ステンドグラスの向こう側で花が咲きますように

希渡

第1話

 夏休みに入って、二週間。私は今、一人で電車に揺られている。窓の外を眺めて、ため息をつきたい気持ちでいっぱいだった。ああ、早く着かないかな。私の心とリンクしているかのように空は曇っていた。夕方の曇りは暑くなくてちょうどいい。私は今、いわゆる家出をしている。目的地は一時間ほど電車でかかるおばあちゃんの家だが。おじいちゃんは数年前に他界していて、今おばあちゃんは一人暮らしだ。


 私が家出した原因は、あそこにいる時間たちが息苦しかったから。学校は居るだけで息が詰まる。みんなをみると味方はいない、と思う。私以外の全員が一つも悩みなく毎日を幸せに過ごしているように見えて苦しくなる。

 家では父親も母親もスマホに夢中で私の話には聞く耳を持たない。でも、妹たちとは楽しそうに話しているから余計メンタルがやられる。「どうして私の話は聞いてくれないのに妹たちの話は聞くの?」「どうして私のことでは笑顔になってくれないのに、むしろ貶すことばかり言うのに、妹たちとは笑っているの?」不思議だった。苦しかった。「私は嫌われているんだ」「いらない存在なんだ」そう、思うようになった。こんな家にいるのはもう嫌だ。このままでは私が枯れてしまう。壊れてしまう。だから私は家を飛び出した。今まで貯めてきたお小遣いやお年玉を引っ張り出してきて、計画を立てて、誰にも言わずに。心配してもらいたいから家出したんじゃない。連絡が欲しいとも思ってない。ただ、自分の為に逃げ出したのだ。自分を守るために。



私は昔からいつも褒められたいと思っている子だった。そのために勉強をがんばってきた。テストでいい点をとって、中学の頃だって成績表はほぼオール5だった。なのに、誰にも褒めてもらえなかった。「どうしてもっと褒めてくれないの?」と思っていた。でも高校3年生になって気づいた。両親は褒めるのが苦手なのだと。それならしょうがないか、と思う反面、それでも、もうちょっと意識して褒めてくれたらいいのに、とも思った。自覚がないのかもしれないけれど。両親は両親でも褒められなかった過去があるのではないか。だから、私たちのことも褒めてくれないのでないか。それならしょうがないのかな。我慢するしかないのかな。あのまま耐えることが正解だったのだろうか。そんなことを考えていると、いつの間にか目的の駅に着くアナウンスが鳴った。


 おばあちゃんの家は少し駅からは遠い。バスを使って行くという手段もあるけれど、歩いていける距離なので頑張って歩く。何かあったときの為になるべくお金はとっておきたい。


 おばあちゃんの家の前についた。人影はないけれど、一応呼び鈴を鳴らしてみる。予想通り。やっぱり返事はない。どこかに出かけているのかも。とりあえず玄関の段差に座って持ってきた本を読みながら待つことにした。でも、頭に文字が入ってこない。お母さんもお父さんも私のこと心配してくれてないのかな。そんなことを考えている自分に気づいて私はやっぱり心配してもらかったのだと一人で苦笑する。


 ぼんやりとおばあちゃん家のよく手入れされた庭を見ていると、「よいしょ、よいしょ」と言いながら、誰かが歩いてきたことに気付いた。帽子を被って下を向いているから顔がよく見えないけれど、おばあちゃんだと気づいた。

「おばあちゃん!」

 おばあちゃんは顔をあげて、不思議そうな顔をしたけれど笑顔になった。

「あれ、なんでいるの?」

 おばあちゃんの優しい声に泣きそうになるのを堪えて、笑顔をつくる。

「遊びにきたよ!一人でだけど」

「そうかそうか。久々に会えて嬉しいよ。お入り」

「ありがとう」

 おばあちゃんが理由を聞いてこなかったのはありがたかった。どうして、と聞かれるとそれはそれでなんだか返答しづらいし、きっと泣いてしまう。私は本音を言う時に泣いてしまう自分のことが嫌いだった。私はおばあちゃんの手からパンパンのエコバッグを取って台所に置いてから自分の荷物を家に入れた。

