天壌霊柩 ~超高層のマヨヒガ~ 第25回

 康成は拓也に向き直り、

「江崎君も、私が命じれば動きだす。そして皆と同じ、私の下僕しもべになる」

「でも……なぜ麻田さんを」

 拓也は康成と自分の関係性より、真弓、そして沙耶に気を取られていた。

 自分がこの場所に誘いこまれたこと自体は、拓也にとって、さほど疑問ではなかった。冬からの経緯をずっと悔やんでいたし、それ以上に、事前に防げなかった点にも自責の念がある。この場所が本当にあの穴の底なのか、なぜそこに沙耶の父親がいるのか、なぜこんな有り様になっているのか――何一つ確かには把握できないにせよ、池川たちや江崎と同じ地獄に、自分が呼ばれても不思議はなかった。

 しかし麻田真弓には、なんの落ち度もない。沙耶が真弓に悪意を抱いていたとも思えない。現に今、沙耶は、むしろ眠る友人をいたわるように、真弓に肩を貸している。

 拓也は、まっすぐに沙耶と目を合わせた。死んだ魚のような目の奥に、生前と同じ風情を確かに感じた。恥ずかしそうに目をそらす仕草も、昔と変わっていない。

 沙耶にしてみれば、今の自分の変わり果てた姿を恥じたのかもしれないが、拓也はそのことに思いを致していなかった。無論、今の沙耶に触れと言われたら、拓也も躊躇するだろう。しかし外見が腐乱死体であっても、現に生きて動いている限り、彼にとって佐伯沙耶は佐伯沙耶だった。

 拓也は確かに異常な少年なのだろう。

 たとえば幼い頃、河原の草叢で腐りきった犬の死骸を見つけた時は、近くに落ちていたブルーシートでしっかり包みあげ、わざわざ近所の寺に持ちこんだ。普通の子供なら怯えて逃げるか、大人に知らせるのがせいぜいだろう。しかし拓也は、すでに自分なりの合理性で行動する子供だった。

 ――今のこの町に、生来の野犬は住んでいない。ならばこの犬も、どこかの飼い犬だったはずだ。テレビで得た情報によれば、死んだ犬は誰かが弔ってやらないと生ゴミとして焼却されてしまう。しかし拓也にとって、たとえ死んで腐っていても元が飼い犬である限り、やはり飼い犬として弔うべき生き物だ。ならば近所の寺に運べばいい。しかし蝿と蛆がたかった犬は、黴菌が移るから触ってはいけない。ならば、あそこに落ちている大きなブルーシートで、うまく包んで持っていけばいい――。

 それらの筋道は、もちろん子供なりの単純な語彙で組み立てられていたのだが、意識としては、そのままの流れだった。ちなみにその後、市道で車に跳ねられた猫を見つけた時は、目玉は飛び出ていたが少しも不潔な状態ではなかったので、そのまま抱いて同じ寺に運んだ。哀れみを覚えて優しく扱ったわけではない。生きた犬猫も死んだ犬猫も、拓也はただ合理的に扱っただけである。

 そんな拓也を見つめながら、康成はくつくつと笑った。

「昔から、どこか変わった子だと思っていたが、君は本当に面白い人だね」

 それから即身仏そのもののように結跏趺坐して、

「ちょっと待っててくれないか。そろそろ気が整いそうだ。君が平気でも、我々のほうが気が気じゃない」


          *


 ほどなく、すっ、と周囲の様相が変わった。

 さっきまでの居間である。

 ただし、まだ仄暗く、天井の穴も開いたままである。

 それでも佐伯夫婦は、睦まじい夫婦の姿で、端然と微笑している。

 真弓はやはり気を失ったまま、沙耶の肩にもたれている。

 沙耶の表情にも憂いの色が濃く、拓也とは目を合わせようとしない。

 そして何より奇妙なことに、あの座卓そのものが消えて無くなっている。

 ならば江崎や、他のおびただしい死者たちは――。

 拓也が周囲を探ると、台所の様子が一変していた。

 広からぬ台所に、多くの人影がこちらを向いて正座している。年齢や服装、髪形は様々だ。ビジネススーツの年輩者、軽薄な身なりの若者、中には半袖から刺青を覗かせたヤクザ風の男まで見受けられる。よく見れば男たちの後ろには、僅かだが女性の姿もあった。成人女性から拓也よりも年少の少女まで、四五人が正座している。江崎だけはまだ正座できないのか、左右を池川光史と犬木茉莉に支えられ、最前列で、壊れたマリオネットのように足を投げだしていた。

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