ー灼夏ー ACT.9

「やっと降りられたよアオイちゃん!」

「脚が細いから苦労したねヒュウガくん!」


 周囲の家屋を破壊しながら、巨躯の怪物が坂から降りてくる。


「こんなバケモンになっちまうのがアンタの望みじゃなかったはずだ。なあ、ガトウのダンナ?」


 先に集落の下り坂を駆け下りてきたホトハラは、やや開けた場所に立ち塞がり、ガトウを迎え撃つ。


「あれ?」

「あれ?」

「一人?」

「一人しかいないね」

「もう二人はどこにいったんだろうね?」

「もしかして、一人でぼくたちを引き留めるつもりかな?」


「……うるせぇんだよクソ花どもが。今、オレはコイツと喋ってんだ」


 ホトハラは拳を構え、ガトウの両肩を睨み付ける。そこに咲いた二輪の巨大な向日葵はそんな彼を嘲笑うかのようにぐぐっと震え、向きを変えた。


「まあいいか、倒した後でも」

「まあいいよね、倒した後で」


「「この島からは、誰も逃げられないんだもの」」


―――


 一方。集落から外れた、小さな神社の境内。


 社の傍に座る女。そして、その周りを囲うように立つ子供が三人。

 子供の首から上には、またしても巨大な向日葵が咲いている。


 薄青の空を見上げ、女は穏やかに笑う。

 その瞳は、向日葵と同じ黄色と黒に彩られていた。


 ――なにも必死に追うことなどなかった。

 この島にいる限り、誰も逃げられないのだから。


「追いかけっこで焦った獲物を捕らえるなんて、品がないものね」

 女は――カニエは、あれから子供達と島をゆっくり散歩し、ここに辿り着いた。異常活性化と暑さに晒され、この島の“夏”が壊れていくのを見た。かつての理想郷は熱波さに晒され、猛暑に焦げ付き、そうして醜く歪んでしまった。

 けれど今はこの静寂こそが愛おしい。祭りの後の神社は静かで、彷徨っていた住人達も成れ果ても、みんなどこかに消えてしまった。

 ガトウの言っていた“穏やかな暮らし”とはこういうことなのか。

 ならば確かにこれは悪くない、とカニエは思う。夏らしい風物詩がなくても、異常な気象に晒されても、むしろ今この状況こそが彼女にとっては理想の夏だ。


 ……現状、ここまでカニエが落ち着いている理由はただ一つ。気配を頼りに半日ほどエビナを捜索している間に、興奮のあまり、一度“達して”しまったからである。


 ひとつ息をつく。

 後は――あの子さえ居れば。

 あの子ともう一度、運命の再会を果たせれば。


「さっき感じた気配は、確かこのへんだと思ったのだけれど」


 どこか優雅な振る舞いで、カニエはゆっくりと周りを見渡す。


―――


 そうして神社に佇むカニエを遠くから見つめる双眸が二つ。


 二人は彼女に気取られぬよう身を隠し、小声で話す。

 声量を落としながらも、エビナの言葉には強い怒りが籠もっていた。


「もう一回言ってもらえる?」

「兵士なら、作戦は一度で理解するものだ」

「ホトハラと別れてまでここまで来て、あの怪物を倒すのに効果的な手段を思いついたなんて言うから――何かと思えば」

「三人固まっていても打開策は見つかるまい。もしここにサンダーチーフからのナパーム爆撃やコブラの機銃掃射があればそれを要請していたところだが……ペンタゴンからの援軍を待つわけにもいかん。ならば……強い力に対抗するには、相応の力を利するしかない」

「ボクはぜったい嫌だからな」

「他に方法があるというなら立案を許可するが」


 あれから後。

 怪物と化したガトウの襲撃から逃れるため、三人は集落の坂を駆け下りた。


 ――と見せかけ、クモカワとエビナはルートを外れ、一昨日に祭りがあったばかりの神社に向かった。つまり、二人はホトハラを囮にして迂回したかたちになる。

 単なる偶然か、狂人のカンか。他にも道や手段はあったはずのところ、何故わざわざ神社に向かったのかはエビナにも分からなかったが――果たして、そこにはカニエがいた。エビナにとってはもう二度と出逢いたくなかった“あの”カニエが。


「こんなので本当にうまく行くと思ってる?」

「うまく行くかはお前次第だ。そして、うまく行かなければ死ぬだけだ。あるいはナムの狂気に飲み込まれるだろう。俺も、お前も、あの男も」

 クモカワの目は完全に据わっている。イカれていても状況判断能力だけはあるものと思っていたが、やはりこの男はただイカれているだけなのかもしれない。

「大佐はお前に執着している。それを利用する。わかるか……つまり、これはお前にしか出来ないことだ」

 その一言で、エビナの表情がほんの少しだけ変化した。

「これは命令――と言いたいが、命を賭すのはお前だ。よって今回はお前の行動を尊重する。出来ないというなら次案を考えるまでだ。もっとも、猶予はないぞ」

 ここにカニエがいるのを、クモカワはわかっていたのだろうか。ともかく、イカれきった彼の考えた作戦はやはりどうしようもなくイカれきっていた。言う通り、うまく行かなければカニエによって“夏”に取り込まれるだろう。思いつく限り、それは最悪の結末だ。だがもし“うまく行った”とすれば。


