第81話 語られる過去4

81話 語られる過去4



 その日の朝は早かった。


 受験結果の発表当日。よくある光景としては、学校に受験生が群がって張り紙にでも書かれている番号の数々に自分のものがないかを探す、なんてものが主流だが。


 今はもうそれだけではなく、ネットでの合格確認ができるようになっていた。


 九時にホームページへとアップされる画像ファイル。俺達の命運は、全てそこに記されている。


「ふぅーっ」


「緊張してる?」


「当たり前、でしょ」


 俺達が集まったのは、二人の家のちょうど中間地点に位置する公園のベンチ。


 まだ肌寒い野外で白い息を吐きながらコートを纏い、お揃いのマフラーを首に巻いて。八時五十九分と表示されているスマホと睨めっこしていた。


「……あっ」


 そして。時刻は九時へと切り替わる。


 まだ心に余裕が無さそうな彼女に変わり、ホームページが混雑してしまう前に颯爽とファイルをダウンロードした。これであとはゆっくり中身を眺めるだけだ。


「じゃあ、そろそろ……」


「あ、待って! まだ……待って!」


 何度も、何度も大きな息を吐く。


 深呼吸して、恐らく激しく脈打っているのであろう心臓を落ち着かせてから。彼女はそっと左手の手袋を外して、俺に差し出した。


「手……繋いでて。そしたら、落ち着くから」


「わ、分かった」


 きゅっ、と握られた手は、さっきまで手袋をしていたと思えないくらい冷たい。


 緊張しているのだろう。身体は、小さく震えていた。


「見るよ────」


 ファイルを開く。


 俺達の受験番号はそれぞれ、「262」と「265」。一桁台、二桁台。そして三桁台の百幾数の数字達を目でスライドしながら、いよいよ二百番台へと到達する。


 224……227……238……239……242……243……


 そして。


「あっ……あぁっ!! ああぁっ!?」


 262……264……265。


「やった! やったぁ!! 私合格したの!? ねえ、これ夢じゃないよね!?」


「うん。おめでとう、中田さん。君が頑張った成果だよ」


「えへへ、私本当に……やったんだ。合格、したんだ」


 ぴょんぴょんと跳ね回りそうな勢いで声を上げる彼女は、ハイテンションから少しずつ。声が小さくなっていって。


 じっとその横顔を見つめる俺と、視線が交錯する。


 目と目が合うと、たちまち。柄にもなくはしゃいでしまったことへの恥ずかしさか、それとも″約束″を思い出したからか。ほんのりと、頬が赤く染まる。


「中田さん。……約束の返事、聞いてもいい?」


 一度、目線が外れる。


 少し俯いて、赤くなった頬を自分で叩く音が響いて。


 そしてもう一度、目が合った。


 仮に俺はここでフラれてしまっても、悔いはない。そういう日々を送ってきたつもりだ。


 だから約束、なんて言っても、強制するつもりは一切ない。俺のことを好きになってくれていない彼女と付き合うことができても、意味がないからだ。


 怖い。ドクン、と大きく心臓が震える。


「渡辺、少し目……瞑ってて。覚悟、決めるから」


「……うん」


 肌寒い外気に当てられながら、視界が黒に染まる。


 覚悟。それは、何の覚悟なのか。聞くほどの余裕は、俺には無かった。


 そこから何秒経ったのだろう。体感にしては、およそ十数秒。怖さと緊張だけが走る暗闇の世界で、俺は────


「……んっ!?」


 唇に、暖かいものを感じた。


 ほんの一瞬。刹那しか感じることができなかったそれを追いかけるようにして、目を開けると。その先では。


 かあぁ、と激しく赤面しながら。自分の口元に手を当てて顔の下半分を隠す、彼女がいた。


「中田、さん? 今のって────」


「これが私の気持ち……だよ」


 好きな人にキスをされた。


 頭がその事実を認識した瞬間。身体中が沸騰したように熱くなって、熱で覆われていく。


 そうして少し、固まってしまった俺を見て。中田さんはゆっくりと口を開く。


「最初は変な奴だと思った。でも、一緒にいるうちに真面目なところとか、本当に私を想ってくれてるんだってのが伝わってきて。気づいたら私も……好きに、なってた」


「あっ……ああっ……」


「私と付き合って。渡辺……ううん。寛司」


「な、中田、さ……」


「ねえ、それ。中田さんはもうやめよ? 私達、恋人になるんだよ? 私も、寛司って呼ぶから。だから……有美って、呼んでよ」


「っ〜〜〜っ!! っ!! っ!!!」


 涙が溢れ出そうだった。


 きっとこれまでもこの先も、これ以上に幸せを享受できる瞬間は訪れないであろうという絶対的な確信。


 そんな心持ちで、頑張りながら必死に気持ちを伝えてくれた彼女の顔をもう一度見つめ直して。男としての。惚れた相手への礼儀を、返した。


「有美……これからもずっと、大好きだよ。ずっと……ずっとずっと、一緒にいよう」


「……うんっ!」


 二人ではにかみ合い、笑う。


 気づけばここが外であることなど、とうに忘れて。身体に篭った熱を、もう一度。




────伝え合っていた。

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