家では飼えないの

そのいち

#1


 義父が入院するとの知らせを受けた際に貴弘は心配を装っていたが、内心では「やったゼ!」と大いに喜んでいた。ただそれに罪悪感を覚えてしまったことに僅かにこの男にも救いようはあるのだが、命に別状はないと聞いた時にはあからさまに落胆してしまったので、そうでもないのかもしれない。


 貴弘は義父が苦手だった。第一印象から決めていた。苦手だった。妻の香織との入籍の報告に義父の元を伺った際にそれをまざまざと痛感した。


 貴弘と香織の二人は既に入籍は済ませてあったので、「娘さんを僕にください!」なんて古風な真似はしなかったが、ある程度の筋は通しておこうと、貴弘なりに何だかそれっぽいことを述べるも、義父は当時飼っていたペットの猫を愛でるだけで、貴弘に見向きもしなかった。更には愛猫を通して嫌味を言われた。


「どこの馬の骨か分からんやつがパパに喋ってますよう」とか「どこの馬の骨かも分からん奴なのにパパたちのお家に勝手に入って来てますよう」とか「どこの馬の骨かも分からん奴なのに勝手にお茶を飲んでますよう」だとか、馬の骨ばかりの何だかそれっぽい嫌味だった。


 当時の貴弘は憤った。どこの馬の骨かも分からんやつであるのかは自分でも分かる。これが初対面であるのだから、馬の骨はさておいて、「どこの」なのか分からないのも当然だ。だからそんな男が大切な愛娘を奪わんとするのに納得いかないのは多少なりとも分かる。だが、それならせめてどこの馬の骨か理解するように努めてもいいのではないか!? 要するにこっちの言い分も聞かずに判断するのは止してくれということだ。だが義父は貴弘の言い分など聞く耳持たず、その時の会合は禄な会話もせずに終わった。


 それ以降、貴弘と義父の仲は険悪となった。稀に顔を合わせたことがあっても、お互い視線を合わさず会話も交わさないのはもちろんのことだが、同じ場の空気を吸うのも嫌なようで、お互い同様に息が続く限り呼吸を我慢していた。そして家に帰れば「ただいま」の前にアルコールで殺菌消毒を済ませて、「ただいま」の後はイソジンでガラガラうがいをするほどだった。


 貴弘は義父が苦手だった。嫌っていた。嫌悪していた。

 そして義父も同様に貴弘を嫌っていた。憎悪していた。


 入院中の義父の容態が悪化したと続報が届いた時に貴弘は内心、「イヤッホーイ!!」と歓喜した。だが、それでも命に別状はないと聞いた時には「なんで!?」と、愕然とした。病状は完治というほどまでに至ったが、どうにも義父の振る舞いがかつての義父とは違ってきているらしい。つまり体調には問題ないが、認知症ボケが進行している。そういうことだった。


 それならそれで貴弘としても構わなかった。義父が退院した暁には、日の当たらない山奥の施設に放り込んでしまおうと企んだ。


 だが、それを許さない者がいた。

 それは妻の香織だった。


 香織には母がいなかった。香織が幼い頃に他界していた。香織は義父に男手一つで育てられた。香織にとっては義父が唯一の肉親であった。


 香織は使命感に燃えた。「身寄りのない、か弱き父の面倒を見るのはこの私だ! 待てよ賊軍! 正義は我にあり!」と、すこぶる嫌がる貴弘を説き伏せて物理的な意味合いでもねじ伏せた。


 そんな正義感の強い妻の力技な説得もあってか、貴弘はボケて老いた憎き義父と同居するはめになった。


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