天壌霊柩 ~超高層のマヨヒガ~ 第18回
資料を戻し終えた男が、拓也に声をかけた。
「お待たせ。じゃあ、帰ろうか。ちゃんと歩けそう?」
「……はい」
頭痛は残っているが、すでに目眩はしない。今は、とりあえず帰宅するしかないだろう。
男がエレベーターの下降ボタンを押すと、すぐに扉が開いた。
内部は明るいベージュ系のデザインで、拓也が悪夢で見た暗灰色とは、似ても似つかない。
男は平然と足を踏み入れた。
床が消える気配はない。現実ならば当然である。
拓也も男に続いて中に乗りこんだ。
行先階の指示ボタンのパネルは、デザインこそ素っ気ないが、五十以上の全階分がずらりと揃っているようだ。
大型展望エレベーターには存在しないマンション階のボタン、さらに『R』と『B4』まであるのが、拓也には不可解だった。プライベートな分譲マンション階に、公共の階から直行できるのはおかしい。また『R』、すなわちこのビルの屋上には、機械設備や災害時用のヘリポートがあるだけで、非常階段以外は繋がっていないと聞いている。地下の商業フロアも、『B3』のシネコンまでしか記憶にない。
男は拓也の疑念を察したように、
「本来なら、これは警備員や設備管理者用のエレベーターなんだ。だから全階もれなく繋がってる。ただし表から入れない階で降りても、通路前に厳重な扉があって、専用のカードキーとパスワードがなければ通れない」
男は『B4』のボタンを押した。
「でも、この地下四階の管理本部階だけは、警備室のチェックさえ受ければ、表の職員も出入りが許されてる。私のような蔦沼市の職員、それに展望レストラン階の正社員――いわば業務用出入口の、さらに裏口ってとこかな。隣の地下駐車場に直接繋がってるし、ちょっと遠回りにはなるけど、離れた公道にも出られるからね」
さほど利用人数は多くないらしく、他の階には一度も停まらず、地下四階まで直行する。
エレベーターを出ると、すぐ横に警備室の窓口があり、若い警備員が詰めていた。
奥に延びる広い通路は、各種の管理室に続いているらしく、先に幾つもの扉が見える。
警備員は、男の差し出した身分証には目もくれず、
「課長さん、定時退社なんて珍しいですね。夏場はお暇なんですか?」
「いやいや、建築課は年中暇なしだよ」
「市内中、ぶっ続けで工事ラッシュですもんねえ」
「長年の好景気も痛し痒しだ。たまには早く帰って家庭サービスしないと、子供に顔を忘れられちまう」
そんな親しげな会話を交わしながら、警備員は男の通勤鞄の中を形だけチェックした。
「で、そちらの学生さんは?」
その若い警備員の顔に、拓也は見覚えがあるような気がしたが、確かには思い出せなかった。タワービルの商業階は何度も利用し、巡回中の警備員に目的の店の場所を訊ねたこともある。その時、会っていたのかもしれない。
「僕は教育委員会に呼ばれて来たんですが……」
拓也はバックパックを開き、学生証を示した。
「その帰りに、ちょっと、色々あって……」
それ以上、今の拓也には説明のしようがない。
「どうも体の具合が悪いみたいでね」
男が言い添えてくれた。
「あの階の旧資料保管室に寄ったら、この子が横になってたんだ。私が近くの病院に送ってあげようと思って」
警備員は、拓也が呼び出された事情に思い当たったのか、同情的な顔になった。
「あの件で、わざわざ東高から? 君も大変だね。近所に東高の子がいるけど、一年中、寝る間も惜しんで勉強してるんだろう? この暑さじゃ、そりゃバテてもしょうがない」
拓也のバックパックの中も、警備員は軽く一瞥しただけだった。
中にはノートやテキスト類と一緒に、真新しいノートパソコンが裸で入っている。商業階にはパソコンショップも出店している。評判の悪い高校の生徒なら、厳しくチェックされるところだろう。
県立蔦沼東高校の生徒は、この街では無条件に信用されている。定期券を忘れて電車やバスに乗っても、校章と学生証があれば誰も咎めない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます