第31話

「彼氏ができました!」


 夏織が満面の笑みで言う。クリスマスが目前まで迫り、皆浮かれた様子を見せていたが、夏織もその例に漏れないらしい。


 最近妙に付き合いが悪かったが、知らないところで恋人を作っていたのか。羨ましいとは思わないが、私は適当に拍手をしてみせた。


「おー。おめでとう。どんな人?」

「えー? 知りたい? 見たい? 聞きたい?」

「ウザい」


 夏織は彼氏の写真を見せながら、彼のどこがいいとか何だとかいう言葉をマシンガンのように浴びせてくる。


「これも小牧さんのおかげかなー」

「ん? 梅園がどうしたって?」


 夏織はだらしない笑顔を見せる。


「色々アドバイスもらってたんだー。ファッションのこととか」


 大丈夫なのだろうか。ファッションはともかく、恋愛の相談を彼女にしても、建設的な意見が出るとは思えなかった。


 少なくとも彼女が恋愛を得意としているのなら、私を傷付けて特別になろうとはしないはずだ。


 いや、彼女は友達が多いから、聞いた話を自分のことのように話せば、それなりに恋愛の話もできるのかもしれない。


「へー、梅園がねぇ。……で、彼氏ってどうなの? 一緒にいて楽しい?」

「そりゃもちろん! 手繋いでるだけで楽しいし、くだらない会話も味って感じで」


 手を繋いでいるだけで、か。

 小牧とはよく手を繋ぐが、それで楽しい気持ちになるかといえば、ならない。別段ドキドキすることもない。くだらない会話はずっと昔から何度も交わしているから、今更味なんて感じない。


 甘い好きとは、系統が違うのかもしれない。彼女は私との会話に何を感じているのだろう。それを知っても、私が彼女に恋できるわけではないのだろうが。


「夏織ちゃん、良かったねー」


 茉凛は相変わらず、ぼんやりした笑みを浮かべていた。変わらないなぁ、と思う。いや、いきなり変わっても怖いけれど。


 茉凛は中学生の頃からあまり変わらない。その安定感が今の私には嬉しいような気がする。


 小牧との関係は形が変わりすぎてもはやよくわからない。友達になって、嫌いな相手になって、告白されて。まるでジェットコースターだ。もっと安定感があってもいいと思うのだが、それを求めるのは無理だというのもわかっている。


「わかばもできるといいね、恋人」

「んえ?」


 茉凛が唐突に、私を見て言う。相変わらずの笑顔だ。


「わかばならきっと、素敵な恋人ができるよ」

「そ、それはどうも……?」


 素敵な恋人。

 小牧は素敵だろうか。性格はあんまりよろしくはないと思うが、中学生の頃から私のことが好きだとしたら、かなり一途だと思う。容姿については言わずもがなだけれど、感情は暴走しがちな気がする。


 私が男でも恋人になりたくない、なんて以前は思っていたが、恋人になったらなったで別に、普通に楽しいんじゃないかとも思う。肝心なのは、私の気持ちだろうけれど。


 その日は一日、夏織の彼氏の話で持ちきりだった。放課後になっても夏織は彼氏の話をしていたが、私と茉凛は彼女とは帰る方向が違うため、そこで話は打ち切りとなった。


 茉凛と並んで歩いていると、不意に彼女が手を握ってきた。小牧とは全く握り方が違うが、労わるような、優しい手つきだった。私は彼女の手をそっと握り返して、目を合わせた。髪と同じ栗色の瞳が、私を見ている。


「もうクリスマスだねー」

「そうだね」


 いつもと変わらない、なんとなく続く会話。それが心地よくて、私は目を細めた。


「来年も、同じクラスだといいよね」

「ほんと。大学も同じとこ行って、ずっと一緒に遊べたらいいね」

「だねー」


 会話が一瞬、止まる。私は白い息を吐き出しながら、遠い夏に思いを馳せた。


「……夏織、楽しそうだったね」


 私はぽつりと呟く。茉凛は微笑んでいた。


「好きになるってそんなにいいことなのかなー。私にゃわかんないなぁ」

「そう?」


 茉凛は首を傾げた。まっすぐ見られていると目力が強くて、少し落ち着かない。


「でもわかば、私のことは好きだよねー?」

「それはそうだけど」

「ならわからないことないよ」


 彼女は優しい声で言う。小牧に対する気持ちと、茉凛に対する気持ち。それはどちらも好きという言葉で表せるものなのだろうが、全く意味が違うと思う。


「彼氏とかに向ける好きとは、違うけどね」

「究極言うと同じだと思うよ? 気が合うとか、そういう単純な好きの中で、ちょっとだけ特別な好きが恋愛感情になるってだけだと思うし」


 茉凛はひどくのんびりした様子だった。


「わかばには、離れ離れになりたくない人はいる?」

「離れ離れになりたくない人……」

「多分、ずっと一緒にいたいと思う人より、離れ離れになりたくない人の方が好きなんだと思うよー」


 茉凛とは、できればずっと一緒にいたいと思う。気も合うし、一緒にいて落ち着くし、心地良いと思う。


 小牧とはどうなのか。明日小牧と急に会えなくなったって、多分私は大丈夫だ。私の心にはいつだって小牧が居座っているが、別に、離れ離れになりたくないわけじゃないと思う。


