ツツジの記憶

まにゅあ

ツツジの記憶

 ツツジの花を見ると、落ち着かなくなる。

 道端に咲くツツジ、庭で手入れされたツツジ、店で売られているツツジ――。

「綺麗」と言う人は多いけれど、どうしたって私にとってのツツジは、あの記憶と強く結びついてしまっている。ツツジの花を見ると、私の心は泥船に乗ったみたいに落ち着きをなくしてしまう。

 ちょうど十年前の春。私がまだ小学校低学年だった頃、飼い犬のペコが死んだ。ペコはよく吠えるやんちゃな犬だった。私はそんなペコが大好きだったけれど、母は静かなほうが好きみたいで、花を育てるのが趣味だった。自宅の庭には色んな花が植わっていた。

 ペコと町中を散歩して、最後に家の庭で一緒に“花見”を楽しむのが、私たちの日課だった。

 その日、ペコと一緒にいつものコースを散歩して、私は家に帰ってきた。

 ちょうど玄関から庭に回ろうとしたとき、家の電話が鳴った。

「晴美~、電話出て頂戴~。今動けないの~」

 ペコだけを先に庭にやって、家の中に入った。動けないとはどういう意味かと思ったけれど、母はトイレ中だった。電話に出られない母の代わりに私が出た。だけど、プーッ、プーッと通話が切れている音がするだけだった。

「切れちゃった。かけ間違いかも」

 トイレの前まで行って母にそう伝えると、「またすぐにかけ直してくるかもしれないし、電話の前で待っといてもらえる?」と返事があった。

 庭のほうから聞こえてくるペコの鳴き声をBGMに、しばらく電話の前で待ってみたけれど、かかってくる気配はない。

「お母さ~ん、電話かかってこないよ~」

 トイレがあるほうに向かって声を張り上げたけれど、返事がない。もう一回叫んでみても、静寂が返ってくるだけだった。

 そういえば、いつの間にかペコの鳴き声が聞こえなくなっている。

 このまま電話の前で待つか、トイレの前まで行くか、ペコのいる庭に向かうか――。

 放ってきたペコのことが気になって、私は庭に行くことにした。当時小学生だった私が深いことを考えていたはずはないけれど、「何だか変だな」くらいのことは思っていたかもしれない。

 庭には、横たわるペコの姿があった。

「ペコ!」

 駆け寄ると、ペコは苦しそうに「ギュ、……ギュ、」と鳴き声を上げていた。

「お母さん! お母さん!」

 どうしたらいいのか分からない私は、母の名前を繰り返し叫び続けた。どれくらいの時間そうしていただろう――一分だったか、もしくは一時間だったのか。

 よく分からないままその場で泣き叫び続けていた私の前に、「どうしたの?」と母が姿を見せた。

 私の横で倒れているペコの姿に、母も気づいたようで、

「ちょっと! 何があったの⁉」

 ……私の隣で、すでにペコは息をしていなかった。 

 ――こうして、ペコは死んだ。

 明らかに突然で不審な死だったけれど、死因の調査はされなかった。当時小学生だった私は死因調査を依頼することまで考えが及ばなかったし、母がそのことを知っていたかどうか……。いや、母はおそらく知っていただろう。母が死因調査のことを知らなかった――それは単なる私の願望だ。

 ――母がペコを殺したなんて、思いたくもない。

 ペコのそばで咲いていたツツジの花が不自然になくなっていたことが、十年経った今でも思い出される。

 ツツジには毒があり、食べた犬が死んでしまうこともあると知ったのは、つい最近のこと。

 長年私の頭の中で巣くっていた、消えたツツジの記憶。

 今となってはそれが本当にあったことなのか、はたまたペコの死に説明をつけたい私の脳がつくり出した幻なのか、分からなくなっていた。

 それにどうにも最近、同じ光景を繰り返し夢に見る。


 ツツジをミキサーですりつぶして水に混ぜ、ボトルに入れる母。

 そのボトルを片手に、トイレの中で私たちの帰りを待ち、ペコの鳴き声を聞いた母が携帯を使って自宅に電話する姿。

 電話の前で待つ私の姿を横目に、玄関から庭へと回る母。

 ペコにツツジ入りの水を飲ませる母。

 そして、飲んだペコが苦しみだす。

 鳴き声は段々と小さくなっていき――。


 これは夢、これは夢、これは夢……。

 静けさを望む母が、よく吠えるペコを殺した――私の妄想だ。現実なわけがない。

 今から十年後、二十年後の私が、ツツジの花を見て、何を思うのか。同じ夢を見続け、同じ妄想に囚われ続けているのか。

 私は家を出たけれど、母は今もあの家に住んでいる。

 ペコの亡骸が埋まる庭に、今も毎年咲くツツジの花。

 その庭を、母は何を思いながら手入れしているのか。

 少しでもペコのことを思い出しているのなら、それは、とても、


 ――素晴らしいことだ。

 

 

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ツツジの記憶 まにゅあ @novel_no_bell

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