勇者の愛猫
海堂 岬
第1話 わたくしのご主人
わたくしのご主人は、少々情けない男ですの。
「今日も会ってもらえなかった」
抱えてきた花束を、花瓶に活けるのは、なかなかに殊勝な行いですわ。そこは認めましてよ。花を大切になさるのは良いことです。
「僕、何か、失敗したのかな。嫌われるようなことを、したのかな」
まぁ、愚痴愚痴と情けない人ですこと。これが、いけないところです。情けないではありませんか。ご主人、しっかりなさいませ。
「シュザンヌ、おいで」
仕方ありませんから、わたくしが慰めて差し上げます。わたくしは、ご主人の膝の上で丸くなりました。わたくしのご主人は、鍛錬を怠らない方です。鍛えた脚は安定性がよろしくて、わたくしのお気に入りの場所です。
「僕、何か失敗したのかな。したよね。だって貴族の作法なんて、わからないもの。せっかく教えてもらったけど、やっぱり、付け焼き刃だものね」
ご主人は、情けないことを言いながら、わたくしの毛を、専用のブラシで梳いてくれます。わたくしのふわふわの毛は、ご主人の手入れの賜ですの。もちろん、わたくし自分で、毛づくろいはいたします。猫の嗜みです。当然ですわ。
ご主人が、わたくしの手入れを気に入っていますから、好きにさせているのです。特に今日のような日は、落ち込んでしまわれますから。わたくしは、心の寛い猫ですから、わたくしの毛づくろいをしたいご主人に、好きにさせてあげるくらいの気概はございます。
「シュザンヌはふわふわだね」
ご主人は、ブラシに絡まった私の毛を集めております。少々変態と思われるかもしれませんが違います。小さな私を創るためだそうですよ。物を無駄になさらない、堅実な方です。
「猫のシュザンヌは、こうして懐いてくれるのに。シュザンヌ様は、お顔を見ることすら出来ないなんて」
また始まりましたわ。仕方ない方ですこと。わたくしに愚痴を言ったところで、何にもなりませんのに。ご主人は、わたくしに、シュザンヌ様という、人間の女性のことをよくお話されます。
「シュザンヌと同じ、きれいな淡い色の髪の毛でね。空色の目なんだよ。だから、シュザンヌを見た時、シュザンヌ様と同じだとおもって、名前をいただいたんだ」
わたくし、シュザンヌ様に少々同情いたしております。だって、お会いにならないということは、まぁ、シュザンヌ様のお気持ちも、猫のわたくしでもわかります。恋い慕って、嘆くご主人には、残念ですが、諦めていただかなくてはなりません。
勝手に慕っておしかけてくる殿方が、ご自分と同じ色合いの猫に、ご自分のお名前をつけてかわいがっているなど、ねぇ。想像なさってくださいませ。あまり気持ちの良いものではございません。
「仕方ないよね。そもそも、無理だったんだ」
えぇ。わたくしもそう思います。いい加減、諦めて、他の女性になさいませ。優しいご主人です。良い女性くらい、すぐに見つかりましてよ。わたくしが猫でなければ、見繕ってさしあげるのですけれど。残念です。
「お貴族様からしたら、僕なんて、親が誰ともわからない。馬の骨だもの。仕方ないよ」
まぁ、そこまでご自分を卑下なさらなくても。孤児院でお育ちになって、ご両親がおられないというのは、ご主人の咎ではありませんことよ。
「偶然、聖剣を抜いちゃって、神様から御加護をいただいて、魔王を倒して。神様からの御加護は、魔王を倒すためのものだったし。聖剣も国に返したから、僕なんて。ただちょっと、剣の使い方を覚えただけの平民だもの」
まぁ、ご主人。そんなことをおっしゃってはいけません。立派な行いです。魔王の討伐に勝る武勇はございませんことよ。誇らずしてどうするのです。あなたが誇らないというならば、他の者たちが何も誇れなくなってしまいます。しっかりなさいませ。
「綺麗で優しそうな人で、お嫁さんになってくれるって聞いて、嬉しかったのに」
ご主人は、そうおしゃいますが。花束を持って訪れる婚約者を、追い返すような女性ですよ。優しいというのは、ご主人は少々人を見る目がないのではないでしょうか。わたくしは心配です。
「貴族のお姫様だもの。きっと、誰か、婚約者くらいいるよね」
残念ながら、ご主人。おっしゃるとおりです。貴族とはそういうものです。生まれた時から、あるいは生まれる前から婚約に関しては、取り決めがあることも、珍しくはございません。
「お茶会にね、お招きいただいたんだ。とても嬉しかった。不慣れな僕に、優しくしてくれたし、こんな優しい人がお嫁さんにって、舞い上がっていた僕が、馬鹿だったんだ」
可哀そうなご主人。お茶会の主催者が、お客様をもてなすのは当然のことですわ。おそらく、女性の優しさが、社交辞令だと見抜けなかったのでしょうね。まぁ、ご主人に、そのような、器用さなどないことは、わたくしよくわかっております。
「どうしたらよいんだろう」
猫のわたくしに、聞かないでくださいませ。
「王命なんだ」
えぇ、何度もお聞きしました。存じております。
「シュザンヌ様のためには、僕が、あのような素晴らしい方を、お嫁さんにいただくなんて、分不相応だからと、お断りしたいのだけれど、どうしたらよいんだろう」
ご主人、世間知らずもほどほどになさいませ。王命です。たとえ嫌い合っていようと、憎み合っていようと、王命に従い、結婚するのが貴族です。
「どうしたらよいんだろう」
何度聞かされたかわからない、言葉を繰り返すご主人のお顔をみあげて、わたくし、驚きました。なんと、目に涙が光っているではありませんか。
「会ってもくれない。シュザンヌ様には、きっと誰か、大切な人がおられると思うんだ。シュザンヌ様には、幸せになっていただきたいんだ」
可哀そうなご主人。恋い焦がれる方のお顔を見ることも叶わないというのに、その方の幸せを願うなんて。思いを捧げる方のため、身を引こうにも、王命だからと逆らうことも出来ず、なんとお可哀そうなことでしょう。
千々に乱れる心を鎮めようというのでしょうか。ご主人は、今度は手で私を撫で始めました。えぇ、わたくしの手触りは最高ですのよ。わたくし、ゴロゴロと喉を鳴らしてあげました。
「シュザンヌ、気持ちいいみたいだね」
ご主人が、嬉しそうにわらいました。半泣きでお戻りになってから、今までかかって、ようやくです。
本当に、手のかかるご主人ですこと。仕方ありません。今日だけですよ。わたくしの尻尾を触ることを許して差し上げます。わたくしは、わたくしの自慢の美しい尻尾を、ご主人の手元に、差し出しました。
えぇ。ご主人。今日だけですよ、今日だけ、特別です。
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