 隣にいたっていいけれど、隣にいなくたっていい。小牧は私にとって、そういう存在なのではないか。


 やっぱり、恋愛的な意味で彼女を好きになることなんて、ありえないと思う。でも、小牧と茉凛に対する感情を一緒にすることはできなくて。じゃあ一体なんなんだと言われれば、わからないとしか言いようがない。


「わかばにはそういう人、いるんじゃない?」

「今は、わかんないかな」


 そもそも小牧は私のどこを好きになったのだろう。本当はいつから好きで、いつ頃私の特別になりたいと思うようになったのか。


 わからない。

 私だって、小牧に好意を抱くようになった理由なんてわからないのだ。ただずっと一緒にいたら、いつの間にか彼女の笑顔が見たくなって、幸せになってほしいと願うようになった。


 嫌いになった時みたいに、明確なきっかけはない。

 好きだから、好き。いわばそういうものな気がする。

 いや、嫌いか好きかで言えば好きというだけで、小牧が私に向けてくる好きと同じとは到底思えないのは確かなのだが。


「……そっか。梅ちゃんとは、どう? もう仲直りした?」


 見透かしているかのように、彼女は小牧の話をしてくる。


「まあ、それなりに」

「前みたいに、仲良くなれるといいね」


 昔の小牧のことは思い出せても、昔の小牧私の関係はいまいちよく思い出せない。前に戻ることは不可能だ。私たちの関係には不純物が混ざりすぎていて、元の形に戻すことはもう叶わない。


 もし、私が以前と似た形で彼女と仲良くできる時が来るとすれば。

 それは、彼女と私の感情の重さが釣り合った時なのだろう。


「無理だと思う。前みたいには」

「なれるよ。二人は、特別だから」


 茉凛は意外なまでにはっきりと言ってから、私に笑いかけてくる。


「じゃあね、わかば。また明日」


 いつの間にか彼女の家の前に着いていたらしく、彼女はそのまま家の中に入っていってしまう。繋がれた手が離れると、急に寒くなるような気がする。


 手袋、しているのに。

 自分の手を見ていると、不意に、誰かの手が伸びてくるのが見えた。はっとして顔を上げると、やっぱり小牧がいた。急いで来たのか、彼女は息を荒くしている。無数の白い息が宙に浮いては、消えていく。


 小牧は私の手をそのまま握ってくる。驚くほどに強い力である。まるで、離さないとでも言われているかのようだった。同じ手を握られているのに、茉凛とは違いすぎる。私は一瞬固まってから、彼女の手を握り返した。


「……一緒に帰る?」

「……うん」


 最近の小牧は素直だ。

 あれだけのことをしてきたのに、私に嫌われることを恐れているのか、顔色を窺うように目をきょろきょろさせている。私は歩きながら片っぽの手袋を外して、彼女の頬に触れた。


「ほっぺ、冷たい」


 手袋の中で温かくなっていた手が、急速に冷えていく。何度も彼女の頬には触れているが、いつ触っても頬は頬だ。変わるわけじゃない。


「もっと、触ってもいいよ」

「そう言われると触りたくなくなる」

「……」

「うそ。冗談」


 私はぺたぺたと彼女の頬に触る。化粧、崩れたりしないかな。少し心配になったが、どうせ帰るだけなのだからいいか、と思い直す。


「もうすぐクリスマスだね」

「クリスマス、予定あるの?」

「イヴはないよ。クリスマスは茉凛たちと一緒に出かける予定だけど」

「じゃあ、イヴはもらう」


 小牧は私を見つめながら言う。最近の彼女は、いつもこうして真剣な目で私を見ながら言葉を発するのだ。


 落ち着かないなぁ。

 彼女は私の気持ちを確かめようとしてこない。嘘で好きと言うこともできないから、私は結局よくわからないまま彼女と一緒にいるのだ。だが、彼女が自分の心中を吐露してくれたのだから、私も彼女に対する感情を言葉にしなければならない。


 今の彼女を見続ければ、いつかそれを口にできるはず。

 そう思いながら、私は彼女に笑いかけた。


 彼女はぎこちなく笑おうとしていたが、うまく笑えない様子だった。嘘でもいいから、前みたいにわざとらしく笑ってくれればいいのに、と思う。

 笑ったら笑ったで、私は困ると思うけれど。

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