第24話

翌日彼が目を覚ますと、時計の針は既に12時を指していた。彼は大きくひとつ伸びをして寝ぼけまなこをこすった。普段布団で寝ることに慣れていないせいか、腰の辺りには何となく違和感があった。

階段をきしませながら下の階へ降りて広間をのぞくと、そこは昨日の賑やかさが嘘の様に静まり返っていた。居間では、叔父夫婦の末っ子の壮太が一人でテレビを見ていた。


台所へ入ると、母が叔母と一緒に昼食の準備をしているところだった。

「おはよう!」と彼が声をかけると、母は炊飯器からご飯を盛りながら振り返り、

「もうおはようって時間じゃないでしょ。」と言って笑った。

「お父さん、さっき帰ったわよ。」

彼が居間の窓から駐車場を見ると、父の車はもうそこにはなかった。明日は月曜日なので早めに帰ったのだろうと彼は思った。


その後、彼は壮太の遊び相手をして午後のゆっくりとした時間を過ごしていた。壮太の持っていた戦隊ヒーローのグッズはどれも精巧に出来ていて、自分が子供だった頃から比べるとずいぶん進歩したものだなと彼は感心してしまった。気が付くと、彼は童心に帰って夢中になって遊んでいた。

夕方ごろになると、壮太は遊び疲れたのか彼の隣で寝息を立て始めた。彼はその様子を見ながら、静かに「潮騒」の続きを読んでいた。西日に照らされた壮太の顔は、ほんのりと紅潮して見えた。


誰かが入って来る足音がしてふと顔を上げると、目の前には浴衣姿の母が立っていた。

「近くでお祭りをやっているみたいだから、壮太も連れて行きましょう。」と言って、母はにっこりと笑った。

彼が母の浴衣姿を見るのは、久しぶりのことだった。紫のあじさいが描かれたその浴衣は、松岡さんが着ていたものと比べるとずっと落ち着いて見えた。彼が壮太を起こして立ち上がると、母は微笑んで彼に団扇を一つ渡した。


夕闇が迫る中、彼は叔父夫婦や壮太と一緒に夏祭りの会場へと向かった。市の外れにある会場に着くまでの間、両側には長い田んぼ道が続いていた。海側から山を越えて差し込んでくる夕日の光が、田んぼをオレンジ色に照らし出していた。

会場が近づくにつれ、遠くの方に聞こえていた太鼓や笛の音が段々と大きくなった。その音に呼応するように、彼の手を握る壮太の手にぎゅっと力が入ったのが分かった。子供の頃に感じていたお祭りの時の高揚感が、彼の中でも少し蘇ってきた。


夏祭りの会場には、彼が想像していたよりずっと多くの人が集まっていた。辺りはすっかり暗くなり、屋台や提灯の光がはしゃいだ人たちの顔を照らし出していた。

彼は壮太にせがまれて、一緒に射的やヨーヨー釣りに興じて遊んでいた。彼が何度か失敗してからようやく景品を取って渡すと、壮太は目を輝かせて喜んだ。


その後二人で草むらに座って綿菓子を食べていると、会場に音頭が鳴り響き、浴衣姿の女性たちが円になって盆踊りを踊り始めた。そしてそれを見た人々がひとり、またひとりと彼女たちに加わった。気が付くと、目の前には人々の大きな輪が出来上がっていた。

彼がその様子を眺めていると、母がその肩をぽんと叩いて、

「あんたも踊りなさいよ。」と言った。

「いや、俺普段着だし目立つからやだよ。」と彼は答えたが、母はいいからと言って彼の手を引っ張った。


流れてくる音頭に合わせて踊る母は、まるで何かから解放されたかの様にとても楽しげだった。最初はぎこちなく動きを真似るだけだった彼も、いつの間にか周りの人たちの熱気に引き込まれていた。見知らぬ人たちと同じ音に合わせて踊るということが、彼にはとても新鮮に思えた。

母は彼の隣で踊りながら、

「自分がどう見られてるかなんて、考えなくてもいいじゃない。踊ってる時は誰もそんなこと気にしないんだから。」と言って笑った。


彼はその時、松岡さんが前に言っていたことを思い出した。

「私の中にも、虎がいるのかも。」と彼女は言っていた。中島敦の山月記の話をしていた時だ。

「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心、か。」と彼は踊りながらつぶやいた。

もしかしたら誰の心にも虎はいるのかも知れない、と彼は思った。

だけどこの瞬間になら、そんな弱さを忘れられる、そんな気がした。

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