 おばあちゃんの家は自然に囲まれている。山の奥ってほどではないけれど、自然が多くてのんびりできる場所。昔ながらの畳の部屋が一部屋だがあるのも良い。だから私はおばあちゃんの家が好き。もう一つ、私にはこの家のお気に入りがある。それは、二階に上がって廊下の突き当たりの壁に入り組まれているカラフルなステンドグラスの大きい窓。おばあちゃんがこの家を立てるときにどうしても作りたいとお願いして作ってもらったらしい。夕方になると光がそこに綺麗に差し込んでカラフルなステンドグラスがきらきらと光る。そこが昔からのお気に入りの場所だった。よく昔はできたカラフルな影で「きゃあきゃあ」と笑いながら一人でも、妹たちとも一緒に遊んだ。


「ねえ、おばあちゃん。しばらく泊まってもいい?」

 私は恐る恐る聞いてみた。なにせ私は泊まる気満々でここへ一人でやってきたのだ。

「いいですよ、もちろん」

 おばあちゃんは笑顔で答えてくれた。それにほっとして、少し肩の力が抜ける。

「それじゃあ、寝るところを考えないとね。どこがいいかしら。昔お母さんが使ってた部屋なら自由に過ごせると思いますけど」

「いいの?じゃあその部屋にする」

「そうなれば、少し掃除をしないとね。一応、掃除機とかはたまにかけているんだけど。掃除機をかけて、布団も出してきましょう」

「うん」

 私とおばあちゃんは二階に行って一緒に掃除をして、布団をベッドの上に置いてベッドメイキングをした。お母さんのものはほとんどなかった。実家を離れる時に結構処分したらしい。だから、棚も机の引き出しも空っぽ。お母さんは物への執着心がほとんどない。そのおかげで掃除は割とすぐ終わった。気がつくと時計の針は六時を示していた。

「そろそろお腹も空いたでしょう?今から夕食を作ってくるからのんびりしていなさい。出来たら呼びにきますから」

 そう言って、おばあちゃんは一階に降りていった。


 私はふかふかのベッドに飛び込んだ。どうしておばあちゃんは何も聞いてこないのだろう。私が突然来た事を不思議に思わないのだろうか。すると、一階からおばあちゃんの声が聞こえてきた。誰かと話してるみたいだ。お母さんかな?と思いながら、仰向けに寝転がる。

「ここに来てますよ。私にはあなたがちゃんとあの子のことを見てたとは思えませんけれど。…孫には甘いですって?自分の子供も孫も両方大切ですよ。しばらくはここに泊めていきますから…私はいつだってあなたたちが幸せであることを願っているのよ…私はあの子はとても感受性の豊かな素晴らしい子だと思います」

 なんだか揉めているのだろうか、私のせいで。これでお母さんとおばあちゃんの仲が悪くなるのは嫌だなあ。でも、こうするしかなかったんだからしょうがない。お母さんたちが悪いんだ。私は体を起き上がらせてベッドに座る形になった。...「感受性の豊かな素敵な子」か。そんなことを言われたのは初めてかもしれない。感受性が豊かってことは感受性が強いってことだ。それは良いことなのだろうか。良いことも悪いこともあるのではないか。よく分からないけれど、少し嬉しい。そういえば、おばあちゃんは私のことを真面目だね、とかいい子だね、とかそんな言葉は言わなかった。私は真面目だとかいい子だとか言われるのがどうも嫌なのだ。…褒めてもらいたいくせに。そういう言葉は私を縛りつけて身動きを取れなくする。だからそんな風に言われるのは嫌だった。矛盾しているのではないか、と思う。いや、でも違う。私はただ頑張った過程を褒めてもらいたかっただけなのだ。「よく頑張ったね」って褒めてもらいたかっただけなのだ。うん、そうだ。きっと、そう。私は一人で納得した。すると、おばあちゃんが上に上がってくる音がしたので、ベッドから起き上がる。

