2ーB 残穢

 ポールは車に揺られていた。両側面にエビが描かれた白いバンだ。運転席に一人、後部座席の向かいに一人の男が座っていた。向かい合って座る男の名はサイラスといった。ポールとサイラスとを隔てていたのは白いカバーに隠されたエリザベスの遺体だった。服用してから時間が経過し、ドラッグの効果が薄れ、徐々にトランス状態からポールは解放されつつあった。


 一言も発さないポールを見てサイラスは口を開いた。


 「大丈夫か?これからコイツを何とかしなきゃいけないが、いやだったら別の車で帰れるようにしてやるぞ」


 「ご心配いただきありがとうございます。少し疲れていただけです」


 サイラスはぼそっと言った。


 「それだけには見えないが」


 続けてサイラスが言った。


 「しかしな、坊主。俺たちみたいな日の当たらない汚れ仕事が世の中を保っているんだ。俺たちの仕事は辛いかもしれないが誰かの役に立っているはずだ」


 「そう感じません」


 「そうに決まっているとも」


 車窓から景色を見ると既にクローシティの煩雑な街並みはなかった。


 「ここは?」


 「ヒンサレイとクローシティの間だ。またすぐに高い建物が多くなる」


 ヒンサレイはクローシティのすぐ近くにある工業都市だ。しばらくするとサイラスの言葉通り高い建造物が増えた。高々とそびえる煙突から黒々とした煙が吐き出されている。ヒンサレイの中へと進むにつれて暗く淀んだ景色へと変化していった。


 車が停車したのはそれから二十分ほどの場所にある薬品工場であった。工場の外壁は黒く汚れ、しばらくは稼働していないようにも見えた。車から出るとこの街の独特な臭いに思わずポールは咳き込んだ。酸っぱいと同時に塩素のように鼻につく臭いに腐卵臭が混じっている。しかし、運転手の男とサイラスは平気そうな顔をしている。咳き込むポールの姿を見てサイラスが言った。


 「ひでぇ臭いだが、直に慣れる」


 ポールは返事をしようと口を開きながらも声に出ずまた咳き込んだ。体がこの臭いを拒絶しているのだ。具合が悪そうにしているポールを横に二人の男は後部座席からエリザベスの遺体を運び始めた。ポールは二人の男に付いて、工場の中に入っていった。工場の中は外装とはまるで違っていた。かなり綺麗だった。それにあの臭いがない。


 最初に遺体を運んだのはガラス張りの部屋だった。何かのスキャンのような装置が真ん中に置かれていた。サイラスは遺体を覆う白いカバーを外した。そこに現れた死んだエリザベスはまだ目を見開いていた。しかし、肌は少し変色を始めていた。


 「坊主。少し手伝ってくれ」


 サイラスは頭の方を持ち、ポールが足を持って持ち上げスキャン装置に置く。死後硬直でがっちりと固まった足を持つのは得体のしれない不安をポールに与えた。運転手の男がエリザベスのブロンドの髪を持ち上げながら言った。


 「しかし、なんでこんな美しい女が殺し屋なんてやっているんだ?」


 「それは分かるはずもないがコイツが死んだことで市民の安全が守られたならそれでいいじゃないか」


 とサイラスが少しあきれたように言う。


 「それはそうなんだがな。なにか、もったいない」


 と言いながら運転手の男はスキャンを始めた。スキャンを始めるとすぐにピーと音が鳴った。


 「どうした?」


 「頭になんか小さいものが入っているみたいだ」


 サイラスが画面をのぞき込んでいった。


 「本当だ。一センチぐらいの円形が見えるな…コインか?」


 「コインを頭に埋める馬鹿がいるはずがない」


 「とにかく取り出さないとな。薬品で溶けないのは不味い」


 サイラスと運転手の男は道具を取りに部屋から出て言った。


 ポールはエリザベスの遺体を見つめていた。遺体の喉から溢れた血は首にこびりついて固まっている。「チップよ。私の頭の中を調べて」というエリザベスの悲痛の声がポールの頭の中で再生された。


 しばらくすると二人は戻ってきて、頭からチップを取り出すためにドリルで頭に穴を開け始めた。すぐにピンセットでチップを掴み取り出した。そして、そのコインのようなチップを見るや否や運転手の男は言った。


 「どうやらこの馬鹿だったみたいだな」


 ポールはなぜか男の発言に苛立ちを感じた。しかし、コインではなくチップだと指摘したい気持ちを抑えた。


 「サイラス。記念にいるか?」


 「いらんよ」


 「坊主は?」


 と聞かれポールは答えた。


 「もらいます」


 「戦利品だな」


 運転手の男から手渡された一センチ大のチップには血がべっとりと着いていた。服で拭き取ると表面の刻印が露わになった。真ん中に丸まったウサギが描かれ、下に番号が刻印されている。5213という番号だ。ポールがチップを眺めているとサイラスが言った。


 「気に入ったか?」


 「少し」


 「それは良かった。俺たちは後の処理をしておくからここでもう少しだけ待っていてくれ」


 と言ってまた二人は部屋から去っていった。青錠剤の効果が薄まってきているとはいえ、その余韻は感覚を鋭くしているため、二人の会話が耳を澄ませば聞こえた。


 「あのコイン。俺も欲しかったなぁ」


 「子供みたいなことを言うなよ」


 「確かにそうだな。俺にはまだ楽しみが残されている」


 「…そうだったな」


 二人は遺体をガラスの棺桶に入れ、鍵を閉めた。ボタンを押すと密閉されたガラスの棺桶には徐々に薬品が投入された。やがて液体は遺体を完全に覆った。ジューという肉が焼けるような音と残穢のような黒々とした煙が立ち上る。


 「そうだ、この音だ。この音」


 満足そうに運転手の男はケラケラと笑った。


 「お前ってやつは」


 サイラスは男を見て苦笑いをした。数分と経たずに遺体は完全に溶けて肉ですらなくなった。


 そして、靴の音とともに二人が部屋に戻ってきた。


 「終わったのか?」


 とポールが分かりきっていることを聞くとサイラスが


 「あぁ」


 と答えた。その最中もドラッグが抜けきらないポールの頭からケラケラという笑いが離れなかった。

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