異世界執事は仕えたい
楽太
第1話 異世界執事は叱りたい
「ケンジ、居る?」
温かな朝日が差し込むダイニングで、幼さの残る可憐な少女がコーヒーカップ片手に俺の名を呼ぶ。
彼女は、このライラプス王国の公爵令嬢にして我が主、ミルザム・フォン・アラトス様だ。
俺は軽く目を瞑り、左手を腹部に当て、右手を後ろに回して執事の礼を取る。
「はい、御座います」
御先祖様である精霊から受け継いだ、艶やかな銀髪と、白磁の陶器のように白い肌、そして――。
「お嬢様の目の前に」
――そのry。
「ふんっ!」
「ぐふっ!」
突如、腹部に衝撃が走り、目を見開く。
すると見えたのは、拳を振りぬいた状態のお嬢様。
その拳は、腹部に当てられた左手を絶妙に掻い潜り……俺の鳩尾を貫いていた。
「な、何するんですか、お嬢様……」
俺は鳩尾から響く鈍痛に崩れ落ちる。
人がせっかく、ラノベの人物紹介っぽいモノローグを脳内再生していたっていうのに!
「あなたが嫌味ったらしい言い方をするからでしょ! この馬鹿執事!」
「嫌味ったらしい言い方って何ですか、俺、そんな失礼な事言いました?」
俺が言うと、お嬢様は頬を膨らませる。
「『はい、御座います、お嬢様の目の前に』って、目が見えないわたしの事を馬鹿にしたでしょ!」
と、言うわけで、ご丁寧に俺の声マネまでして、意味不明な主張をぶつけてくる金糸の刺繍が入った黒い眼帯で両目を覆った
十三歳の時に異世界へ飛ばされ、訳も分からず奴隷商に攫われ、同じく捕まっていた少女と共に逃げ出したら、それがなんと公爵令嬢だったと言う、何ともご都合主義的な紆余曲折を経て四年、今に至る。
それにしても、俺は今、そんな荒唐無稽な勘違いで殴られたのか……。
あー、イライラしてきた。
ちょっと俺の主人で、命の恩人で、俺より五つも年下だからって生意気すぎるぜ全く。
これは少し、お仕置きの必要があるな……。
「俺がお嬢様を馬鹿にするわけがないでしょう、馬鹿はお嬢様です」
「あー! 今、私の事馬鹿って言った! 馬鹿って言った方が馬鹿なんですー!」
おーおー、リアルでその言葉を聞くとは思わなかった。
だが、流石はお嬢様、頭が弱い。
「その理論で言うと、先に馬鹿と言ったのはお嬢様なので、お嬢様が馬鹿という事になりますが?」
俺はお嬢様を、お嬢様が自ら掘った墓穴に落っことす。
「じゃあ馬鹿って言った回数! たくさん馬鹿って言った方が馬鹿なんです!」
おっと、さてはお嬢様、墓穴に落っこちたことに気付かずにまだ穴を掘っているな?
