第8話

「私、家が病院で。一人っ子だから、私が医者になって継ぐしかないんだよね」


 上手さんは、これまでになかった真剣で、物悲しい表情をしていた。

 医学部医学科。進学校の生徒なら、難しさが他の学部に比べて段違いだということは、誰でも知っている。


「バドミントン、小学生の頃からやってて、すごく好きだったし、中学の最後には県大会のベスト8まで結果残せたから、ずっと続けようと思ってたんだけど。成績が伸びなくて、高一の最後の模試でもいい店取れなくて。勉強と部活のどちらが大事か、よく考えてやめちゃったの」

「……そうか」


 スポーツが得意で、体育会系の人だとは思っていたが、そのことは知らなかった。

 

「もしかして、南條くんも同じなんじゃないかな、って思ったんだよ」

「同じ? 僕が?」

「南條くん、理系クラスでしょ。美大志望だったら文系でいいよね。でもあえて理系を選んで、美術部に顔出してないのは、希望する大学に向けて、成績が足りないんじゃないかな、って。最近南條くんのことを知って、そう思ったんだよね。違う?」

「違う、と思う」

「思う? どういうこと?」

「僕が理系を選んだのは、理系科目の方が得意だった、っていうだけだ。志望大学は、まだ何も決めてない」

「美大に行くかもしれないってこと?」

「……それはないかな」

「どうして? 賞取れるほどの実力があるんでしょう?」

「美大に行ったって、アーティストとして活躍できるのはごく一部だ。他はろくな就職先もないし、将来性がない」

「ごく一部になればいいじゃん」

「……簡単に言うなよ」

「私、バドミントンはじめた頃はすごく弱かったけど、中三までに市の大会で優勝する、ってちゃんと目標立てて、練習がんばって、実現できたよ。挑戦する前から諦めること、ないでしょ」

「『なんでも上手さん』と比べられても困るよ」

「『なんでも上手さん』なんかじゃないよ、私」


 上手さんは、少し怒ったような顔で、僕をきっと睨んだ。


「勉強も、スポーツも、頑張ってみんなに追いついてるだけだよ。もとから才能があった訳じゃない。初めてやってみたクレーンゲームなんて、全然出来てなかったでしょ。本当は努力家タイプなのに、なぜかみんなから勘違いされてるだけ。南條くんは、違うのかもしれないけど」

「僕だって、あのオブジェを製作して賞とるまではものすごく時間かかったよ。中学の頃からずっと、立体製作やってたから」

「じゃあ、努力すれば、今の実力よりもっと高いところへ行ける、って知ってるはずでしょ。どうして諦めちゃうの?」

「それは……」

「まだ言いたくないんだ?」

「……うん」

「わかったよ。でもね、これだけは覚えておいて。私はバドミントンやめた時、勉強の方が大事だから、ってちゃんと心の中で納得してから決めたよ。でも今の南條くんは、美術部をやめることにまだ、納得してないんでしょ。私だって、本当はバドミントンやりたかったんだよ。でも他に大事なことがあるから仕方なかった。南條くんは、まだそこまでする必要ないんでしょう? 進路も決まってないんだから、美術部は続けながら、何となく勉強もすればいいじゃん。立体製作が好きなのに、美術部やめる必要なんか絶対ないよ」

「はあ……」


 上手さんの気持ちはよくわかった。目の前にやりたいことが複数あって、どれかを諦めなければならないのは、とても辛い。

 自分と同じ辛さを、僕に経験してほしくない。

 そう言いたいのは、理解できる。

 ただ一つだけ、未だに理解できないことがあった。


「なんで、僕のことをそんなに、気にしてくれるんだ……?」


 ちょっとクレーンゲームを手伝っただけの関係で、なぜ僕に、ここまで干渉しようとするのか。

 僕が美術部へ行かなくなった時は、こんな風にフォローをしてくれる人は誰もいなかった。だから、僕は人望のない人間だと思っていた。製作のことばかり考えて、皆から信用されていないのだ、と。

 上手さんが、急にここまで近寄ってくる理由はよくわからなかった。


「南條くんが後悔しているとこを見るの、私は嫌だからだよ」

「だから、なんでそれが上手さんにとって嫌なことになるんだ」

「――っ。もう。そんなの、私にもわかんないよ」


 上手さんは、最後だけ聞き取れないほど小声になり、僕の前から去っていった。

 何だったんだろう。

 僕は上手さんがさっき見上げていた、廊下の外の空を見た。白い雲が、ゆっくりと西へ流れていた。


「あーあ。ふられちゃったか」


 ぼうっとしていたら、誰かに声をかけられた。

 清宮瑞樹だった。


「聞いてたの? 別に振られたとかじゃないけど」

「南條くんじゃなくて、良子の方がね」

「告白されてないけど」

「あー。はいはい。あんたなかなかの強敵ね。良子にはハードルが高いわ」

「何の話?」

「ちょっとついて来て」


 清宮さんは、僕を家庭科準備室という離れの校舎にある部屋へ連れて行った。ここは部室としても使われていない、本当にただの倉庫と化している寂しい部屋だ。


「何、この部屋」

「ふふん。この部屋はね、青柳高校の迷える子羊たちを、私が導いてあげるために使う、由緒正しい部屋なのです」

「はあ」


 何を言っているのかよくわからなかったが、とりあえず話を聞くことにした。


「南條くんにちょっとしたお願いがあるの。聞いてくれる?」

「ああ……まあオブジェの移動手伝ってもらったし、僕にできることならいいよ」

「あのね。良子の事なんだけど。土曜の夜、毎週青柳モールに一人でいるらしいの」

「毎週? 僕みたいだな。勉強が忙しいんじゃなかったのか」

「うん。土曜はいつも夜の予備校に通って、その帰りにまっすぐ帰らず、青柳モールでぶらぶらしてるらしいんだよね。閉店間際までいるらしいわ」


 青柳モールの閉店時間は夜九時なので、予備校で自習のために残ってから帰るような時間とあまり変わらないだろう。親には、遊んでるとバレないか。


「良子、そんなことする子じゃなかったのよね。少なくとも一年の頃は。どっちかというと、遊びに誘われても断って、バドミントンの練習か勉強してる子だった。高二になって急に、不良になっちゃったのかも」

「そんな風には、全然見えないけど」

「今はそうだけど。悪い遊び、覚えちゃうかもしれないでしょ。ずっとゲーセンでメダルゲームしてるとか」

「う」

「あはは。南條くんが最近、青柳モールのゲーセンでメダルゲームしてるのも、友達からの情報で知ってたよ。別にメダルゲームするのが駄目って言うわけじゃないけど。どうせ暇なら、良子の悩みを聞いてあげてくれない?」

「僕が? どうして?」

「人間の悩みっていうのはね。解決までしなくても、誰かに話すだけで楽になるものなのよ。南條くんもそういう時、あるでしょ?」

「……」


 僕は、美術部へ行かなくなったきっかけの事を誰にも話せずにいた。あれだけ気にかけている上手さんに対しても、だ。

 それには色々な理由はあるが、話したところで本質的な解決にはならない、というのが大きな理由の一つにある。

 解決しないにしても、とりあえず話して楽になる、という発想はなかった。


「今の南條くんなら、絶対に良子は話してくれるよ。良子が不良にナンパされて、お持ち帰りされちゃったら嫌でしょ?」

「……あまり想像したくはないな」

「よっしゃ! 良子のこと、ちょっと気になってるって事だよね、それ! なら今週の土曜の夜、青柳モールで良子を探してみて! 約束だよ!」

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