ヒトゴロシミュレート
ぎざ
第0話 殺人試行 1-β
突然夜に呼び出され、番地だけを告げられた。
その番地が指していたのは、潰れた飲食店跡地、その店の前にある街路灯。その下に座っていたのは彼女だった。
俺を呼び出したのは知らない人だった。
軽薄な笑みを浮かべ、彼女を紹介した。
彼女は、人形だと。
横たわる彼女の横顔は、いつも通りであって、いつもよりも輝いて見えた。街路灯がスポットライトのように彼女を照らした。イヤリングが輝いて揺れたように見えた。
命の息吹が感じられた。それが偽りだとわかっていても、触れずには居られなかった。
閉じた瞳、長い睫毛。白い肌はほんのりと赤らんでいた。髪はひと月前の染める前の明るい茶髪だったが、それ以外は今日見た彼女の姿そのままだった。
俺は彼女の首にだらしなく巻かれたマフラーを、思わず丁寧に巻き直していた。「死んでいるよ、彼女は」
「そうなんですか」俺は世間話の合間に果物ナイフを手渡されていた。
「まぁ、生きていたらの話だけどね」
生きていなければ、死んでいない。
生きていないはずなら、この彼女は死んでいないはずだ。
この矛盾の壁を前に彼女は座り込んでいる。
生を超越している。
死を凌駕している。
「だからそうして」
彼女の身体にナイフが、音も無く突き刺さる。
何か骨に当たったのか、手応えがあった。
それ以上、無理やり刺すのは諦めた。
「ナイフを刺したとしても、彼女は死んじゃあいない」
「今もこの世界で生きている」
「君が殺したのは、彼女じゃ無い。彼女のそっくりさんだ。いや。この彼女は、人形みたいなものだから、殺人ですらない。人形を殺すことは誰にも出来ない。だって、生きていないのだから」
予行練習のようなものかな、とその人は言った。
ナイフから手を離した。骨に刃先が刺さって動かなかった。血も少しも出なかったから、まるで現実感が無い。
「ナイフは抜かなければたいした出血は無いよ。傷口から多少出るけれど、それは衣服の上からは見えはしない。こういう果物ナイフみたいな刃の薄いナイフなら、傷口はキレイなモノでね、まるで放っておけばくっついてしまうんじゃないかってくらいなんだ」
「そうなんですか」
「ただまぁ、いくら傷口がキレイだからって、血管やら臓器やらを傷つけて、タダで済むわけは無いけどね。人を殺すってことは、傷つけるってことだから」
取り返しの付かない行為だ。
ましてや、かけがえのない人を殺すだなんて。
誰でも最初は素人だ。
好きな人を殺すのに、失敗はしたくない。
「ちょっとした興味から聞くんだけど、どういう気持ち? 好きな人を殺す、なんてさ」
「…………最悪、ですよ」
彼女の死体を前に、俺は遠くない未来のことを考えた。
「こんなことになるくらいなら、アイツのこと、好きになるんじゃ無かった」
「そうだね、嫌いだったら多分、殺さないよね」
言われて気付く。
確かにそうだ。嫌いだったら殺さないだろう。
彼女の横顔を見た。
彼女は年老いることもなく、風化して朽ち果てる。
その息の根を止めるのは他の誰でも無く俺だ。
息の根を止めるべきなのか。
彼女の一生を見届けることが責任じゃあないのか。
そう言った世間一般の迷いが俺の頭の中を通過していった。
彼女を愛しているのならば、その程度のことは戯れ言だった。
なるほど。
一度人を殺す練習をしてみるもんだな、と思った。
肝が据わった。きっと後悔することも無いだろう。
人を殺して後悔するくらいなら、その罪を悔いるくらいなら殺すな。
罪を懺悔して、許しを請うくらいなら、殺すな。
更生して、第二の人生を歩むくらいなら、殺すな。
俺は殺す。彼女を殺す。確実に。絶対に殺す。殺してみせる。
俺の覚悟を表情から見て取ったのか、とても満足そうに言った。
「じゃあね、応援してるよ。練習は本番のように、本番は練習のように、ね」
部活の顧問か。
「あなたは、何かスポーツでもやっていたんですか?」
去り際に聞いてみた。個人情報の一つでも、と思ったが、何も話さないかな。
「うーん」
少し考えてその人は言った。
「帰宅部だったんだよね。家に帰るのも、一苦労だったよ」
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