第4話
私と小牧の勝負の歴史は、約十二年前に遡る。あまりにも可愛くてかけっこも他の遊びも得意だった小牧が気に入らなくて私が勝負を挑みました、以上。
それからずっと負け続けて今日に至る。
幼馴染という言葉には、なんだか甘酸っぱい恋でも始まりそうな素敵な響きを感じる。
しかし、実際は当然恋なんて始まらない。私と小牧は好き合っているどころか嫌い合っていて、いつだって火花を散らしている。
いや、一向的に私が火花をぶつけているだけかもしれないけど。
「ごめん、待った?」
初々しいカップルの如き台詞。私はぞわりと肌が粟立つのを感じた。端的に言えば気持ち悪い。小牧もそれをわかっているだろうに、にこにこ笑っている。にこにこというか、にっこにっこ笑っている。
「待った。十分待った。暑いし、最悪」
待ったというのは本当のことだった。私は待ち合わせに遅れるのが嫌いだ。待っている人はきっと来るかどうか不安になったり、手持ち無沙汰になったりする。
そういうのを待ち合わせ相手に味わわせるのは忍びないので、いつも早めに来るようにしているのだ。
相手が小牧でもそれは変わらない。彼女のことは嫌いだけど、進んで嫌な思いをさせるつもりはない。
そりゃあ憎まれ口を叩くことはあるし、勝負でボコボコにしたいという気持ちはある。でも、自分が大事にしているポリシーを崩してまで嫌な思いをさせるのは違うと思う。
何のこだわりだ、って話だ。待たされたからって嫌な思いをするほど、小牧は繊細じゃないだろうとも思うし。
「それはそれは。かわいそう」
笑いながら、彼女は私の額をハンカチで拭ってくる。
「じゃ、行こっか」
彼女はそう言って、自分の腕を私の腕に絡ませてきた。正直不気味だ。怖いし。でもこれは罰ゲームみたいなものだから、私をこういう気持ちにさせるのが目的なのだろう。
何でこんなことになったかというと、前にカラオケ勝負で負けたせいだ。
あの後、彼女は初めてのデートを私に捧げてもらう、なんて言い出した。確かに初デートも私が大事にしようとしていたものの一つだ。
初めてできた彼氏とドキドキワクワクしながらデートして、それで、帰り際にキスなんかしちゃったりして。今まで繰り返してきたそんな妄想は今更無意味だった。
「どこ行くの?」
「わかばちゃんが好きそうなとこっ」
小牧は甘い声で言う。キモい。
「……」
「デートだって言ったじゃん。もっと楽しそうな顔したら?」
彼女はすっと素の声に戻った。わざとらしい声よりも、よっぽどいいと思う。南国の海みたいに澄んで透き通っていながらも、どこか乾いているような、そんな声。嫌いだけど、好きだ。
「しなかったら尊厳云々言うつもりでしょ。知ってる。……こーまきっ! 私の好きそうなとこってどんなとこかなー?」
私は虚勢を張った。頬が引き攣りそうになるのを抑えて笑いかけ、絡んだ腕に力を込める。そんな私を、小牧は無表情になって見つめていた。
「……何?」
「小牧って」
小牧は私をじっと見つめる。髪色と同じで茶色い瞳が、私をぼんやり映している。
「久しぶりに呼ばれた」
確かに、二年ぶりに呼んだかもしれない。中学二年生の頃、小牧を決定的に嫌いになる事件が起こって、それに伴って私は彼女のことを梅園と呼ぶようになった。
一時期は顔も見たくないほど恨んでいたが、時が経つにつれて恨みのような感情は薄れて、昔と同じように純粋に気に入らない、という程度に戻った。それがいいことなのか、悪いことなのかはわからない。
でもあの事件を経て、私は彼女だけでなく、自分のことも少し嫌いになった。
「デートなのに苗字呼びは変だから。それだけ」
「……苗字で呼び合うカップルもいると思うけどね」
「じゃあ、呼べば。吉沢ーって」
「わかば」
彼女が私の言うことを聞くわけがないのはわかっている。だから私はそれ以上何も言わなかった。
引っ張られて、歩き出す。小牧は下々の者に歩調を合わせたりなんてしないので、私が少し早足になる。
身長の差を嫌でも感じた。
昔は私よりもちっちゃかったのに、いつの間にか私よりもずっと大きくなった。私たちの関係も昔とはちょっと変わって、今では尊厳を奪い合う関係になった。それは間違いなく悪いことだろう。
なんだかな、と思う。
大きくなって、背筋をすっと伸ばして、前を向いて。堂々と歩く彼女を見ると、少し、ほんの少しだけ。
よかったね、なんてことを思ってしまうのは。
それは、私がまだ、昔のことを気にしているせいなんだろうか。
もう十年近く前のことなのに。
一瞬、脳裏に幼い小牧の顔がチラついた。
「ここ」
小牧はある施設の前で止まった。私たちはショッピングモールで待ち合わせて、モール内を歩いてここまできた。
ガヤガヤうるさくて無駄にカラフルな機械ばかり並んだその施設は、間違いなくゲームセンターだった。
「ん……」
嫌いではない。楽しいという感情だけを詰め込んで、ジップロックで真空保存したみたいなこの空間は、確かに好ましく思う。でも、別にもっと好きな場所はある。なぜ小牧はここが私の好きな場所だと思ったのか。
嫌がらせ、ではないのだろう。本気で嫌がらせをしたいのなら、彼女はもっと最悪な手段をとる。私はそれを痛いほどよく知っていた。
だとしたら、本当に彼女は私の好きな場所がここだと思って連れてきたということになる。しかし……。
「なんで?」
なんでここに?
