第2話 別れと出会い





夢咲ゆめさき真白ましろ、二十二歳。

神奈川県にある某大学に通う、彼女いない暦=年齢の悲しい男だ。


今までの人生全て、色恋沙汰いろこいざたなんて捨てて推しにみつぐためだけに生きてきた。

バイトを始めた理由も同じ。

あまりにもグッズを買いすぎて金欠になってしまったからだ。


週五でバイトを入れて、そこでの給料はほとんど推しにつぎ込む毎日。

一人暮らしのため、ご飯がもやしだけになる事も珍しくなかった。



きっとそんな生活をしていたせいだろう。



気づいた頃には交友関係も限られた人しかなかった。

そんなんじゃ恋人なんてできるはずがない。

下手したらこのまま賢者になって一生を終えることすら十分有り得た(血涙)。


が、そんな俺に、良い意味でも悪い意味でも人生の転機となる出来事が起こった。

あれは確か、雪の降るクリスマス当日だったはずだ。









その日の神奈川では珍しく雪が降っていて、若者たちはホワイトクリスマスを恋人や友達と享受きょうじゅしていたことだろう。


もちろん恋人は文字通り俺は、バイト終わりに行きつけの中古品店で一人寂しく買い物をし、そう遅くならない内に帰路きろに着いた。



ははっ、時には一人で見る雪と夜景もオツってもんよ…………。



一応言っておくけど、負け惜しみじゃないからね?


何とかカップルどものスウィートルームにあらがって歩くこと二十分。

俺が住むマンションの入口が見えてきた。


マンションの横には大通りが隣接していて、クリスマスともなるとさすがに車通りが多くなっていた。

十字路を行き交う車の数ったらそりゃあもう………。


普段はあんなに空いてるのになぁ。


渡る直前で運悪く信号が赤に変わったので、黄色い点字線の手前に立って前を過ぎ行く車をぼーっと眺めていると。



「わーっ!すごいよお母さん、雪いっぱい降ってる!」

「あらあら、危ないから走っちゃダメよ?」



マンションから嬉しそうな声を上げて出てきたのは、お隣の部屋に住む雪乃ゆきのさんとその娘の椎菜しいなちゃんだ。


雪乃さんは椎菜ちゃんが生まれてすぐに交通事故で夫を亡くしたそうで、今は一人で娘を育てているのだとか。

それだけでも大変だろうに、隣人となったえんで俺まで色々と面倒を見てくれているのだ。


まだまだ子供な俺を一人暮らしさせるのは心配らしい。



最初はそれこそ過保護かほごな人だと思ったけれど、実際のところ困った時に気の知れた大人が近くにいてくれるだけですごく助かった。

言うなれば俺の第二のお母さん的な存在だ。


ちなみにうちのお母さんは結構緩い人で、俺が一人暮らしをしたいと言った時も、"別にいいんじゃね?"と軽く許可をくれた。

当時はあまりにもさらっと言ってたから、何か裏があるんじゃないかと思ってたけど………うん、別にそんなことなかったね。

ただ放任主義なだけ。


そういう訳で、今はそんな雪乃さんに恩返しできるよう日々頑張り中だ。



まぁそれを越す勢いでお世話になっているので本当に頭が上がらないのだが。

しかも俺ができるのって、雪乃さんが忙しい時に椎菜ちゃんを預かることくらいなんだよね………。


そんな事しか出来なくて申し訳ない。


しかしおかげで椎菜ちゃんにはすごく懐かれた。

………ある意味でだけど。


今も十字路にいる俺を見つけた椎菜ちゃんが、途端に満面の笑顔を浮かべてこっちに走って来る。



「お〜い、真白お兄ちゃーん!」

「椎菜ちゃん、雪乃さんも言ってたけど走ると危ないぞ〜」



雪乃さんと俺は苦笑いだ。


たしかに懐かれてるのは嬉しいんだけど、こういう時転んで怪我しちゃわないか心配になってしまう。

信号が青になったので、俺も走ってくる椎菜ちゃん向けて歩き出す。





そこでふと視界の端に入った、猛スピードで迫る黒い軽自動車。




後ろにサイレンを鳴らす警察車両が見えることから、たぶん何かの罪を犯した人物があれに乗って警察から逃げているんだとすぐに分かった。


問題はその軽自動車が向かう先だ。


このまま真っ直ぐ行けば、今マンション前の横断歩道を渡っている椎菜ちゃんに直撃してしまう。

しかも運転手、後ろの警察車両を気にするあまり前をちゃんと見ていないときた。


きっとあのスピードだ、今更ブレーキを踏んだところで止まれないだろう。



俺は無意識の内に動き出していた。



「椎菜ちゃんっ!」


「なっ、くそっ!」



やっと車の人物が椎菜ちゃんに気がついたかと思った瞬間、なんとその軽自動車はブレーキを踏むどころかさらにアクセルを踏んで加速した。


そのありえない行為に思わず目を疑ってしまう。


あいつ、椎菜ちゃんのこといてそのまま突っ切る気か!?



チラッと横断歩道を渡る椎菜ちゃんを見るが、自分に迫る黒い塊に呆然として動けない様子。

それは仕方の無いことだ。

何せまだ八歳になったばかりの少女。


こんな時にどうすれば良いか、頭で分かっていても咄嗟とっさに行動できないのだろう。



なら誰が椎菜ちゃんを助ける?