「お嬢様が八回、俺が四回。ダブルスコアでお嬢様の負けですね」
ならば、遠慮なく土を被せさせて貰おう。
「ムキーっ! あなた、わたしの執事でしょ! もっとわたしを崇めなさい! 称えなさい! 甘やかしなさい! そして毎日フルーツタルトを献上しなさい!」
「太りますよ」
「わ、わたしは半精霊だから太らないもん!」
「どんな理屈ですか……それに、俺には、お嬢様を立派な公爵令嬢に育て上げるという、閣下から授けられた大切な使命があるのです」
「はん! どうせ、お父様はわたしのことなんて何とも思っていないわよ! 私は一生この小さな家でなんちゃって執事と一緒に生きていくの!」
おいコラ、誰がなんちゃって執事だ、その通りだ。
なんて軽口を叩きたいところだが……聞き捨てならない言葉があった。
「お嬢様」
俺はお嬢様の手を取る。
「な、何よ……」
急に真剣な声で話しかけられた事によほど驚いたのか、お嬢様は動揺したように身動ぎする。
「閣下はちゃんと、お嬢様の事を想っておいでです。俺は毎週、閣下にお嬢様の様子を聞かれますし……それに、閣下がお嬢様をを人から遠ざけた理由は、お嬢様自身が一番良く分かっておいでな筈です」
お嬢様は、先祖返りの半精霊として生まれた。
精霊は魔力生命体であり、生まれつき、ある特殊な能力を持っているらしい。
それは、魔力を通して五感から人の感情を読み取る力。
半精霊であるお嬢様にも、その力は備わっていた。
しかし、公爵令嬢として生まれたお嬢様にとって、それは不運な力だった。
公爵家には、日々様々な思惑を持った者達が訪れる。
お嬢様の幼い心は、それに耐えられなかったらしい……お嬢様は、自らの両目を潰した。
「閣下は、二度とお嬢様が自らの精霊の力によって傷つかないように、お嬢様を隔離したのです。小さな家に住まわせたのだって、目が見えないお嬢様を気遣っての事でしょう。あまり、閣下の事を悪く言ってはいけませんよ?」
閣下はこの王国でも随一の善政を敷く貴族として有名なお方だ。
民衆第一主義のその姿勢は一般民衆から多大な支持を受けており、優れた政治手腕で富裕層からも高い信頼を得ている。
俺も何度かお目にかかる機会があったが、好感の持てる人物だった。
「……そんなんじゃないもん、そんなんじゃないもん、そんなんじゃないもん」
ん?
不穏な空気を感じ、お嬢様に注意を向けると……お嬢様が顔を赤くしてプルプルと震えていた。
ああ、これは、マズイ。
「ケンジの馬鹿ああああああああああああああああああああ!」
コーヒーカップに入ったチョコレートミルクを盛大に俺の顔にぶちまけて、お嬢様は家を飛び出して走り去っていく。
「ぶっ! 甘っ!」
毎度思うが、何故お嬢様は目が見えないのに全力疾走出来るんだ。
訳が分からん。
しかし……。
「少し、説教臭く言いすぎちまったかな」
まあ、昼過ぎにはお腹を空かして帰って来るだろう。
「仕方ない、今日はお嬢様の好きなフルーツタルトでも作ってやるか!」
本当は明々後日に控えたお嬢様の誕生日ケーキの為に買っていた材料だが仕方がない。
いくら好物とはいえ、普段食べているケーキを誕生日にも食べさせるのはどうかと悩んでいた所だし。
そうだ、いっその事、誕生日ケーキは今までにないくらい豪勢にしてやろう。
「買い出しはいつ行くか……」
俺がチョコレート濡れの頭を拭く為のタオルを探しながら思案していると、何かが小窓を叩く音がした。
伝書鳩用の小窓だ。
「何だ? 定時連絡はまだ先な筈……一体何の連絡だ?」
俺は不思議に思いつつも、小窓を開けて伝書鳩を迎え入れ、手紙を受け取り開封する。
「赤紙……ということは、本邸への招集か。むこうで何かあったのか?」
事前に取り決められた色による暗号文である為、詳しい内容は分からないが……何故だろう、少し嫌な予感がする。
「まあ、どんなに嫌な予感がしたとしても、行く以外の選択肢は無いんだけど」
それが、雇われの身の辛いところである。
けどまあ……。
「まずは体を洗って、服を着替えて、出発はタルトを作り置きしてからにしよう。ついでに、もしも夕食までに戻れなかった場合に備えて夕食の作り置きも、それから、帰りにダイスさんの店に寄って、お嬢様の誕生日ケーキの材料も買って帰ろう」
主人の命令は絶対だが、多少命令の隙を突く位は良いだろう。
全ては、お嬢様の為に。
お嬢様に仕えると決めたあの日から、俺の残り少ないこの命は、全てお嬢様に捧げると決めているのだから。
俺はタオルを手に取り、チョコレートミルクの滴る老人のように白い髪を拭きながら風呂場へ向かった。
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