閑話 復讐

ポールらがヒンサレイの地下施設を発見する少し前… 



 双子の姉エリザベスとルーシーは外見こそ全く変わらなかったが性格が大きく違っていた。ルーシーはエリザベスとは対照的に内向的でおとなしい性格だった。彼女らが生まれたのは再開発によって埋もれてしまったクローシティの区画だった。低価格帯の性産業の中心だったその区画は薬物が蔓延し、一日中安い蒸留酒の臭いと腐ったような生臭さが混ざった環境で育った。そこで貧困で壊れていく人の姿を見てきて、貧困に対する強迫的な恐怖があったのだろう。エリザベスは内気なルーシーの代わりに殺し屋として働き、ルーシーを東部の都市シハーヤで住まわせていた。


 ルーシーは姉が時々帰ってくることを一番の楽しみに日々を暮らしていた。少し働き、ご飯をつくるような普通の暮らしだ。ルーシーが自身の姉が死んだことを知ったのは死んでから数日後のことだった。エリザベスが仕事を見つけるために使用しているアンダー・ワールド・ネットワーク、通称UWNというサービスは匿名性が高いサイトで裏社会での取引が無数に行われている。それで受け取った報酬の暗号資産を生活費に充てているのだがいつものようにエリザベス名義のアカウントでUWNに入るとメッセージが残されていた。


 『私は十分に稼いでいたのに、この仕事が終わればもう人を殺さなくていいと受けてしまった仕事でヘマをしてしまいました。指名手配されているし、クローシティから逃げられないかもしれません。もし、もうあなたに会えないなら私のお金で私を感じてください。私はルーシー、あなたの為に生きられたのならそれでいいのだから』


 ルーシーは慌ててUWNで情報を募った。報酬を設定してほしい情報を書き込めば徐々に情報が集められていく。UWNの利点は報酬を用意する側の匿名性が保たれているものだ。数日後にはエリザベスが死んだという確定的な情報が手に入った。クローシティに放置された、ある古いカメラの映像だった。エリザベスが殺される場面はそのカメラで二枚の映像として残っていた。エリザベスと背丈がほぼ変わらない酸素マスクを着けた男へとエリザベスが発砲する瞬間。そして、エリザベスは血にまみれ地面に倒れてそれを冷たい目で見下ろす男。


 ルーシーは姉が死んだことを知ってもあまり感情の変化を自分の中に感じなかった。エリザベスが最後に受けた仕事を確認した。依頼主はダマスクという男だ。UWN上での名前は全くあてにならず、ただの記号に過ぎない。


 その彼からの依頼は〈軸〉の高官を殺すというものだった。レスター・マドレーという人物だ。レスター・マドレーの写真と詳細な情報が載せられていた。写真の人物は険しい表情と短く切られた顎鬚で軍人のような顔立ちだった。彼の行動の記録や住所、警備体制、家族構成など事細かに書かれていた。この細かすぎる情報からルーシーはこのダマスクという依頼主が〈軸〉の内部の人間もしくは内部に協力者をもつものだという確信を得た。これだけの情報があって完璧な殺しをしたはずなのに足がつくのか?とルーシーはいくつかの疑問を抱いた。


 二日の間、悩んでいたがダマスクという人物にチャットを送った。


 『以前、受けた仕事についてですがなぜあのような仕事を依頼したのですか?』


 数時間後に返信された。


 『君、エリザベス・ヒルではないだろう』


 数秒後に続けてメッセージが届いた。


『残念なことに彼女は殺されてしまった。そして君は誰だ?』

 

 ルーシーはメッセージに返せないでいるとまたメッセージが届いた。

 

 『彼女の死の真相をしりたいのか?なら教えよう。〈軸〉に指名手配された彼女は〈軸〉の特殊戦略員〈梟〉のポール・スローンという人物に刺殺された。遺体はもう既にない』


 『なぜそれをあなたが知っているのですか?』


 『ポールを殺す術を私が教えることも可能だ』


 『どうやって?』


 『いまから送る座標へと来るといい。』


 送られた座標はヒンサレイという工業都市の中心部だった。


 ルーシーはその日のうちにヒンサレイの座標に着いた。黒い雲と刺激臭はルーシーを不快にさせた。自身が育った環境を思い出させるものだからだ。指定された座標の辺りを散策しているとここの汚い風景に浮いた服装の男がいた。男は白髪で髭の生えた貴族のような人物だった。近づいていくとその男は口を開いた。


