第4話 如雨露
少年は元々着ていた服に着替え直すと、最後に藍色のマントを羽織った。灰色のマントだと思ったものは、やはり藍色で、少年の金色の髪にとても似合っていた。
少年は準備が整うと、タカテラスと共に家を出る。まだ家族は誰も起きていないので、父や母に見つからないようにするのは容易だった。
外へ出ると目の前から太陽が昇っていくのが見える。村を明るく照らすその光は、少年の旅路を祝福しているようにも思えたが、今、この村にとっては雨雲で隠れていた方がいいのだと思うと、少し悲しくなった。
「ここで構いません」
少年は家の扉の前に立つと、振り返って言った。
「だけど、村の入り口まで行かないと分からないんじゃないか?」
「大丈夫です。ご心配には及びません」
「そうか……」
タカテラスはもう少し少年と一緒にいるつもりでいたので残念に思ったが、彼がそういうなら仕方ないと思い笑顔で見送ることにした。
「じゃあ、気を付けてな」
だが、少年はすぐに行こうとはせず、起きたときと同じようにこちらをじっと見ている。
「どうした?」
「やはり、あなたにお礼をしなければ」
少年が再びそう言うので、タカテラスは呆れたように笑い肩を竦めた。
「いいって言ってるのに」
「いいえ。私の気が済みません。なので——これを差し上げます」
すると少年は、藍色のマントの内側から如雨露を取り出した。そんな持ち物、彼の服を着替えさせたときにもなかったのに。どこに隠していたのだろうか。
タカテラスは不思議に思いながらも、少年が持っている如雨露をまじまじと見た。
「如雨露? それにしてもちょっと変な形をしているな」
普段使っているものとは違って、形がすっきりとしている。また表面には花の装飾がされてあって、畑で使うには似つかわしくないように思えた。それと、一つおかしなものがついている。普通の如雨露にはない、蓋が付いてるのだ。
「これで、この村に雨を降らせましょう」
少年があまりにも簡単に言うので、タカテラスは「へぇ」と言ったが、よくよくその意味が分かると、はっとした。
雨を降らせる?
そんな馬鹿なことがあるわけがない。
「お前さん、何を言って――」
タカテラスが驚いている間に、少年は如雨露の水が出る口を空に向かって一度だけ振る。まるで如雨露の中にある水を、空に向かって放ったかのようだった。
「見ていてください」
「……」
そう言われ空を見ていると、頭上の空に黒い雲が現れ、それがどんどん大きくなり村全体を覆っていく。空は陰り、湿った香りがすると思ったら、タカテラスの鼻先に水滴がぽたりと落ちた。
「雨……」
タカテラスがそう呟くと、まるで合図だったかのように一気に雨が降った。さーっと大地に雨が落ちる音と、家のすぐ横にある甕に水が溜まっていく音が美しい音色を奏でていた。
「これでいいでしょうか」
家の屋根に隠れつつ空を眺めていたタカテラスに、その傍に立つ少年が尋ねた。
「驚いた。これで種から芽が出るよ」
「それはよかった」
二人は暫く並んで立ち、雨が大地を濡らす様子を眺めていた。時折風が吹くとタカテラスと少年を濡らしたが、彼らは気にしない。
「お礼をしなくちゃならねぇのは、俺の方だな。ありがとう」
ホッとしつつも少し寂し気な表情を浮かべるタカテラスに、少年は微笑んだ。
「あなたのお役に立てて嬉しいです」
「それにしても、お前さんは何者なんだ?」
「あなたの目に映っているまんまですよ」
「子どもだっていうのか?」
すると少年は得意そうな表情で笑う。
「ええ。それから、これはあなたに」
「如雨露を?」
「どうしても雨が降らずに困ったときは、ぼくがやったようにこれを空に向かって一度だけ振って下さい。そうしたらまた雨が降るでしょう。ただし、これが使えるのは3回までです。今1回使いましたから、あと2回。それとこの蓋は決して開けてはなりません。それと、如雨露は他の村人に見られても構いませんが、雨を降らせるところは見せない方がよいでしょう。分かりましたか?」
「ああ、分かった」
少年はふっとまた笑う。
「良心を失い、己のためだけにこれを使うのであれば、全てを飲み込む災いとなるでしょう。——でも、あなたはきっとこれを正しく使いこなすことができるはずです」
「何か、凄いこと言われてんのかな?」
「褒めているんです」
はっきりと言う少年に、タカテラスは身じろぎした。
「俺、そんな大層な人間じゃないよ……」
「そんなことはありません」
「……」
すると少年は、俯くタカテラスの腰あたりに抱き付いた。
「あなたはもう少し自分のやることを信じた方がいいですよ」
「そう、だろうか……」
「そうですよ」
するとそのとき、家の中で物音がする。家族が起きたのだろう。
少年はそっと体を離し、タカテラスは慌てながらコソコソと言った。
「じゃあ……、えーっと、気を付けてな。雨を降らせてくれてありがとう」
しかし彼の気遣いを分かっていないのか、少年は変わらずゆったりとした口調で応える。
「いいえ。どういたしまして。そう言えば、あなたのお名前をお聞きしていませんでした。お聞きしても?」
「いいけど……タカテラスだ」
「タカテラス……」
自分の名前を小さく繰り返す少年を見て、タカテラスも彼の名を聞きたいと思い、家の中の様子を気にしつつ尋ねた。
「お前さんは?」
すると、少年は少し考えてから答えた。
「ヒナタ、とお呼びください」
「ヒナタ……」
「最後に一つお願いしてもいいですか」
「何だ?」
「屈んでもらえます?」
「お、おう」
言われてタカテラスは屈む。すると丁度少年の視線と同じくらいの高さになった。
「それから、少しの間目を瞑ってもらっていいですか?」
「ああ、いいぞ」
少年は彼の頬に小さな手を添え、感覚で顔が近づいたことが分かる。何をするのだろうと思ったら、額に柔らかいものが触れて、そっと離れた。
「あなたが幸せでいられることを、心から祈っています」
するとヒナタの小さな手が離れ、風が吹き抜ける。雨水が顔に当たってタカテラスが目を開けたときには、ヒナタの姿はもうなかった。
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