転生編 

第1話 HOLD OUT

─東京都 文京区 東京ドーム


 20●●年1月4日。ドーム内は熱狂に包まれていた。今宵、この会場で催されているのは野球の試合でも、歌手のコンサートでもない。広い会場の中央でライトに照らされたそれは、正方形の白い舞台。その四隅を青い鉄柱が支え、更にそこを縦3列の黒いロープが正方形を作るように渡されている。それは、『リング』。元々はボクシングの試合に使用するために創られたモノだが今、行われている興行はボクシングでも、MMA (総合格闘技)でもない。


「ただ今より、本日のメインイベント……TJPW世界ヘビー級選手権試合を行います!!」


 リングアナウンサーが告げた。TJPWとは、TrueJapanPro-Wrestringの略称である。そう、今宵催されし饗宴 は、日本最大のプロレス団体、真日本まことにっぽんプロレスリングの興行。人呼んで『プロレスファンの初詣』、年始にして年間最大のビッグマッチ『レッスルエンパイア』である。


「青コーナーより挑戦者…アトラス星野、入場!!」


 会場に流れる自身のテーマ曲に乗って姿を現したレスラー、アトラス星野……本名、星野輝臣ほしのてるおみはリングへと続く花道を歩いてゆく。

 身長190cm、体重110kg、年齢50歳。黒い長髪を首の後ろで纏めて縛った星野は、その逞しい体を上半身は真日本プロレスのロゴが入ったTシャツのみ纏い、下半身は黒のショートタイツに同じく黒のリングシューズという昔ながらのレスラーとい った出で立ちだった。


(このドームの花道を歩くのは何年ぶりだろうな……)


 星野が最後にドームで花道を歩いたのは10年ほど前。タッグチャンピオンとして防衛戦を行った時だった。しかも、その試合は星野がピンフォール負けを喫した。それ以来はベルト戦線には絡まず前座で若手レスラーの壁として試合をする日々が続く。

 しかし、10年後になって星野に好機が訪れる。昨年夏に行われたリーグ戦“Z1クライマックス”に参戦するレスラーの一人が負傷により欠場。急きょ代打として出場した星野はそのまま優勝し、ドームでシングルのベルトに挑戦する権利を得たのだった。

 本来ならドームで試合を組まれてすらいなかった、年老いた前座レスラーがビッグマッチのメインイベントに立つ……プロレスファン達も、プロレスラー達も、星野本人すらも予想していなかった。

 星野がセカンドロープとトップロープの間をくぐり、リングイン。すると星野のテーマ曲は止まり、


「赤コーナーより、チャンピオン…ジョニー・オズマ、入場!!」


 爆音のハードロックが鳴り、本革のロングコートに身を包んだ白人の男が姿を現す。男の名はジョナサン・オズマ。愛称のジョニーをそのままリングネームにしてジョニー・オズマ。身長180cm、体重100kg、年齢25歳。アメリカのインディ一団体でデビュー後、世界最大のプロレス団体WeW(World Exciting Wrestling)のオファーを蹴り、10年前に新弟子として真日プロレスに入団したアメリカ人の若者だ。ウェーブのかかった長い金髪、端正な顔立ちとギリシャ彫刻を彷彿させる肉体美は、主に若いファン、取り分け女性達を魅了した。

 その美しい腹筋の上に輝くのはチャンピオンベルト。真日本プロレスの至宝、TJPW世界ヘビー級王座のベルトだ。生半可な実力では勝ち取れぬそれを巻く彼は中高年のファンにもその存在を認めさせた、正真正銘真日本プロレスの王者である。

 歓声に包まれながら、オズマは赤コーナーポストをひと跳びで最上段まで登り、観客に向かって腰のベルトをアピールすると、バク中の要領でリング内に飛び、着地した。ルックス、身体能力、そして若さ……全てが今の星野に足りないものを備えた完璧なチャンピオンである。


「青コーナー、『ザ・シルバースター』アトラス~星野~~!!」


 リングアナのコールに、星野は右拳を突き挙げるアクションで答えたのち、Tシャツを脱ぐとリング外へ放り投げる。星野の肉体はそこらの50代と比べれば逞しくても、プロレスラーとしてはとっくに全盛期を過ぎている。

 膝も、腰も、長年に渡る戦いの日々でボロボロなのだ。そして、星野は自らに付けられたキャッチフレーズ『ザ・シルバースター』というのもあまり好きではなかった。それは星野がプロレスの世界に入る前、五輪でレスリングの銀メダルを獲得していた事と、アマレス仕込みのテクニックがいぶし銀である事に由来するが、年老いた今となっては老人を意味するシルバーに捉えられるかからだ。


「赤コーナー、第49代目TJPW世界ヘビー級王者~『ジ・アメリカンストーム』ジョニー・オズーマー!!」


 リングアナのコールに応え、オズマは両手を大きく広げ、歓声を全身に受ける。このオズマという男、星野がトップ戦線を退いた時に入団し、若手時代は星野の付き人であった。元から持っていた身体能力とタレント性に加え、アマレス銀メダリスト・星野に師事した事が今の彼をスターたらしめている。今や立場の逆転した両者ではあるが、師弟関係だった事は揺るがぬ事実。


