、ハンバーガーショップがあるな。ここなら客の回転が早いだろうから、すぐ食べられるよ」

「ハンバーガー……?」

「どうしたんだい。ジュリエットは、ハンバーガーは嫌かい?」

「いえ、別に……」

 先輩には、そんなことありません、とつい返してしまったけど。好きか嫌いかの前に、こういうジャンクフードは体に悪いから、そもそも食べたことがない。

 ああ、そうだ。以前のオレは、食べる物一つにしても気を使っていた。だけど、もうその必要もないんだ。

 これからはジャンクフードだろうが砂糖をたっぷり使ったケーキだろうが、なんでも自由に食べられるんだ。

 注文したものが届くと先輩は早速包み紙を開け、がぶりとハンバーガーにかじりついた。

 先輩、見た目はカッコイイだけある。食べているだけなのに絵になるな、なんて、つい先輩のことを見てしまっていると、オレの視線に気付いた先輩が、

「ジュリエットは食べないのかい?」

と聞いてきた。

 オレは慌てて首を振ると先輩を真似て、ハンバーガーにかじりついた。

「あ……。おいしい……」

 ハンバーガーだけじゃなく、ポテトも油と塩がたっぷりで体に悪そうだけど、そのせいだろうか、とてもおいしかった。

 食べ終わった後はショッピングモールの中を見て回って、それからゲームセンターにも行った。先輩には、できないことはないのか。レースゲームもガンシューティングゲームも、先輩と対戦したゲームは、ことごとく負けてしまって見事全敗だった。

 こんな風に遊び回るのは初めてで。いつの間にか時間は過ぎ去っていて、日が暮れていた。そろそろお開きだろうか。

 先輩とのデート……なんかじゃなくてお出かけは、普通に楽しかったと言えば楽しかったかな。友達と遊んでるみたいだったし。

 なんて一人しめくくっていると、先輩はなぜか駅には向かわず、

「ジュリエット、最後に連れて行きたい所があるんだ」

 そう言ってオレの手をつかむと引っ張り出した。

 最後——、そう言って先輩に連れて来られた場所は、

「ここは……」

 どうして先輩は、オレをここに連れてきたんだ。一体なんの意図があるんだ。

 オレは呆然とその場に——、競技場に突っ立ってることしかできない。だけど、どうにか顔を先輩に向けると、先輩は真剣な眼差しを携えていた。

 先輩の唇がゆっくりと上がっていき、

「切戸樹里——、陸上の短距離選手で、その実力は全国レベル。数々の大会でジュニア記録を更新し、中学生ながらも将来有望志されていた。が、昨年、地震が原因の飛来事故に遭い左足を負傷。それ以来、フィールドに姿を見せなくなった……」

 なっ……、先輩、オレのことを知って……。

 一体いつから、それとも初めから?

 夕焼けを背景に先輩は、にっと不敵な笑みを浮かばせて、

「もう一度勝負だ」

「勝負って……」

 先輩は、なにを言い出すんだ。勝負だって? なんのために?

 訳が分からず、いや、展開についていけないオレをだけど先輩は無視して、一人すたすたとトラックへと向かう。

 先輩はその場でストレッチをしながら、

「僕に勝てたら、あの契約は白紙に戻そう」

と言った。

「あの契約って……」

「君と再会した日に交わした、あの約束のことさ。この勝負に君が勝てば、約束は無効にしよう」

 えっ……。それってつまり勝負に勝てば、演劇部を辞められる。ジュリエットを演じなくてよい。それに、こんな風に先輩に振り回させることもなくなるということか。

 ならばこの勝負、

「分かりました——」

 受ける以外に選択肢があるだろうか。いいや、ない。前回は油断したから負けたけど、初めから本気を出せば、たとえこの足でも先輩に勝てる。

 オレは先輩の隣に並ぶと軽く準備運動をし、それからゆっくりと腰を下ろす。判定は、近くにいた人にお願いした。

 深呼吸を繰り返し、極限まで神経を研ぎ澄まさせる。

 こんな気持ちになるなんて、またトラックに立つなんて……。

 不意に襲ってきた懐かしさについ飲み込まれそうになるのをどうにか堪えて、オレは前だけを見据えさせる。

 まっさらな意識の中——、不意にパンッ!! と乾いた音がオレの鼓膜を、脳を、内側を、神経一本、一本を大きく震わせる。

 オレは、この音が好きだった。地面を蹴りつける、この感触が好きだった。頬をなでる湿った風が、好きだった。極限にまで達した先に見える風景が、大好きだった。

 全部、全部、——宝物だった。居場所だった。唯一だった。全てだった。代わりなんて——、そんなもの、どこにもなかった。

 ああ、そうだ。あそこは、オレの——……。

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