Nuits blanches à Montmartre

Phantom Cat

1

「ヒマっすね、店長」


「そうだな」


 俺がバイトに入って二年になるが、その間何度このやり取りを繰り返しただろうか。開店してから三時間経つというのに、未だに今日のお客さんはゼロなのだ。


 リユースメディアショップ、五月雨堂さみだれどうの平日の昼間は、大体これがデフォルト。そもそも映像コンテンツはネット配信が当たり前の今時、わざわざ円盤メディアを買うような人は少なくなっている。それでも、非常事態宣言が出ていた頃はそこそこにぎわっていた。といってもメインの客はやはりネットに疎い中高年なのだが。


 一般客から買い取ることもあるが、ウチの主力商品はレンタルアップDVDだ。よっぽどの名作じゃない限り、映画のDVDがレンタルショップの店頭に並ぶ期間は限られている。その期間が終わって店頭から取り除かれたのが、レンタルアップDVD。うちの店ではそれらをタダ同然で引き取って売っているわけだ。もちろん盤面を研磨して傷を消したり、レンタル用のケースから通常のDVD用パッケージに入れ替えたり、といったメンテナンスをかけてはいるが。


 しかし、ぶっちゃけレンタルビデオは今や斜陽産業だ。個人経営の店はほとんど淘汰されたし、大手のチェーン店だってどんどん消えている。そりゃそうだ。だってネットで全部済んじまうんだもの。俺も子供の頃はレンタルビデオ店によく行っていたが、最近は全く足を運んでいない。そして、そのおこぼれを拾っているようなウチの店が、儲かるはずがない。それでも潰れずにいるのは、店長が趣味というか道楽で経営しているからだ。


 店長の実家は土地持ちで、不動産所得があって働かなくても食っていけるらしい。全く羨ましい限りだが、彼は普通に大学を出て企業に就職した後、すぐに脱サラして全国チェーンのレンタルビデオ店のフランチャイズを始めたという。俺が子供の頃に通っていたのが、まさにその店だった。しかし5年前に時代の流れでそのフランチャイズが撤退することになり、店長は独立して今の店を始めたのだ。

 

 アラフィフだというのに、店長は未だに独身。髪には白髪が目立つようになってきたし、最近腹も出始めたようだ。家がお金持ちなんだから、結婚しようと思えばできたんじゃないか、と思うのだが……


 その時だった。


 玄関の自動ドアが開き、チャイムが鳴る。


「いらっしゃいませ」


 反射的に声を上げて玄関を振り返ると、そこにいたのは、落ち着いた服装のおばあさんだった。七十歳くらいだろうか。背はあまり高くない。俺に気付くと、おばあさんは顔をくしゃくしゃにして笑顔を作った。


「すみません……ちょっとお伺いしたいのですが……ここに、モンマルトルの映画はありますかねぇ?」


「モンマルトルの映画、ですか?」


 モンマルトルって……フランスの地名だった気がするけど、どこだったかはイマイチわかんないな……


 俺はカウンターの店長を振り返る。


「店長、モンマルトルの映画って、知ってます?」


「ああ、『アメリ』、かな」


 さすが。映画好きが高じて会社を辞めてレンタルビデオ屋の店長になっただけのことはある。こういうのがすぐ出てくるのは素直にすごいと思う。


「いえ、アメリカじゃなくてモンマルトルなのですが……」と、おばあさん。


「ああ、すみません。アメリカじゃなくて、『アメリ』っていう題名の映画です。モンマルトルが舞台の映画ですよ。主人公がアメリっていう女の子でね」と、店長。


「アメリ……ですか……うーん……なんか、違う気がしますがねぇ……」


 おばあさんが首を傾げた、その時。


 再びチャイムが鳴り、入ってきた人物に……俺は目と心を奪われた。


 俺とあまり変わらない年格好の女性。アンダーポニーテールの髪に整った顔立ち。スウェットにデニムというラフな格好だけど、そこからも十分スタイルの良さがうかがえる。


「あ、いたいた。もう、おばあちゃん、勝手に出歩かないでよね。心配したんだから」


 その女性はおばあさんにつかつかと歩き寄ると、少しだけふくれっ面になる。おばあさんの孫娘なのか……?


「あら、メグ……ごめんなさいねぇ」彼女に振り返ったおばあさんが、きまり悪そうな顔になる。


「すみません、祖母が無理なお願いをいたしまして……」メグ、と呼ばれた女性は俺に向かってペコリと頭を下げ、すぐに姿勢を戻して続けた。「なんでも、昔ここで借りたビデオが、おじいちゃんとの思い出の映画だそうで……でももうレンタル屋さんじゃないですし、三十年も前の話ですから……そんなビデオ、もうないですよね?」


「タイトル、わかります?」店長だった。


「それが……わからないんですよ。モンマルトルのお話、としか……」と、メグさん。


「うーん……三十年前か……アメリは2000年代だったはずだから、ちょっと違うなぁ……そもそも、その頃はまだ VHS の時代だからなぁ……」


「わたしも色々調べてみたんですけど、どれも違うらしくて……」


 メグさんが困り顔になる。こういう表情もかわいいなあ……


「もし、昔のレンタルの履歴が残っていれば、名前から何を借りたか調べることはできますか?」


 メグさんがそう言うと、店長は顔をしかめて首を横に振る。


「無理ですね。ウチはチェーン店だったので、そういう履歴はウチには残らないようになってるんです。本部には残ってるかもしれませんが、もうウチはチェーンから外れてるので、アクセスできません」


「そうですか……せめて何を借りたかさえ分かれば、って思ったんですが……」


 メグさんの困り顔に、さらにブーストがかかる。


「ま、ちょっと時間はかかるかもしれませんが、ウチでも調べてみます……」


「ダメです!」


 店長にかぶせるように、おばあさんが大きく声を上げた。


「え……?」


「あと三日……私がまだ生きている内に……どうしても見ておかないと……」


 おばあさんが沈痛な表情になる。


「え、ええ?」俺と店長が茫然としていると、メグさんが呆れ顔に変わる。


「もう……またそんなこと言って……先生も成功率が高い手術だから、大丈夫だって言ってたじゃない」


「でも……万一ってことも、あるじゃないの……」おばあさんは相変わらずうつむいたままだ。


「あ、あの……どういうことですか?」俺がメグさんに問いかけると、彼女はニッコリして応えた。


「おばあちゃん、三日後に入院して心臓の手術を受けることになってるんですよ。と言ってもカテーテル入れるだけなんで、難しくないし成功間違いなしって言われてるんですけどね、おばあちゃん手術なんて受けるの初めてなもんだから、怖がっちゃって……天国のおじいちゃんに会う前に、思い出話ができるようにもう一度あの映画を見たい、なんて言って聞かないんですよ。おじいちゃんに会うのはまだまだ先の話だから、手術が終わってからでも十分だって言ってるんですけどね……」


「そうだったんですか……」


 だとしても、なんとかしてやりたいよな……


 俺が店長に視線を送ると、彼はニヤリとして言った。


「わかりました。三日の内になんとかしましょう。連絡先教えてもらえますか?」


「あ、はい。LINE でいいですか? わたしが一番よく見てるのは Discord なんですが」と、メグさん。


「……その辺は俺はよくわからないから、十夢とむくん、連絡先交換してもらえる?」


「え、俺っすか? 俺でいいんすか?」


 メグさんをちらりと見ると、彼女はニッコリしてうなずいた。


「ええ。よろしくおねがいします」


 ……ナイス店長! さり気なくメグさんの連絡先をゲットだぜ!


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