犬好きに悪い人なんかいない

こがゆー

犬好きに悪い人なんかいない

『犬好きに悪い人なんかいない。』


死んだばっちゃがよく言っていた言葉だ。


だけど、私はその言葉を一度も信じた事がない。近所の愛犬家はよく他人様の敷地に違法駐車しているし、「俺、ダックスフンドが好きなんだよね」って愛嬌のある笑みを浮かべながら話していた、初恋相手の佐々木君はしょっちゅう女の子をとっかえひっかえしていた。

もちろん、犬好きに優しい人が多いというのは何となく理解できる。でも、悪い人がいないというのは嘘だ。私は中学生にして既にそう結論付けた。


とはいえ、それはそれとして私はワンちゃん自体は好きなので、動画などはよく観る。うちの高校は運よく授業中以外の携帯電話の使用は黙認されているので、昼休みは癒しを得る絶好の機会なのだ。チワワ、柴犬、トイプードル、ゴールデンレトリバー。色んなワンちゃんが堪能出来て、私のエンゲル係数は右肩上がりな気がする。そう、犬動画は摂取する物なのです。

しかし最近、その時間を邪魔する不埒者が現れるようになった。

「ねえ、柴引さん、今日はなに見てるの?」

隣の席の杉浦君だ。


クラスのムードメーカーであり、イケメンスポーツマンでもある彼はもちろん人気者。席替えでたまたま席が隣になったものの、彼に向けられる好意の眼差しが私まで感じ取っちゃうという想定外のトラブルに曝され2週間。最近はその視線が私に向けられているものでもないしと、割り切って生活できるようになった。

 そうやって安寧の日々を過ごし始めていた矢先、突然杉浦君に声を掛けられたのである。

「それ、○○チャンネルのライム君でしょ?かわいいよね。俺もワンちゃん大好きでさ、動画良く観るんだ!」

と。

興味の対象が犬に全振りな私にとって、彼から話しかけられるというのは驚きこそすれ、正直そこまで気にするほどのことではなかったので、自然と返答は「そうなんだ。」なんていう生返事なものになった。

そこからどういう訳か、杉浦君は私にちょくちょく話しかけるようになったのだ。何がそうさせたのかはいまだ全くの謎である。


なんやかんやで話すようになったのだが、意外なことに彼とは馬が合った。お互い程よい距離感、会話のテンポが保てる。


基本的には彼の

「ねえ、今何見てるの?」

という声掛けから始まり、私の

「邪魔。」

という言葉が続く、ある一種の様式美を経てから会話が始まるという具合なのであるが、その話を友達にしたところ、

「それで円満なコミュニケーションが取れてると思ってるお前も杉浦もやべぇよ。」

 との辛辣なコメントを頂いた。

 さて、そんな外野のことは兎も角、私と彼の奇妙な交友関係は次の席替えで席が離れた後も続いた。もっぱら、学校では彼の周りに人だかりが出来ているし、私は私で貴重な休み時間をもち○様の動画を見ることに充てていたから実際には携帯でのやり取りがメインであったが。彼は家でチワワを飼っているらしく、定期的にその子の写真を送ってきてくれているので何気に重宝していた。


 そんなある日、杉浦君から唐突にこんなメッセージが届いた。


『最近気になってるスイーツ店があるんだけど、男一人だと中々入り辛くてさ。もし君さえ良ければ来週末付き合ってもらえないかな。』


 思わず断りの連絡を入れようとしたのだが、その日はたまたま予定が入っておらず、ふと興味が湧いたということもあり、彼の申し出を受け入れることにした。


 なんやかんや関わっていく中で、彼の人となりというのはある程度分かってきたつもりだ。

今回のお誘いも、まあ、そういう事なのだろうなと思って了承した訳であるし。自惚れであったら恥ずか死ぬ。

 とはいえ、憎からず思っている相手とのお出かけである。あからさまな感情を抱いている訳ではなかったが、それでも少しは良い恰好をしたいなと思い、彼に返信を送った後、近くのショッピングモールへと向かった。



当日、不思議と高鳴る胸を抑え抑え、待ち合わせの場所へ向かう。

「おはよう、柴引さん、早かったね。」

「お、おはよう、杉浦君。あなたこそ。」

時刻は午前10時、待ち合わせの1時間前。

彼はすでにそこにいた。散歩中らしきドーベルマンの頭を撫でていた手を放し、

「それじゃあ、行こうか。」

とスマートに歩き出す。

ドーベルマン相手に流石に度胸がありすぎなのでは困惑したものの、彼に置いていかれまいと慌てて足を踏みだす。自然と差し出された手を反射的に握りそうになってしまったが、すんでのところでやめた。

「笑わないでよ!」

「ごめんごめん。試しに手を出してみたらどうするかなぁって興味が湧いてさ。別に他意は無いよ。」

「うわ。今、すっごい悪い顔してるよ、杉浦君。」

「いや、ほんとごめんて。」


 彼が気になっていたお店は、隠れた名店的なところらしく、意外にお客さんが少なかった。

店先にはかわいい看板犬が。

「あ、ワンちゃんがいる!」

「そうなんだよ。それで柴引さん誘おうと思ってさ。一回目のお誘い断られたらこれで釣るつもりだった。」

二重三重と罠を張り巡らす、なんとも悪い奴である。でも、看板犬の話を持ち出されちゃあ確実に行ったであろうことを考えると、なんか悔しい気持ちになる。


出てきたドリンクもスイーツも美味しくいただいた。ひと悶着あったのはそれからだ。


 お会計。


 世の中の男女が出かける際、どっちが出すだとか色々と議論があるとは思うが、私は割り勘が後腐れが無くて良いと思っている。その為当然財布を出したわけだが、杉浦君が

「いや、俺が出す。」

と言って聞かなかった。仕方ないので会計トレーに直接載せようと手を伸ばした瞬間、


「普段可愛い柴引さんが更に可愛くおめかししてくれたことに対するお礼だよ。黙って驕らせてよ。」


そう、耳元でささやかれた。


 ボンッ、と、自分でもわかるぐらい顔が熱くなる。


「ごちそうさまでした。美味しかったです!じゃあ行こうか、柴引さん。」


 店の外に出ても顔と耳の赤みは収まることが無かった。

「ねえ、なんでそんなことさらって言えるかなぁ、杉浦君は。」

 辛うじて出せたのはその言葉だけ。それに対し、すかさず

「そりゃあ、好きな人には好意をしっかり伝えないとね?」

 と、ウィンクをかましながらダイレクトアタックをしてくる杉浦君。

「ちょ、………………ずるいよ。」

「うん。ずるいかもね。」

「心臓に悪い。」

「そうだね。それは悪かった。」

「杉浦君、悪い人。」

「そう、俺は悪い人。なんか柴引さんだんだん幼児退行してるけど大丈夫?」

「うるさい!!」


おばあちゃん、やっぱり、犬好きに悪い人がいないって嘘じゃないか。だって、こんな身近な犬好きは、こんなに悪い人なんだから。


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