エピローグ
「あのー、小牧?」
「何、わかば」
「いや、何じゃなくてさ」
月曜の朝。私はいつものように制服に着替えようとしていたのだが、小牧が突然やってきて私をじっと見つめてきていた。
小牧が見ている前で脱ぐの、嫌なんだけど。
「着替えるから出てってよ」
「やだ。見たい」
「子供体型な私は見てて面白くなかったんじゃないんですかー」
「あれ、嘘だから。本当は見てて面白いし、興奮するし、見たい。……子供体型はほんとだけど」
「おいコラ」
最後の一言は余計だ。
子供体型と言う割に、小牧はいつもするときに興奮しすぎでわけがわからないことになっている。
手が震えたりとか、固まったりとか。
どれだけ私のことが好きなんだって話だけど、私も似たようなものだからなんとも言えない。
いや、小牧の体を見てそこまで興奮するってことはないし、どっちかといえばリードする側なんだけど。
ただ、小牧が私のことを好きって態度を見せる度に、それが可愛くてもっともっとと攻めてしまうのは確かで。
結局私も小牧のことを言えないくらい、好きなんだと思う。
……でも。
「なんで見ちゃ駄目なの。裸なんて何度も見てるのに」
「昨日のこと、もう忘れた?」
昨日も小牧は朝っぱらから私の部屋に来て、体を観察してきた。ちょうどそのタイミングで朝早くから両親が出かけたせいか、小牧はここぞとばかりに私を押し倒してきたのだ。
昨日は一緒に映画見に行こうって、言ったのに。
「だって。わかばが尊厳をうまく使えって言うから」
「全然うまく使えてないし。約束破ってエロいことするのが上手い使い方なの?」
「……わかばが悪い」
「こーまーきー?」
「……ごめんなさい」
小牧はしおらしい様子で頭を下げた。そういう態度を取られるとそれ以上強く言えないのが、私の悪いところだと思う。
なんだかんだ小牧のことは、全部許してしまう。
先輩との事件があった時も、尊厳を奪われて色々された時も、結局私は小牧のことを許してきている。本当の意味で嫌いになることなんてできないし、今更好きという気持ちに嘘をつくこともない。
しかし、流石にもうちょい小牧に厳しくしないと、色々まずいような。
「……でも。わかばがえっちで、抑えられなかった。だからわかばにも原因あると思う」
「またど直球な……。別にしちゃ駄目とは言わないけど。私はそういうのよりデートしたいんだけど」
「私は今まで素直になれなかった分、もっと一つになりたい」
私たちの意見はいまいち噛み合わない。ずっと一緒にいるけれど、恋人になってもぶつかり合うのが運命なのだろうか。
小牧は私のことが好きで、私も小牧のことが好き。それは確かなんだけど。
いや、待て。そもそも。
「……思ったんだけど、私たちって恋人なの?」
「え。違う、の?」
「いや、好きとか一生一緒だーとかは言ったけど、恋人になろうとは言ってないし」
「……確かに。こういうのは、なんとなくじゃ駄目だよね」
「うん?」
「今日、わかばに告白するから。放課後時間、あけといて」
「いいけど……」
小牧は真剣な顔でそう言って、私のベッドに座った。
今日告白するから、なんて普通宣言しないと思うんだけど。小牧らしいっちゃ、らしいかも。
話が終わったから出ていくなんてことはなく、穴が開くんじゃないかってレベルで私を凝視している。
仕方がないから私は小牧の視線を気にしないようにして、着替えをした。
流石に今日は学校があるし、両親も家にいるから、襲ってはこなかった。
「わかば」
昼休み、小牧は教科書を片手に教室にやってくる。
茉凛と夏織と三人で昼食をとっていた私は、中断を余儀なくされた。
今まさに夏織の弁当箱からおかずを奪おうとしていた真っ最中だったんだけど。
「教科書、ありがと」
ついさっき貸した教科書を、小牧は返しにきたようだった。
「いいけど。小牧も一緒にご飯食べる?」
「ううん、今日はいい。じゃあね」
小牧は私に教科書を返すと、そそくさ教室を出ていく。
私はその背中を見送ってから、自分の弁当箱を見た。
ハンバーグが消えている。
「……夏織?」
「ふぁに?」
「私のハンバーグ、食べたでしょ」
「あんのことかふぁかんない」
「コラ、吐け。吐いて返して」
「ちょ、暴力反対! レフェリー!」
「はいはいー」
茉凛は私の口に箸を突っ込んでくる。
ミートボールが入ってきた。
私はそれを咀嚼しながら、教科書に目を落とした。
「珍しいね、梅ちゃんが教科書忘れるなんて」
「確かに。……あれ? わかば、その教科書なんか挟まってない?」
私はミートボールを飲み込んで、教科書を開いてみる。
ぱらぱらめくってみると、何かが教科書から落ちてきた。
それは便箋だった。ご丁寧にハートのシールが貼られていて、綺麗な字で「わかばへ」なんて書かれている。
また、古典的な。
今時こんなことをする人なんて、そうそういないと思うんだけど。
私は平静を装って手紙を拾い、制服のポケットにしまった。
「なになに? 何入ってたー?」
「紙」
「なんの?」
「さあ?」
私は夏織を適当にあしらって、食事を再開する。
その時、不意に茉凛と目が合った。
茉凛はいつものようにふわふわ笑っていた。
「よかったね。わかばも、梅ちゃんも」
穏やかにそう言われると、少しむず痒くなる。茉凛は最初から私たちが心に秘めていた感情に気づいていたのだろうか。