疑問と共に声を発すると、小牧は笑った。
天使のような笑み。それを崩したくなるのは敵意からか、それとも。
「よく来るんでしょ、クラスメイトと。……昔、私ともよく来てたし」
私と小牧は別のクラスなのに、どうしてそんなことを知っているのだろう。だが、そんな疑問よりも、かつてよく来ていたことを覚えている方が驚きだった。
「それ、小学校の低学年だった頃でしょ。よく覚えてるわ」
「私は頭の出来がいいから。わかばと違って」
「私と違っては余計」
二言目には私を馬鹿にしなければならない病気にでもかかっているのだろうか。私は小さくため息をついた。
ため息はゲーセンのざわめきに消されて、意味をなくしていく。
「でもま、贅沢な子供だったよね。放課後ゲーセンで遊びまくるなんてさ」
私はするりと小牧の腕から抜けて、クレーンゲームの方に歩く。ここには低学年の頃よく来ていた。高学年になってからは他の遊びが多くなったから、自然と足が遠のいたのだ。
あまり変わっていない。全体のレイアウトは少し変わったかもしれないが、雰囲気とか、床の汚れ具合とかは当時のままだ。
昔はよくこうして、小牧と二人肩を並べてクレーンゲームをしたものだ。
かつて彼女と取ったいくつものぬいぐるみは、まだ私の部屋で眠っている。多分、小牧はとっくの昔に捨てているだろうけれど。
「いつも友達と行ってるとこ、アーム弱いんだよね。確率機ってやつ? ここはどうだっけ」
私は百円を入れて、アームを動かした。ピカピカ光って頑張れだとかなんだとか、そんな音声が流れる。あまりにもチープな音声に、思わず笑みが出る。
謎のキャラクターをアームで掴むが、撫でるだけで上手く持ち上がらない。私が悪戦苦闘している様子を、小牧は楽しげに眺めていた。
やっぱり、性格悪い。
「梅園は? ゲーセン、今でも来てんの?」
小牧は私に肩を寄せて、ボタンを奪ってくる。アームが引っ掻くようにぬいぐるみを動かして、ぽとりと穴に落とす。
彼女はそれをすぐに取り出した。
「さあね。どっちだと思う?」
小牧はボールみたいにぬいぐるみを上に投げて、キャッチしてを繰り返す。私はいたたまれない気分になり、小牧からぬいぐるみを奪った。
「どっちでもいいけど、かわいそうだからやめて」
「ぬいぐるみがかわいそうって、馬鹿なの?」
「馬鹿でいいよ」
私は見たことがあるようなないような、よくわからないキャラクターのぬいぐるみを撫でる。ぬいぐるみは微笑んだりしないけれど、私は少し満足した。
「……ねえ」
小牧は両手を軽く握っていた。機嫌が悪い時にやる仕草だ。どうしたのかと思っていると、不意に腕を掴まれて、引き寄せられる。
この流れはアレだな、と思い、咄嗟に顔を背けるが、それに合わせて唇にキスを落とされる。
ゲーセンのざわめきが遠のく。
小牧の熱や匂い、感触が全身を包むみたいに襲ってきて、呼吸の仕方を忘れそうになった。最近毎日のようにキスをしてくるのは、やはり、これが一番私の尊厳を傷つけられる方法だと知っているからなのだろうか。
キスは好きな人とするものだ、なんて、昔小牧と話したっけ。
どういう流れでそんな話をしたのかは、もう思い出せない。私のような下賤な人間とは頭の出来が違う小牧様は覚えているだろうか。
「ワンパターン」
私はせめてもの抵抗でそう言った。背が高い小牧がわざわざ私に合わせて屈んでキスしようとする様は、ちょっとおかしかった。
もっと大きくなって、キスをするために屈むのがもっともっと大変になってしまえばいい、と思う。
私がくすくす笑っていると、小牧は気分を害したのか、私のシャツをめくろうとしてくる。
「ちょおっ……」
「ツーパターン目、見せてあげようか」
白昼堂々外で人の服を脱がそうとするなんて、イカれている。人気やカメラがないところならまだしも、クレーンゲームにはカメラがついているのだ。このままではしょっ引かれかねない。そんなの小牧だってわかっているだろうに、止まる気配がない。
へそが出て少し寒くなって、さらに上へ。
私は叫んだ。
「勝負! するっ!」
小牧の動きがぴたりと止まる。最初からこれを言わせるつもりだったのだろう。完全に誘導されて、私は禁断の言葉を口にしてしまった。
「なにで?」
「ん……と……」
私は辺りを見渡した。クレーンゲームで勝てないのは明白である。メダルゲームも無理だろう。レースゲーム、ホッケー、絶対無理。
絶望しかけたその時、珍しいゲームが目に入る。
「あれ!」
「……麻雀?」
私が咄嗟に指差したのは、古めかしい麻雀ゲームだった。それは対戦できるようなものではなさそうだが、この際構わない。ルールはよく知らないけれど、お父さんが前に友達と遊びながら、「麻雀は運が九割だ!」なんて叫んでいるのを聞いたことがある。
あの時のお父さんはビリだった。でも、運ならば私にだって勝ち目があると思う。
「一回ずつプレイして、点数が高かった方が勝ち! どう?」
「いいよ」
麻雀のルールなんて、小牧だって知らないはずだ。今度こそ勝って、小牧が好き勝手に動くのをやめさせないといけない。
このまま尊厳を奪われたままだと、いつか私は警察のお世話になってしまうかもしれない。
それは流石に、困る。
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