 コンコンと扉が鳴る。

「夕食ができましたよ」

 はーい、と返事をしておばあちゃんと一緒に一階に降りて楽しい夕食の時間を味わった。他愛もない話ばかりだったけれどたくさん笑った。こんなに笑ったのはいつぶりだろう。その後私は、食器を一緒に片付け、お風呂に入って幸せな気分で眠りについた。


 そこから何事もなく一週間が過ぎた。私はこれまでにない解放感と幸せを味わっていた。課題はおばあちゃん家にくる前に頑張って終わらせてきたので、私は好きなことをして過ごした。本を読んだり、絵の具で遊んだり、クロッキーをしたり…とにかく幸せだった。けれどこの生活を幸せだと感じるのは、あの狭苦しい学校や家があったからで。そう思うと、少し感謝したい気持ちも出てきた。いやいや、と頭をブンブン振る。あの時間たちのせいで私は枯れそうになったのだから、感謝なんか、、、しなくていい、、はず。あれ、どうしたんだろう。さっきまであんなに幸せで嬉しい気持ちでいっぱいだったのに。幸せってなんだろう。幸せって今まで良くも悪くも当たり前だったことがなくなったときに気づくものなんだろうか。よく、「当たり前だと思っていることが本当は幸せなことなんだよ」みたいなことを言う人がいるけれど本当にそうなのだろうか。私みたいに、誰からも褒めてもらえないことが当たり前の子にも、家が安心できる場所ではないことが当たり前の子にも、学校でいじめられていて居場所がないと当たり前に思っている子にも、そんなことを言うのだろうか。

 本当に、幸せって、何?誰か、教えてよ。震える声で精一杯小さく言った。誰かに聞こえるように、誰にも聞こえないように。

 コンコン。扉が鳴った。

「おやつ、食べませんか」

 食べる!と私は泣きそうになっていることに気付かれないように元気よく返事をした。

 おやつのクッキーを食べていると紅茶を飲んでいたおばあちゃんが不思議なことを言った。

「これは私のひとり言だから、聞きたくなかったら耳に蓋をしてね」

 不思議に思いながらも私は「うん」と返事をした。おばあちゃんはいつも、自分のことを「おばあちゃん」と言う。でも、今回は自分のことを「私」と言った。それにおばあちゃんは自分の今までのことや考えを整理しているみたいに話し始めた。


「私は昔よく幸せについて考えていた。私の環境は幸せでないと思っていたから。ある時それを『羨ましいな』と思っていた子に打ち明けた。そしたら、『そんなの私なんかよりはマシじゃないの!それ以上を望むなんてワガママよ!ひどい!』って言われた」

 私は「え、」と声にならない声を出した。

「私はその子に私の全てを打ち明けたわけじゃないし、私もその子の家庭事情は知らなかった。いつも明るくてポジティブな子だと思っていたから、私をきっと慰めてくれるだろうと期待していた。でも、それが違った。駄目なことだった。その子は、わざといつも明るく振る舞って、ポジティブな言葉を使って自分を励ましていた。そういう子が精神的に裕福な家庭で育ったとは断定できない。知らなかったらしょうがないと言ったら、それまでなんだけれど」

 私は黙って聞いていた。おばあちゃんは目を瞑りながら紅茶を一口飲んだ。

「その子は『明るくてポジティブな子』という鎧を纏って自分自身を守っていた。誰にもバレないように。おかしいと気づかれないように」

 どうしておばあちゃんは「幸せ」のことについて話しているのだろう。私のあの声が、聞こえたのだろうか。おばあちゃんは一段とゆっくり話した。

「でも、なんでも話してみなくちゃ分からない。話さないと、箱を開けないと、中身はわからない。みんな、透明な箱じゃないから。私は小さい子から大人にも聞いてみた。『あなたの幸せと感じる基準はなんですか?』って。まあ、急に何って驚かれたり、不思議な顔されたり、怪訝な顔されたりもしたけれど」

