背後霊はささやいた

松内 雪

背後霊はささやいた

「ねえ、聞こえてる?」


 私はそっとささやいた。

 彼は寝癖で跳ねた髪の毛を抑えながら、自身の部屋を見回していた。


「ねえ、聞こえているんでしょ?」


 私はもう一度、彼の耳元でささやいた。


 彼は動きを止めて、腕組みをして首を傾げた。

 何か考え事をしている様子だ。しばらくしてから彼は置き時計を確認する。

 時刻は朝の8時だった。


 彼は、再び布団に入って眠りにつこうとした。


「……いま時計確認したよね? 今日も平日だよ? 二度寝してる場合じゃないよね?」


 相変わらず彼は布団に立て籠っている。


「学校に遅刻しちゃうよ? 良いの? 良くないよね? 起きないとダメだよね?」


 彼は布団から出てこない。


「ほら、早く起きようよ。昨日みたいに走ることになっちゃうよ? 背後霊の私だって疲れるんだよ? 感覚もちょこっと共有しているから、浮いてるからって楽してるわけじゃないんだからね?」


 彼はようやく、布団から顔を出した。

 時刻は8時10分。彼はテキパキと布団を畳み始め、顔を洗いながら歯を磨き、制服に着替えながら食事を摂った。


 あっという間の出来事に、私はちょっと感心してしまった。


 5分で登校の準備を整えた彼は、家を出ると、敷地内にある倉庫から、埃がかぶった自転車を持ってきた。


 どうやら今日は、これで学校に向かうらしい。タイヤの空気圧は万全ではないが、走れないことはなさそうだ。


 彼は自転車に跨ると、誰かを待つように止まっていた。

 

「……ねえ、家のカギ閉め忘れてるよ?」


 私が伝えると、彼は自転車から降りて、家のカギを確認しに行った。


 ――やっぱり、聞こえてるじゃん!

 私の心の声は当然、彼には届かない。


 再び自転車に跨った彼は、また誰かを待つように止まっていた。

 これはきっと、私が後ろに乗るのを待ってくれているんだろうなと思った。


「後ろ、乗らせてもらうね、ありがと」


 お礼を伝えても、彼は何も言うことはなく、そのまま自転車を漕ぎだした。


 私は幽霊だから、実際には彼の自転車の後ろに座ることはできないけれど、彼の背後にピッタリとくっついて移動した。


 もし、私の姿が視える人がいたら、後ろで立ち乗りしているように見えたのかな。


「……風が気持ちいいね」

「……風が気持ちいいな」


 私が言うと同時に彼も同じことを言った。独り言なのか、それとも、もしかして私に話しかけたのか、それは分からないけど、思っていることは同じだったみたい。


 彼の耳が赤くなっている。

 寒さで赤くなっているのか、それとも私と同じ言葉を被せてしまったのが恥ずかしくなったのか。


 ――実は私には分かっている。だって、ちょっとだけ感覚を共有しているから。


 だから私は彼の耳元でささやいた。


「そんなに照れなくて良いのに、かわいいね」


 やっぱり私の声は聞こえてる。

 だってほら、もっと耳が赤くなったから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

背後霊はささやいた 松内 雪 @Yuki-Matsuuchi24

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