最後の瞬間

かじきまぐろう

第1話

このときは「まだ」、同棲中の恋人とうまくいってた時期だった。「まだ」というの現状と比べて「まだ」うまくいっていたという「まだ」だ。


連日の残業で、くたくただった。

夜の9時。

最寄り駅に到着し電車から降りて、地上へ繋がる階段を目指す。

ホームのベンチに頭を項垂れた一人の女の子が座っていた。

少し様子がおかしかった。

他の乗客たちは気づいていないのか、足早に移動していた。

この駅は他路線への乗り換え駅でもあるのだ。

俺もそそくさと家に帰りたかったが、女の子の様子がおかしかったので、

踵を返し、彼女の元へ向かった。

「大丈夫ですか?」

尋ねたが女の子は答えない、いや答えられない。

顔を上げた彼女は、呼吸があらく手足も震えていた。

一体どうしたらいいんだ。

「・・・ちょっと待っていてください」

俺は小走りで階段を駆け上がり、駅員に状況を伝えた。

「救急車を呼んだほうがいいですか?」

「お願いします」

俺はそう言い残し、階段を下りて女の子の元へ急いだ。


途中自販機で飲み物を買った。

先程の彼女は大きなリュックサックを背負ったまま、ぐったりと背もたれによりかかっていた。かたわらには、20代くらいの眼鏡の女性も立っていた。

「彼女、どうしたんですか?」

「わかりません。ぼくが見つけたときからこういう状態だったんです」

「救急車は?」

「今手配しました」

俺は女の子に背負っているバッグをおろすように促した。重いだろう。

見るからに大丈夫そうには見えないが、俺は大丈夫か?と何回も声をかけた。

逆におれの質問に彼女が答えようとしてそれでさらに呼吸がしづらくすることに気付いてからは、質問をやめて背中をさすっていた。

「・・・けいたい」

「え?」

「携帯にお父さんの番号がある」

そうか、家族にまずは電話するべきだ。

「携帯はどこ?」

「かばん。そこのファスナーのなか」

失礼、そう断りを入れて携帯を取り出す。今時の女の子が持っているようなものだ。

彼女に手渡すと震える手で指紋認証を行いロックを解除。

「これがお父さん」

タップしてしばらく待ったが出ない。

「繋がりませんか?」と眼鏡の女性。

「はい」

「・・・この子はいつから、その、こういう状態だったんですか?」

「私が下車してからなので、そうですね20分程前だと思います」

女の子は相変わらず苦しそうだった。

俺は背中をさすり続けた。最初、中学生くらいの女の子に触れるわけだからセクハラになるのなかとも思ったが、そんなことで躊躇している場合ではない。

しばらくすると駅員2人がかけよってきた。

「救急車、遅れるそうです」

「まじかよ」思わず本音が出る。

「失礼ですがあなたがたは?」

「この駅を利用する乗客です、この女の子とは初対面です」

「あなたは?」駅員の一人が眼鏡の女性にそう尋ねる。

「私は中学教諭です。この子の担任ではないですけど、苦しそうにしていたので、足が止まりました」

彼女は相変わらず苦しそうだったが、親とも連絡がつかない、救急車は遅れる、いったいどうすればいいんだ。


「信二」

俺はその声を聞いてほっとした。

「信二、その子どうしたの?」

「わからない。俺がついたときからこの調子なんだ」

春香(同棲中の恋人だ)は片膝を地面に付、女の子の顔をまじまじと見つめた。

手足がふるえてる、春香はぼそりといった。

「大丈夫だから」春香は女の子をぎゅっと抱きしめた。「ダイジョブ」

春香のやさしい声を聴いたのは久しぶりだった。このところお互いすれ違いが多く、

まともに会話もなかったし、一緒に出掛けるなんてこともなかった。

何の根拠もなかったが、春香の声には人を安心させる成分がある、それは俺がよく知ってる。女の子の呼吸も落ち着いてきた。手足の震えもおさまった。さすが春香だ。

ようやく女の子の父親と連絡がついたのは、救急隊員が現場に到着してからだった。

父親の反応は俺が少なからなず想定していたものと違った。

「ああそうですか。それで今、娘はどちらに」ひどく落ち着いた様子だった。

この時俺は、どうして自分の娘がこんな状態、もしかしたら死ぬかもしれないのに、この父親はこんなにも落ち着いているのかと思って激昂しそうになった。

理性的に場所を伝えた。

どうやら彼女の住まいはここから20KM程離れている。時間にすると30分程度か。

女の子はストレッチャーに乗せられて、丁重に救急車に運び込まれた。

俺と春香はその様子を近くから見ていた。

時刻は22時を過ぎていた。

「あの女の子大丈夫かな?」

「大丈夫だ」

春香はそう言った。


1月は過ぎたと思う。

「もしよろしければ住所を教えてもらえませんか?」と女の子の父親から連絡があった。もしお礼の品等であれば不要である旨は伝えた。

「そんなことよりもその、娘さんの様子はいかがですか?大丈夫なのですか?」

「ええ、おかげさまでだいぶ落ち着きました。もう大丈夫です」

もともとそういう持病があるのかどうかは結局聞けずじまいだった。


「よかったら久しぶりに買い物行こうよ。ふたりで」

あの女の子には申し訳ないけど、あの件がきっかけで春香との距離が元通りになった。春香と本当に久しぶりに駅前で買い物をして、その帰りに近所の神社に立ち寄った。存在は知っていたが、来るのは今回が初めてだった。

 長い階段をあがる、振り返ると春香がはあはあ言いながらくっついてくる。

「滑るなよ」と俺は言う。春香はうなずく。

階段を登り終えた。

神社からは俺たちが住み始めた町が眼下に広がっていた。そろそろ春香と同棲を始めて4年がたつ。

境内には桜が咲いていた。景色を楽しんだ俺はおちゃらけた感じで桜のつぼみに鼻をくっつけて変顔をした。俺は春香に心を許していた、いってみれば距離感なんてものを考えもしなくなっていた。そしてそのことが春香は嫌だったのも知っていた。知っていて直す努力もしなかった。

「もうふざけないで。ちゃんとした顔をして」そう苦笑いを浮かべ、春香は俺の写真を撮った。これが最後のデートだった。


もう俺も春香もあの町に住んでいない。俺は彼女がどこに住んでいるかさえ知らないし、彼女にどっておもそれは同様だろう。別れることがはっきりと決まった日、もう連絡を取り合うことはやめようと固く誓い合った。お互いがお互い自身のスマホからお互い自身のデータを削除した。

俺たちは永遠の愛を誓うことが出来なかった。永遠のお別れを誓い合った。










  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

最後の瞬間 かじきまぐろう @kajikimagurou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