「ホシノサン!」


 オズマは入場コスチュームを脱ぐや、星野に呼びかける。そして、左手で腰に巻かれたベルトを指差したのち、右手で指を拳銃の形にし、星野に見せ付ける仕草をした。


「ジョニー……オメエって奴ぁホントにプロレスが好きなんだな…いいぜ。受けてやらあ!」


 星野がサムズアップで応えると、オズマは嬉しそうに、子供の様に笑った。


『何やら、リング上の二人がやり取りをしていましたが、田山さん、アレは何なのでしょう?』


 実況席のアナウンサーが解説席の田山なる男に尋ねる。


『アレは、「シュート」のサインです。今じゃ使われなくなりましたが、「本気でやろうぜ」という意味のハンドサインなんですよ。オズマ選手は元々プロレス大好きっ子だと聞いていましたが、筋金入りの様ですねぇ』


 田山の言った「シュート」であるが、プロレスは団体や興行によって多少の差はあるが、試合の勝敗が予め決められたものが存在し、台本(ブック)なる隠語も存在する。

 オズマ対星野のタイトルマッチも『人気王者のオズマが、かつての師・星野相手に勝利し防衛。更に試合後は同世代でライバルのタナカ・ヤスヒサが現れベルトに挑戦を宣言する』という丁寧な台本が用意されていた。

 しかし、これをオズマは許さなかった。星野は今でこそ前座の年老いたレスラーだが、彼にとっては尊敬する師である。会社の意向に背いてでも、星野と本気でぶつかりたかった。弟子の勇気ある「ブック破り」を、師である星野は快く受け入れた。


『シュ、シュートですか……?』


『はい。星野選手もオズマ選手も【トンパチ】ですからねぇ。これは楽しみですよフフフ……』


 解説の男、田山聡一は現役時代に『ライゲル・エンマスカラド』のリングネームと派手なマスクとコスチューム、そして華麗なルチャ殺法で一時代を築いたレスラーだった。そして何よりアマレス界から星野を引き抜いた彼の師であり、このタイトルマッチは田山の弟子と孫弟子による試合である。

 そして、彼の言う【トンパチ】とは、【トンボにハチマキ】の略であり、荒唐無稽なレスラーに使われる言葉だ。田山自身も現役時代はかなりの【トンパチ】であった事は古いプロレスファンなら誰もが知っている。


 カーン!


「おっと、ここでゴングです!TJPW世界ヘビー選手権であり、師弟対決!今、試合が始まりました!!」




 30分が経過した。真日本の会社側が用意したブックは、ここいらで星野の必殺技『アトラス・ボム』を切り返したオズマが必殺技『ストーム・ブレイド』を決めてピンフォール勝ちとなるはずだった。しかし、オズマも星野も互いの攻撃を一切避けようとはしない。チョップを、ラリアットを、ドロップキックを、ボディプレスを、スープレックスを、更にはパイプ椅子攻撃に至るまでを、互いに受けきる。観客は昭和の薫り漂う試合に熱狂した。


(最高に楽しいぜ、ジョニー。デビューして25年の、どの試合よりもだ!)


 星野はエルボースマッシュを左頬に受けながらも、顔は笑っていた。


(ホシノサン……やはり貴方は僕が憧れた最高のレスラーです!)


 同じくエルボー合戦を繰り広げるオズマも笑顔だった。そして、星野がエルボーを打ち返すのをやめた。体はとっくに限界が来ていたのだ。


(……やってくれ、ジョニー)


 星野の視線で彼の意思を察したオズマは1拍置いて、星野の体をファイヤーマンズ・キャリーの要領で抱え上げた。そして、左手で固定した星野の首を支点に縦に回転させ、自身は尻餅を突く様に跳んだ。


『おぉーっと、これは掟破りのアトラス・ボムです!』


 実況が興奮して告げる、『掟破り』とは、対戦相手の得意技やオリジナル技を使う事である。


『彼のオリジナル技『ストーム・ブレイド』 ではなく、 星野選手のオリジナル技『アトラス・ボム』を使う……師への敬意を込めての事でしょう』


 己の技でリングに叩きつけられた星野は、東京ドームの天井を見た。そして、突如視界に現れたオズマが空中で後方に回転しながら自分の上に落ちてくる……


『シューティングスター・プレスー!!これは決まったかー!?』


『(俺の発明した技をここで使うか、ジョニー……やはり君は時代を担う天才の様だな……)』


 熱狂する実況とは反対に、田山は冷静に試合を分析する。


「ワン!」


 オズマが星野に覆いかぶさると、レフェリーが床を叩く。


(だめだ、指の一本すら動かねえや………)


「ツー!」


(欲しかったなぁ……シングルのベルト……)


「スリー!」


(…………────────)


 カン!カン!カン!カン!カン!


 試合の決着を告げるゴングが打ち鳴らされた。

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