第10話

「えっ、誰その人! お兄ちゃんの彼女!?」

「んなわけあるか」

「だよねー」


 妹はけらけら笑っている。

 僕は、あたりを見回した。

 妹と会うのは別にいい。ただ、この時間に小学生の妹が、一人で青柳モールへ来るわけがない。親と来ているはずなのだ。


「えっ、この子南條くんの妹? 超かわいいんだけど」

「えへへ~」


 上手さんは僕の警戒に気づかず、妹とじゃれあっている。


「……僕、帰るわ」

「え? せっかく家族と会ったんだから一緒に帰りなよ」

「自転車あるし。そっちは車だから――」


 どうにかしてこの場を離れようとした時。

 妹の向こうから、ここ数ヶ月ろくに目も合わせていない、僕の人生の敵が接近してきた。

 父親だ。


「パパー! お兄ちゃんいたよ!」


 妹が父に駆け寄る。

 父は、相変わらず冷たい目で僕を見ていた。

 今どき古臭い七三分けの髪型。スーツのようなスタイルの服。かなり硬いタイプの親父だ。


「毎週遅くまで何してるのかと思ったら、女と遊んでいたのか」

「ちげえよ。偶然会っただけだ」

「ふん。学生の義務を放っておいて、遊びほうけるようなヤツに未来はない」


 隣にいた上手さんは、僕と父の仲が良くないのだとすぐに察したらしく、一歩引いた。

 父は公務員のお偉いさんで、雰囲気だけならかなりの威厳がある。強く出られたら、女子なら引いてしまうだろう。


「さっさと家に帰れ。俺はいいが、母さんを心配させるな」

「……わかってるよ」

「どんなに悪あがきしても、俺はお前を美大になんぞ行かせてやらんからな」

「っ!」


 今、ここで言う必要あるか、それ。

 顔を合わせるだけでキレそうなのに、火に油を注ぐようなことをわざと言われ、僕は感情を押さえられなかった。


「っるせえ!」


 青柳モールの高い天井に叫び声が響き、一瞬、他の客たちが振り返った。

 父は、何も言わず、ただ僕を睨んでいた。

 これ以上叫んでも、父には何も効果がないと知っている僕は、黙って踵を返した。


「ちょっと、待ってよ!」


 上手さんがついて来るが、僕は黙って駐輪場まで歩いた。

 自転車に乗ったところで、上手さんがまた話しかけてくる。


「帰るの?」

「いや。学校に行く」

「学校? こんな時間に何するの」

「あのオブジェ、解体してくる」

「えっ……?」


 僕は自転車を走らせ、青柳モールを出た。

 いろいろな感情が、胸の中を渦巻いていた。

 美術部の部員を含め、学校の生徒たちには隠していた、父との争いのことが上手さんにばれてしまった。

 それが一番、気にくわない事だった。

 何も話さないことで、僕はまだ美術をあきらめた訳でなく、一時的にスランプへ陥っているという雰囲気を出していたのだ。急に新しい作品が作れなくなって、自分の才能に限界を感じ、自然と美術部からフェードアウト。勉強して、普通の大学へ行く。

 これが、僕の思い描いていた理想の道筋だった。

 ところが、親との確執が原因であると、このタイミングで上手さんに知られてしまった。

 親に勝てない、弱い男だなんて、誰にも思われたくなかった。

 だから誰にも話してなかったのに。

 上手さんと一緒にいたことで、知られてしまった。今は、上手さんのことが憎いとすら思える。

 青柳モールから青柳高校はとても近い。自転車なら五分あれば着く。

 青柳高校は校舎が古く、そのせいかセキュリティが甘い。夜でも裏門からなら入れるし、美術部の倉庫にある裏口は、ある角度でドアノブを押し込めば鍵をしていても開く。美術部の先輩たちから受け継がれている伝統だった。

 裏口から自転車を入れた時、すぐ後ろで自転車の急ブレーキの音がした。


「待って! 待ってって!」


 上手さんだった。

 駐輪場で別れたと思っていたら、ここまでついて来ていたのか。


「こんな時間に学校入っちゃだめでしょ! ってか開いてないでしょ!」

「美術室の倉庫は開いてるよ。今みたいな時間じゃないと、誰かに邪魔されるから」

「じゃあ、私が邪魔する!」


 青柳高校内の駐輪場に自転車を止めると、上手さんも僕の隣に自転車を止め、両手を広げて僕の進路を遮った。


「関係ないだろ、上手さんには」

「やっぱりほっとけないよ。南條くん、お父さんに美大行くの反対されてるんだ?」

「……」

「ごめん。まだ話したくなかったのかもしれないけど、聞いちゃったから」

「……上手さんには関係ない」

「親が自分の言うこと認めてくれないのってすごい辛いでしょ。私もわかるよ。だから、一人で背負わないで!」

「上手さんに言ったって何にもならないだろ!」


 僕は上手さんを避けて、走って美術部の倉庫へ向かった。まだ上手さんは追いかけてくる。

 結局、二人で倉庫に入ってしまった。全部照明をつけたら怪しまれるので、一番奥の、外には光が出ていかない照明だけを点灯させた。オブジェの解体作業には十分だった。

 しかし、上手さんはオブジェの前に仁王立ちして動かなかった。


「どいてよ」

「やだ。どかない」

「なんでだよ……」

「南條くんは……まだ美術が好きなんでしょ。一番好きなんでしょ。それを無理に諦めようとしないでよ」

「だから、どうして僕に、そんなこと言うんだよ」

「南條くんのことが好きだからだよ!」

「……はっ?」


 全く予想していなかった言葉が出てきて、僕はフリーズしてしまった。

 しかし、だ。

 女子から好きと言われたのに、残念ながら、いきり立っている僕の心にはまったく響かなかった。理解不能な言葉として、神経を逆撫でるだけだった。

 上手さんはとても真剣な、泣きそうな目で僕を見ている。


「私、南條くんのことが好きだから。勉強に集中したいから、彼氏作るのは我慢してたけど、ほんとは付き合いたい、とか思ってたから。南條くんが辛い思いをするのは嫌なの! どう! これでわかった!?」

「いやわかんないな」

「……っ」

「本当に僕のことが好きなのか証明してよ」

「どういう、意味?」

「そうだなあ。ここで裸になってみてよ」

「っ!」

「僕のことが好きならできるだろ」


 自分でも、最低なことを言っている自覚はあった。しかし今は怒りで頭がオーバーヒートしているのと、どうにかして上手さんを遠ざけたい、という気持ちしかなかった。

 流石に、こんな要求は飲めないだろう。僕への信頼もだだ下がりだ。


「いいよ」


 しかし、返ってきたのは――上手さんは、僕よりも全然、強い人間なのだと、こちらがわからせられる言葉だった。

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