天壌霊柩 ~超高層のマヨヒガ~ 第9回
とはいえ発電等の商用化までには、莫大な資本と技術開発期間を要する。令和四年現在、アメリカとの合弁事業で、ようやくノースカロライナ州と茨城県に試験的発電所が完成した段階だが、最新のスパコンによるシミュレーションでは、完全稼働が確実視されている。しかも、膨大な関連特許の三分の二は日本側が保有している。開発当初に不安視された石油メジャーやOPCEとの軋轢も、世界的に地球温暖化対策が不可避な時代となってからは、否応なしにギブ・アンド・テイクのビジネスモデルが成立しつつある。
このまま進めば、遠からず日本のGDPは再びアメリカを抜いて世界一に返り咲くだろう――全世界の経済学者が、そう予想していた。
「――でもね」
兵藤は、痛し痒し、そんな微笑を浮かべ、
「この町もこの国も、それによって何か大事なものを忘れてしまった――そんな気がして仕方がないんだよ、俺は」
兵藤の口調が、哲学青年のような苦みを帯びた。
「社会が豊かになればなるほど、所得格差も広がる一方だ。生活困窮者は一向に減らない。ホームレスは増える一方だし、孤独死も後を絶たない。あらゆる社会集団で、パワハラやいじめによる自殺者が高止まりしてる。もし、この先なんらかの事情で経済が衰退に転じたら、この国は、もう二度と立ち直れないかもしれないぞ。この三十年で、国民の社会意識そのものが変わっちまったからな。捨ててはいけなかった気風を
そうした世相に話が及ぶと、まだ若い拓也は、学校の社会科やマスコミ情報レベルで漠然と想像するしかない。平成後半に生まれ、ようやく高校入学を迎えた拓也である。
「……ま、俺が古いだけかもしれないけどね」
兵藤は、照れくさそうに頬笑んで、
「君と違って昭和生まれのオヤジだし、おまけに親が早死にしちまって、三丁目の夕日みたいな爺さん婆さんに育てられた」
それでも拓也は、兵藤の言に再度うなずいた。
「わかります」
その場しのぎで調子を合わせたわけではない。
自分に対する兵藤の一人称が、いつのまにか「私」から「俺」に変わっていることに、まったく作為を感じなかったからである。
*
兵藤と別れた拓也は、蔦沼市教育委員会のロビーに入った。
市役所のロビーを縮小したようなフロアに、数列のソファーが並んでいる。
受付の女性職員に用件を告げてバックパックを預けると、そのソファーで予定時刻を待つように言われ、拓也は直近の席に向かった。
「こんにちは、哀川君」
中ほどのソファーから、耳慣れた少女の声がかかる。
顔を向けると、かつての同級生、麻田真弓が頬笑んでいた。
「久しぶり、麻田さん」
拓也が生徒会長の時に副会長を務め、女子の中では最も親しかった相手である。定期テストの学年順位は拓也と抜きつ抜かれつで――多くの場合、拓也自身がセーブしていたのだが――部活では新体操部のエースとして常に全校の注目を浴びており、未だに男尊女卑の気風が残る土地柄でなければ、彼女が生徒会長になっただろう。卒業後は、拓也の男子高と肩を並べる偏差値の、県立女子高に進学している。やはり校則が厳しいのか、白いブラウスの胸には校章の刺繍があった。
「哀川君も十時半から?」
アイドル雑誌の表紙を飾ってもおかしくない微笑だが、直前まで緊張していたらしく、その堅さが残っている。
「麻田さんも同じ? 個別に聴聞するって聞いてたけど」
「男女の担当者が違うんですって」
真弓の顔が、さらに堅くなった。
「たぶん……あの動画の話も、何か訊かれるんじゃないかな」
「ああ、なるほど……」
確かに男性職員が、女子に聴聞できる性質の話題ではない。
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