考えてみれば、小牧以上に掴めないかもしれない。
それでも大事な親友であることは間違いないのだ。
私はにこりと笑った。
「うん。……ありがとう」
私が言うと、茉凛は目を細めた。
手紙に書いてあった通り、放課後空き教室に向かう。
小牧のことだから人が来ないところは知っているんだろうけれど、教室ってちょっと緊張する。
私は静かに空き教室の扉を開いた。
抵抗なく開いた扉の先には、小牧がいた。
窓に背を向けて立った彼女はどこか幻想的な美しさではあるけれど、天使みたいだとは思わない。
小牧は人間だ。
人間だからこそ、完璧じゃないし緊張することもある。今の小牧は色んな感情を隠そうとしているのか無表情になっているけれど、緊張しているのが手に取るようにわかる。
雰囲気が張り詰めているし、よく見るとちょっと頬が引き攣っているし。
キスとか、それ以上のこととか。色々やってきた割に、愛の告白はやっぱり緊張するものらしい。
「わかば」
いつもと違う、尖っているというか、硬質な感じの声。そこに好きの色があることを、私は感じ取った。
「その……えっと、ね」
このまま放っておいたら口から心臓でも飛び出してくるんじゃないか、と思う。
しょうがない。助け舟を出してやるか。
「じゃんけん、ぽん!」
「え、あ、ぽん!」
私は、グー。
小牧は、チョキだった。
私は目を瞬かせた。
初めてこういう勝負で勝った気がする。運の勝負で勝ったってことは、今だけは小牧だけじゃなくて、私のことも天が祝福してくれているってことなのかもしれない。
「ふふふ、勝った。勝った勝った! わかばちゃん大勝利! ざまあみろってもんよ!」
小牧は呆然としている。
負けたことがショック……ってわけでもなさそうだ。
私は静かに小牧に近づいた。
「さ、勝ったからには願い事、一つ聞いてもらっちゃおうかな」
「う、うん」
息がかかるほど近くまで、顔を寄せる。
以前は、勝ったら小牧との関係を終わらせるつもりだった。でも、今は違う。私たちはもう離れるなんて選択肢を選べるような関係じゃなくて、お互いがお互いの心臓になっている。
離れたら、きっと。
私たちはどうにもならなくなってしまうから。
「小牧は黙って、私に何をされても無抵抗でいること」
小牧は小さく頷く。まだ何もしていないのに、顔が赤い。
何を想像しているんだろう、このむっつりさんは。
私は小牧の肩に手を置いて、背伸びをした。最初にキスをした時も、こういう感じだったなぁ、と思い出す。
まだ一年も経っていないのに、遠い昔のことみたいだ。小牧とのキスなんて最悪だなんて思っていたけれど、今は好きって気持ちを込めてキスをすることができる。
それは、嬉しいことだと思う。
音を立てず、静かに。
小牧の唇にキスをした。舌を絡ませることも、長い間触れていることもない、本当に軽いキス。それだけで穏やかな気持ちになって、小牧と一緒にいたいなんて思うんだから、キスってやつは不思議だ。
やっぱり、ドキドキはしないけれど。
でも、それでいいんだろう。ドキドキしなくても、楽しくなくても、心穏やかに小牧を愛することができるなら。
きっと、それが一番だ。
「好きだよ、小牧。私の目も、心も。小牧に奪われてるから。小牧しか目に映んない。……多分、ずっと昔からそうだった」
そっと、彼女に抱きつく。
本当に大きくなった。
「だから、恋人になろうよ。どんな時も、二人一緒にいよう」
告白するって言ったのは小牧なのに、結局私からすることになってしまっている。
なんだかなぁ。
こういうところでリードするのは、私の役目なのかもしれない。
別に、嫌じゃないけれど。
「ほら、お返事は?」
「……すき」
私よりずっと大きい小牧の言葉は、私よりずっとずっと幼く聞こえた。
そういうところも、嫌いじゃない。
今までは私の方が余裕がなかった。でも、最近はそれが逆転している。小牧はいつだって必死で、余裕がなくて、私が好きなんだってわかる。
それに気づかないふりをしていた私は、やっぱり馬鹿というか、臆病だったと思う。
「大好きだよ、わかば!」
弾けるような笑顔。
こんな笑顔は、初めて見た気がする。
「今日から私たち、恋人だから! もう離れない! 絶対別れないから!」
「そうだね。ずっと一緒だよ」
「わかば、わかば!」
「はいはい。わかばだよー」
小牧はそのまま、私をきつく抱きしめてくる。
痛くて、愛おしくて、なんだか笑ってしまう。
遠回りして、すれ違って、傷つけたりもして。
そうやって私たちは、ようやくあるべき形を見つけて、一緒になった。それがどれだけ幸せなことかは、きっと私たち以外の誰にもわからない。
私たちはしばらく抱き合っていたが、やがて自然に離れて、手だけを繋いで歩き出した。
「帰ったら、何しよっか」
「ゴロゴロする。帰りにコンビニでお菓子買ってこう」
「そだね。メロン味のお菓子、あるかなー」
「ほんと好きだね、メロン」
「うん。小牧と同じくらい好き」
「メロンに嫉妬したのは初めてだよ」
「あはは、冗談冗談。小牧が一番好き」
「……ぅ、ん」
私たちはいつもみたいに軽い会話をしながら、帰路に着いた。
明日も、明後日も。
きっとこんな日常が、続いていくんだろう。
それはとても。
何よりも、幸せなことだった。
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