雪乃さんはまだマンションの前でおそらく間に合わない。

周りには誰も助けられそうな人が居ない。

こんな時に限って周囲の車通りは少なくなっわている。



…………そう、俺しか居ない。



持っていた肩掛けカバンを放り捨てて身軽になった俺は、すぐさま椎菜ちゃんの元に走って行き、軽自動車から守るように抱き抱える。



直後、ドンッ!!という今までに感じたことのない強烈な衝撃が俺の背中を突き抜ける。



離しちゃダメだ、絶対に……!


あまりの衝撃に俺の体は大きく弾き飛び、近くの家の外壁にぶち当たってやっと動きを止めた。

黒い軽自動車は、そのまま何事も無かったかのように走り去って行った。


くそっ、あいつ人を轢いておいて…………いや、今はそんな事どうでもいい。

体が動かない。



きしむ体に鞭打むちうって、ふところで怯えたように丸くなる椎菜ちゃんに視線を落とす。

たぶん、大きな怪我はしていない。

多少擦り傷はあるものの、それも数日数週間で治るレベルだろう。


彼女の無事を確認した瞬間、全身の力が抜けて思わず彼女を抱きしめていた手が緩んで地に落ちる。



頭から流れるぬるりとした赤い液体。


それが自分の血だってことは、すぐに分かった。

頭だけじゃない。

上半身のどこかからも出血し、右足は折れているようで動かそうとすると激痛が走る。


かろうじで動く目もぼやけまくって訳が分からない。



「ま、真白お兄ちゃん………?」



恐る恐るといった様子で顔を上げた椎菜ちゃんが、血を流す俺を見て声を震わせる。


そんな顔しないでよ………せっかく椎菜ちゃんは無事だったんだからさ。

そう言おうとするが、声が出ない。


ガクガク震える椎菜ちゃんから血まみれの腕がズルッと落ちる。



あ、これ死ぬやつだな。



すぐに何となく察した。


動揺どうようはあるっちゃあるが、それでも心は意外と冷静だった。

人間死に際になると、皆こんな感じになるのだろうか。



数少ない仲良かった先輩や後輩、友達にもう会えないのが残念だとか、ゲームがもっとしたかったりだとか、単純に死にたくないだとか。

後悔や思い残しなど、思うことはいっぱいある。


でも一番はやっぱり、椎菜ちゃんを助けられて良かったってこと。


もし助けるのが間に合っていなければ、椎菜ちゃんがこうなっていたかもしれない。

そんなのは絶対いやだ。



「椎菜ちゃん……俺のパソコンは……中身見ないで……水に沈めといて………」

「…………っ!な、なんでそんな事言うの……?真白お兄ちゃん、大丈夫だよね………?また、いつもみたいに………一緒に学校行けるよね………?」



彼女の顔は、既に涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。

少しでも場を和ませようと無理したが、どうやらむしろ逆効果だったらしい。


俺だって本当はそうしたいよ。

でも、もう無理みたいだ。


瞳から一滴の涙が流れ、頬を伝って地面に吸い込まれる。

全身が寒くなってきた。

もう体の感覚がほとんど無くて、意識もぼんやりしている。


椎菜ちゃんの泣き声がどんどん遠ざかって………。



「椎菜ちゃん、ありがとね……今まで俺と一緒に居てくれて……………」



思い返すのは、椎菜ちゃんに過ぎ去りし日。


最初は幼い子供の、よくある父親に対する感情と同じだと流そうとしたが、彼女の目を見た途端そんなことは出来なくなった。


本気だった。


彼女は本気で俺を好きになってくれた。

だが、俺はそれに応える訳にはいかない。


何せこっちは二十歳を超えた大人で、向こうはまだ小学生。

完全に犯罪だ。

それに俺が椎菜ちゃんに抱いている気持ちは、父性以外の何でもない。


しかし、例えそうだとしてもあの時の答えをまだ彼女に返せていない。

それなのに先にあの世へ逝ってしまうのを許して欲しい………。


あぁ、まぶたが重くなって……きた………。



「真白………お兄ちゃん………?いや、いやだよ………!もっと一緒に居たいのに………!!」




椎菜ちゃんが流す泣き声を最後に、俺の意識はぷっつり途切れた。















そして、閉じた瞳を再び開けた時。

目の前には一人の少女が立っていた。

腰まで伸びた髪は、銀色に少し水色を垂らしたかのような不思議な色合いで。

反対に肩甲骨辺りから生えた翼は正しく天使のごとく純白でシミ一つない。


歳の頃は十二くらいだろうか。

しかしその神々しさも相まって、年下とは思えない神々しいまでの魅力を放つ。

少女は硬直して動けずに居る俺に目を向け────────。




「おぉ真白よ、死んでしまうとは情けない………なのだ」




どこかで聞いたことのあるセリフを仰々しく言い放った。

…………良くずっこけなかったと自分を褒めてやりたい。




「……………………………………………誰?」


「ワタシか?ワタシは、真白の世界で言うところの神様なのだ!」



得意げな表情の幼女は人差し指で自分を指しながらそう言い、背後の翼を見せびらかすようにバサッと左右に広げた。

それと共に、風に揺られ主の元を離れた無数の羽が光を反射しながら舞い落ちる。



俺はあまりに美しいその光景に、思わず何もかも忘れて見入ってしまった。





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