 おばあちゃんはフッと微笑んだ。

「そうしたら、いろんな答えが返ってきた。『毎日楽しいから毎日幸せだよ』『美味しいものを食べた時かな』『仕事が早く終わった時』『寝る前のあのウトウトする瞬間』とか。本当にいろいろ。まさに三者三様。誰も間違ってなんかないし、正解もない。それぞれがこれだって思うものがそれぞれの正解。けれどこれらの幸せの共通点は、全員ちゃんと自分を基準にして答えてくれたこと。誰かに言われた事を気にするんじゃなくて、誰かが言っていた事を気にするんじゃなくて、自分の気持ちを大切にする。そうしたら、『幸せだな』と感じることはきっと増える、とその時私は気が付いた」


 私は「あっ」と思った。私は私の気持ちを大切にしていなかったのだ。家でも学校でも言われることにひたすら耐え、言われたことが正解だと思っていた。『大丈夫なんかじゃなかった』のに、大丈夫と自分に言い聞かせ、必死に平然を装った。それが、当たり前だと思っていた。でも、それは違った。もうそのことには家出をする、と決めた時に気づいたはずだったのに、なぜか涙がポロポロとこぼれ始めた。私はきっと、泣くことを我慢していたのだ。まだ完全に自分の気持ちから蓋を剥がせていなかったのだ。おばあちゃんはそんな私に気が付いてはっきりとした口調で言った。


「これは貴方の人生なのよ。貴方が大切にしたいと思うものを大切にしていって。もっと人を頼って、相談したらいい。大丈夫じゃなかったら大丈夫って言っていい。我慢しなくていい。それはなにも悪いことじゃない『この人ならきっと大丈夫だ』と思って相談しても、時には相談する人を間違えた、と傷ついてから気付くこともあるでしょう。でも、心配しないで。貴方が手を伸ばして『助けて欲しい』と言っていたら貴方の手を引っ張って救いあげてくれる人に出会える。間違っちゃいけないのは、まだ手を伸ばしていないのに『誰も助けてくれない』と悲しみに暮れることよ」


 おばあちゃんは私のところへ来て、優しく、温かく私のことを抱きしめてくれた。私はいつのまにか小さい子みたいに声をあげて泣いていた。でも、もう「大丈夫だ」と思った。私がこれからやるべきことが分かったからだ。

 

 自分の気持ちを大切にすること。

 自分を大切に扱うこと。

 自分に嘘はつかないこと。

 手を伸ばすことを恐れないこと。

 そしてもっと大事な事は、手を伸ばし続けることを恐れないこと。


「いろんな色がある。いろんな形がある。だからいろんな光り方がある。決して同じものはないのよ。それに————」

 この言葉を聞いた時、あのカラフルなステンドグラスの窓が思い浮かんだ。凹凸の大きさも場所も色によって全部違うあの窓。時間帯によって光の加減が変わり影の揺れ方が変わるあの窓。おばあちゃんはこのことを忘れない為に、あの窓を作ったのではないか。


「ありがとう、おばあちゃん」

 私はおばあちゃんの背中に腕を回して感謝の気持ちが伝わるように精一杯言った。


 二階に上がって、あの窓を見た。いつもの場所で、きらきらと光っている。でも床にうつる影の形や色はそれぞれによって違う。私はもう一度さっき頭に浮かんだ事を思い出して、納得した。そうか、そうだよね。私はきっとちゃんと光れる。誰とも比べなくていい。ただありのまま自分でいればいい。やりたい事をやればいい。

 私は私を生きればいいんだ。私の花が咲くように、輝けるように、必要な栄養をきちんと取り入れればいい。それは実際には、難しいことかもしれない。好きに生きていたら他人にとやかく言われるかもしれない。でも、そんなの関係ない。心が躍る方へ歩いていけばいい。そうしたら、きっとどんなことがあっても笑えるはずだから。信じよう。私は私のしたいと思った事をして生きていく。それでいい。

 

そして、いつか、私の花がきちんと咲きますように。







「貴方は、貴方を幸せにするために生きて」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ステンドグラスの向こう側で花が咲きますように 希渡 @hope_kindness

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