 他に方法など考えられるはずもない。

 そして何より――“お前にしか出来ない”とクモカワは言った。

 これまで、この島に来て何の役にも立たなかった自分が。

 こんなところにきて。こんなタイミングで。こんなかたちで。こんな因縁で。


「覚悟が決まったように思える」

「決まるわけない」

「俺はお前の決断に任せる。決断をしろ。戦場において迷いは命取りだ。引くか進むか。戦争はその決断の繰り返しでしかない」


 自分にしか出来ないこと。


 一度、二度、三度、と深呼吸をして、エビナはクモカワを睨む。


「方法を教えて」


 覚悟は決めた。無理矢理に決めた。今まで抱いてきた心情を、ここで全て投げ捨てた。それに呼応するように、クモカワの表情も引き締まる。


「覚悟はできたか。ならば、お前は真の男になれ」

 エビナは眉をひそめる。それは今までの自分が、決して言われたくなかった言葉だから。

 けれど、今、その言葉はただのお決まりの台詞ではない。


 クモカワは物音を立てぬよう背嚢をゆっくりと下ろし、中から何かを取り出す。

 その取り出されたものに、エビナは絶句する。

「……なんでそんなもの持ってるの」

「元はムーアのために調達したものだが、サイズが“少し”大きくてな」

「……」


「着ろ。そしてお前は今から――“あらゆる可能性を秘めた”真の男になるんだ」


―――


 同時刻。


「こんなタイミングで、こんなかたちで、こんな因縁で……こうやってまたアンタとやり合うなんて、因果ってのは面倒くせえよな」

 振り下ろされた豪腕をかいくぐり、ホトハラはガトウの腹部に拳を叩き込む。

「そう思うだろ、アンタも」

 ガトウは応えない。


 数日前、まさにこの場所でホトハラとガトウは殴り合っていた。穏やかな理想の日常を守らんとするガトウと、その暮らしを打倒しようとするホトハラ。生まれも思想も違えど、かつてこの男二人はある種の友情を持っていた。それらはこの島で食い違い、すれ違い、そして互いに向き合うことになった。

 決着はついた。そしてこの島は理想郷ではなくなった。

 それで終わるかと思った。けれども、終わらなかった。


 ガトウの肩に寄生した巨大な向日葵がその首を最大限に曲げ、ホトハラに散弾を放とうとする。ヘタに距離を取ればあの種子で穴だらけにされる。ならばその死角をつくように潜り込み続けるしかない。

「やっぱり、ケンカってのはインファイトだよな!」

 ガトウは応えない。彼の瞳はもう、何も見えてはいない。


 異常隆起した肉体は鋼のように硬く、一方的に殴り続けているはずのホトハラの拳に血が滲む。加えて空気は夜明け前とは思えぬほどの凄まじい熱波。少しでも気を抜けばガトウの豪腕によって壁のシミにされかねない――そんな状況の中で、ホトハラはそれでも攻撃を続ける。


 あとどれくらい足止めすればいいのか。

 クモカワは「案がある」と言った。それで囮を引き受けた。

 ならば、今はそれを信じて待つしかない。


「……早いとこ頼んだぜ……二人とも」

 顔から吹き出た汗を拭い、ホトハラはもう一度拳を振りかぶった。


―――


 一方。再び神社の境内にて。


 カニエはひとつの視線を感じた。


 その気配に向き直った瞬間、彼女は黄色と黒に歪んだ瞳を輝かせた。落ち着きかけていた精神が、鼓動が、跳ね上がるように一気に昂ぶる。それに呼応し、周りにいた“こども達”も向日葵頭を激しく震わせた。


 少し離れた先。薄暗闇の向こうから歩いてくる影。

 そこにいたのは、彼女の“望み”そのものが具現化したような姿。


 その人影はカニエを見るなり、羽織っていた空調服の上着をするりと脱いだ。


「そうね。そうよ。貴方にあんな不格好な空調服なんか似合わない。そっちのほうがずっと可愛らしい。ああ、その細い手足。その顔。その匂い。その――」


 恍惚に悶えるカニエの視線の先にはエビナがいた。空調服の下の――サイズの合わない小さなシャツと短パンに身を包んだ格好で。どこから見ても、すぐにでも飛びつき愛玩したくなるような、完璧な仕草で。


 ああ。

 思い描いていた理想の“あの子”が、まさにそこにいる。ほんの少しだけ土の臭いがするけれども、それすらも今は気にならない。抵抗もせず。視線を少し逸らし、恥じらいと憂いに満ちた表情で、こちらにゆっくりと歩いてくる。その光景だけで、カニエはもうすぐにでも達してしまいそうになる。本当に気分が昂ぶると、もはや言葉など出てこないのだと分かる。


「……」


 何かを決心したように、エビナは潤んだ瞳でこちらを見つめ、その小さな口を開く。カニエはその言葉を一言一句漏らすまいと耳を立てる。周囲でざわつく向日葵頭の囁き声さえもが、今はただの雑音になる。


 ――どうしたの。

 ――いいたいことがあるなら。

 ――わたしにいってごらん。


「ぼ……」


 ……。


 なあに?


「ぼくを助けて。おねがい――お姉ちゃん」


―――


「“うまく行った”か」

 カニエとエビナを見つめるクモカワの表情が確信に変わる。

 たった少しアドバイスをしただけで、エビナは無事に理解したようだ。

「そうだ。その仕草。その表情。完璧だ」


 エージェント・クモカワ。かつてミリタリーグッズと同じほどの額を、同人サイト(の特定タグ)に注ぎ込んだ男――。

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