 「私がダマスクだ。君の名前を伺ってもいいか」


 「ルーシーです」


 「エリザベスのことは残念だよ。私もその優秀さをかっていた」


 男はしゃべりながら歩き始めるとルーシーはそれに合わせた。


 「それはどうも」


 「君はエリザベスとよく似ているがどのような関係だ?」


 「双子です」


 「そうか」


 二人は廃工場の中へと入っていった。中は暗く、足元すらよく見えなかった。


 「気を付けてついてきてくれ」


 とダマスクは言った。廃工場を奥まで進むと階段がありそれを下っていった。


 「どこに続いているのですか?」


 「私が作った施設だ」


 階段を下まで降りるとトンネルが続きそれも終えるとすべてがガラス張りになった通路が続き、そこでその施設を見渡すことができた。その施設の大きさは都市が入ってしまうほどだった。通路が分岐を始めるとダマスクは三個目の分岐点でずれた通路に入った。しばらく進むとエレベーターに着いた。そのエレベーターで下がっていくとルーシーはその施設の大きさに驚いた。


 「これほどの大きな施設は何に使うのですか?」


 「〈軸〉に代わる組織を作るための準備だ」


 「つまり?」


 数キロほど施設内を歩いて着いた先でガラスケースに人間が入っているのを見た。ガラスケースは水ではない液体に満たされ、マスクをして浮いていた。


 「ここに入れ」


 空のガラスケースを指さしてダマスクは言った。


 「エリザベスのためだ」


 ルーシーはマスクをしてガラスケースに入った。ルーシーが普通の精神状態であれば拒否していただろうが、なにか考えが散漫としていて、何もかもがどうでもいいように今のルーシーには思えていた。


 ガラスケースが完全に密閉された後、徐々に液体が注入された。そして液体が胸の高さまで来た時、マスクからガスが送り込まれて意識が遠のき始めてルーシーは眠った。


 次に目を覚ました時、服は溶けてなくなり背中を機械が掴み、自身の体は浮いていた。目覚めたばかりの脳は混乱していて、体はだるくて思ったように動かなかった。すると突然、背中に何かが突き刺さった感覚が襲った。その若干の痛みは複数の部分で感じた。そのあとに全く同じ部位から液体が注入され、徐々にそれが体の中に広がっていくのを感じた。鈍っていた脳が急速に回転していくのが分かった。体中の血液にその何かが流れ、流れるとその周辺の細胞が脱皮を始めた。その何かが目に到達すると、視界が急に黒くなり見えなくなった。何か変で見えないのに見ることができるようになった。一秒が無限の時間に感じられるほどの脳の回転は五感の機能を上昇させた。不可思議な状態になってどれほどの時間が経ったのか分からなった頃、その感覚を痛みが吹き飛ばした。背中が果てしなく痛いのだ。喉が千切れるほどに叫びながらも脳の回転は速くその痛みは途方もなく長く感じていた。瞼の裏に見える景色はポール・スローンがエリザベスを殺した二枚だけの映像が繰り返して再生されていた。その時間が続くと背中から放射状に広がる劇的な肉体の痛みは次第に精神的な痛みへと移行し、そして最後には憎悪へと変化していった。ポール・スローンを残虐に苦しめて葬りたいという欲望が溢れて、たまらなくなった。


 「〈梟〉を葬るためには人間の限界を超える必要がある。精神を引き延ばせ!」


 ダマスクの声が朦朧とした意識の中で響き渡り、憎悪が精神の端と端とを掴んで引き延ばし始めた。ルーシーは肉体的ではない気味の悪い痛みに耐えながら、憎悪に意識を集中させた。


 どれほどの時間が経っただろうか、ルーシーには見当もつかなかったが前に立つダマスクは言った。


 「よくやった。君は〈梟〉を葬る力を手に入れたんだ」


 「どういう意味ですか」


 「そのままの意味だ。背中を触れば実感が湧くかもしれない」


 ダマスクの言葉に従って、ルーシーは背中を触ると金属の感触がした。腕の関節の辺りには穴が開いていて、何かを差し込む口のような機会が取り付けられていた。ルーシーがぽかんとしているとダマスクは言った。


 「その穴からこのグレゾールという液体を入れると一時的にトランス状態になり、〈梟〉と同じ条件での戦闘が可能となる」


 ダマスクは試験管に似た容器に入った黒い液体を見せた。先ほど増幅されたポールへの復讐心が言葉を吐き出させた。


 「奴を殺せるのですか?」


 「ああ。それだけの力を引き出すことができる」


 ルーシーは不気味にニヤリと笑った。黒いブレードに模様が刻まれたナイフをダマスクはルーシーに渡した。


 「これは君への贈り物だ。このナイフで復讐を果たすといい」


 「ありがとうございます」


 「今は言わなくていい復讐を果たしてから礼を聞こう。そして、もう一つ渡したいものがある。このリボルバーだ。君の姉が使っていたものと同じカスタムも施してある」


 渡されたリボルバーを手に握って心のなかでエリザベスに仇を討つことを誓った。そして、そのリボルバーは初めて握ったのにも関わらず何年も握っていたもののように手に馴染んでいた。

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