迷宮のスモーキング

@maxyamada

第1話

「ここも禁煙かっ!」


とある公園に叫び声と共にベンチを蹴り上げる音がこだまする。

男の名は土煙好太(つちけむりこうた)

最近40になったばかりの童顔の男は喫煙禁止の看板を横目にタバコに火をつける。

内心では良くないと思いながら、喫煙スペースを設けない行政が悪いと責任転嫁し、自己の行動を正当化する。

良心の呵責に苛まれながら吸うタバコは特に旨くもないが、麻薬と同じ成分の白く細長い物体は心の喧騒を鎮めるのに十分な効果を持っていた。

公園で遊ぶ幼子とママはそそくさとその場を離れ、好太はベンチに一人取り残される。


「チッ…俺がタバコ税払っているからガキが学校行けるんじゃねーか」


ゆらゆらと空に霧散する白い煙と共にに好太はポツリと毒を吐く。


「カシュッ!」すると突然隣から缶の蓋を開ける音が聞こえたので目をやると、さっきまで誰も居なかったベンチに一人の男が腰掛けている。

男は夏にも関わらず黒のスーツに身を包み黒のハット。

大きな口に大きな眼をこれでもかと見開いて開けたばかりのスポーツドリンクを一気に飲み干していた。


あまりに奇天烈な出立ちに暫く見入ってしまっていると男は一つ二つ咳をして好太の方を見やってきた。


「失礼ですがここは禁煙ですよ。少し煙たいので喫煙はご遠慮下さい。」


男が話しかけて来たので好太もムッとしながら言葉を返す。


「そんなこと言ったって仕方ないだろ。だったらあんたが喫煙所を用意してくれよ。文句があるなら行政に言いな。」


男は笑顔が張り付いたような陰のある顔で男にこう問いかける。


「あなたタバコが止められないんですね?可哀想に…たかだか煙ですよ。

そんなもので人生を棒に振り続けるなんて虚しいじゃありませんか。」


男の放った悪意のない正論に好太は思わずカッとなり、黒づくめの胸倉を掴む。


「もう一度言ってみろ!その前歯を全部折ってやるぞ!」


凄む好太に男はそっと話しかける。


「お気に触ったのなら失礼。謝ります。

実は私もタバコが止められない人間だったもので見ていられなくてね。」


好太は力を込めた腕を弛め、同じ境遇だと語る男に幾分か気を許した。

話を聞いてみると男はとある商品でタバコをすっぱり止められた事。そして今ではその商品の訪問販売を生業にしている事を好太に話した。

男の名は喪荷服素蔵(もにふくすぞう)。


「よかったら試してみませんか?ちょうど最後の一つが残ってるんです。」


男の巧妙な話術に感心しながらも効果が無かったらどうすると好太が問う。

男はその場合はお代は返金すると言って一枚の名刺を差し出し大きな口でニヤリと笑った。


「万が一効果が無ければこちらにお電話して下さい。お代は返金致します。

そちらの商品の名前は『No smoking』タバコと同じ形をした商品です。

一日の始めに家で一服してから外出して下さい。たったの一服でその日はもうタバコを吸おうと思わなくなります。

ただし…もし喫煙禁止の場所でそちらの商品を吸ってしまうとペナルティがあります。

夕方されてしまうでしょう。

その時は頑張って神様になって下さいね…」


好太は意味不明な男の言葉にイライラが募った。

夕方されてしまう?神様になる?

意味の分からん事ばかり言いやがって!

喪荷は好太の心情を察するように口頭だけじゃなく書面の説明書を渡すか尋ねたが好太は拒否する。


「要するに家で吸えばいいんだろう!」


好太の問いに喪荷は


「その通りです。くれぐれもルールはお守り下さいね。」


そう言って真っ赤な夕焼けに向かって歩いて行ってしまった。


おかしな野郎だな。

好太は再びベンチに腰掛けると性懲りも無くタバコに火をつけて物思いに耽った。



翌朝。

半信半疑でNo smokingに火をつけ、タバコの要領で煙をふかす。

特段変わった様子は見られず、騙されたかと好太は一瞬思ったが、イライラが募らない事に気づく。

自身の変化に困惑しつつも好太は急いで出社して行った。


その日は結局タバコを吸う事もなく、万事が上手く行った。

タバコを吸う理由の一つがイラつきを抑える事だったが、この日は終始穏やかで好太は完全にNo smokingの効果だと確信していた。


それからの好太は人が変わったように穏やかになり、業績も給料も上がり良い事尽くめだった。

そんなある日、新しくできた彼女とのデートの約束に追われ、好太はNo smokingを吸うのを忘れてしまう。


「しまった。」


物自体は持ってきていたものの、このご時世どこも禁煙で吸える場所がない。

彼女とデパートでの買い物中で絶え間なくイライラが襲ってくる。困り果てた好太は喪荷の忠告を無視してお手洗いに駆け込みNo smokingに火をつけてしまう。

するとその時、館内放送が流れ聞き覚えのある声が聞こえてくる。


「吸ってはいけません。まだ間に合います。No smokingの火を消してトイレの外に出ましょう。」


好太は喪荷の声に驚きつつもこのままイライラを抑えられずに彼女にフラれるくらいならと思い切りNo smokingを吸い込んだ。

瞬時にイライラが治まり、安心してトイレのドアを開けると目の前に喪荷が立っていた。


「あなた…約束を破りましたね。

約束通り夕方されて下さい。

神様になるまで…」


意味不明な喪荷の言葉にイラつきが再燃した好太は思わず殴りかかる。

その時、館内放送のスピーカーから大きな声で音が流れた。


『ドーーーーーーーンっっっ!!』


その瞬間、好太の意識は薄らいでいった…


………

……


ワーッ!ワーッ!

好太は歓声を耳にして目を覚ます…

すると目の前にはゆうに200キロはあろうかという巨体の力士が好太に睨みを利かせている。

場の状況が飲み込めない好太だったが自身も廻し一つで土俵に立っている事に気づく。


実況「さぁ今場所も始まりました。現在も日本人横綱は不在。今場所は好太に期待したいですね!」


実況の声が聞こえた好太は観客席に目をやると彼女が横断幕を持って枡席に座っている事に気づいた。

横断幕には『No smoking』の文字。

いや、よく見ると『No smouking』。

直訳すると横綱不在?

夕方される…って…ひょっとして『u』が足される?


そんな逡巡が頭を巡っている最中。


「はっきよい!!!」


行司の掛け声と共に強烈な張り手が好太を襲い一瞬で好太は地に突っ伏した。


実況「あーっと!!猛省山(もうしょうざん)の強烈な張り手で好太撃沈www

呆気ない一番になりましたね!

今年も日本人横綱は不在のまま。

横綱は神様ですからね。そう簡単にはなれないでしょう。」


好太は薄れゆく意識の中で喪荷の神様になって下さいの意味を悟ると共に、自身の喫煙を悔やんだ…。


………

……

「タバコと言うのは非常に罪の重い趣向品ですね。

本人だけが病気になるならまだしも周りの人間をも巻き込んでしまう。

ルールを守って楽しく嗜むのが趣向品です。

でないと煙たがられるのはタバコでなくあなたかも知れませんよ?

おーっほっほっほっほっ」


次に喪荷が現れるのはあなたの隣りかも知れません。


終劇

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