第11話 仮面舞踏会
ハイランダー公にとって、自分を振った変わり者の令嬢を観察するのは、意外にも愉快だった。
作業室を煤まみれにされた初日こそは、雇ったことを若干後悔したが、今ではそうでもない、とデ=レイは感じている。
シエーナはよく働くのだ。
まるでコマネズミのように。
基本的に何もしていない時間がまるでない。
店を掃除し、指定した庭のハーブを取りに行き(たまに雑草も混じっていたが)、洗浄して毟り、勝手に伯爵邸から持って来た茶葉で客に茶を出している。
とても良く働くのだ。日給八百バルにしては。
彼女が最も好きな仕事は書庫の整理らしく、見当たらないと思うと大抵は書庫で魔術書の整理をしていた。
というより、整理するフリをしつつ魔術書を読んでいた。
この日も昼休みの食事を終えると書庫に篭り、少し経ってから出てきたのだが、随分顔色が冴えなかった。書庫が寒すぎたからだろうか。
どうした、具合でも悪いのかとデ=レイが尋ねると、シエーナは呟いた。
「この館にある魔術書は、これで全部ですか?」
「ああ、そうだ」
シエーナは少し不満そうだった。
所蔵は結構な量だと思うのだが、プライドを若干傷つけられたデ=レイは問い返した。
「王都のリド魔術館には、もっとたくさんあったのか?」
「いいえ。ほとんど変わりませんわ。……ル=ロイドから継いだ書物も全てここにありますか?」
「ああ、その通りだ。それにしても君は魔術書が好きだな」
するとシエーナは突然怯えたように黒い瞳を見開いた。
「いいえ。そんなことは。……ひ、広間に戻りますわ!」
伯爵家の令嬢がこんなところで働くには、何かそれなりの事情があるに違いない。問い詰めるつもりは今のところないが、どうも何かル=ロイドに関係があるのだろう、とデ=レイは睨んだ。
この日の日曜日は客が少なかった。
いつもはテキパキと魔術館の中を動き回っているシエーナも、さすがにこんな日は窓の外を眺めて何をするでもなく、立っている時間が多かった。
シエーナは度々広間の柱時計を見やっては、時間を確認していた。
実は今夜、魔術館の仕事が終わったあとに、またもう一仕事しなければならないのだ。
シエーナはそれが憂鬱で仕方がなかった。
もう何度目かの重苦しい溜め息をつくと、ふとデ=レイと目が合ってしまった。
「今日はどうしたんだ? 朝から鬱なオーラが全身から漂っているぞ? この魔術館をこれ以上陰気にする気か?」
「す、すみません。実は今夜、この後仮面舞踏会に行かなくてはならなくて…」
「……舞踏会?」
聞き捨てならない。
夜会は苦手だと言っていたではないか。
そもそもイジュ伯爵令嬢が大のパーティ嫌いだというのは、有名な話だ。以前から滅多に夜会に出ない、と聞いている。
なのに、なぜ。
デ=レイは水を向けてみた。
「君は……舞踏会によく行くのか?」
「いいえ。でも、今日は義妹のお気に入りの侍女の、誕生日なんです。彼女は王都の仮面舞踏会に出るのが夢だったみたいで」
先日、魔術館での一日を終えて伯爵邸に帰宅した時のことだった。
義妹のメアリーがシエーナを待っていた。メアリーはシエーナが馬車から降りるなり、玄関から飛び出してきて出迎えてくれた。
そしてメアリーはあの驚異的に可憐な笑顔で、思いもかけない頼みごとをシエーナにしてきた。
「ルルが仮面舞踏会に行きたがっておりますの。お義姉様、連れて行ってやってくださらない?」
シエーナは勇気を出して、自分ではなくメアリーが連れて行ってあげたらどうか、と提案してみた。可愛い義妹の頼みを断るのは、なかなか気力がいるものだ。
だがそれに対し、メアリーは大仰に首を左右に振ったのだ。
「あそこは未婚の男女が行く所ですわ。わたくしが行ったと知ったら、エドワルドに怒られてしまいますもの!!」と。
そこまで聞いて、デ=レイは口を挟んだ。
「どこの仮面舞踏会だ? 王都の国立舞踏ホールか?」
「よくお分りですね。もしやお師匠様も行かれたことが?」
国立舞踏ホールは参加費が非常に高く、その上基本的には紹介がないと入れない。
必然的に貴族たちの遊び場兼社交の場となっており、若い貴族たちの出会いの場でもあった。
デ=レイは慌ててかぶりを振った。
「単に有名なので知っている。非常に華やかなダンスホールで、ティーリス王国の女性なら一度は行ってみたい、と夢見る場所だと言われているらしいな」
何度か行ったことはあるが、デ=レイはシラを切った。
「本当は舞踏会が苦手なので行きたくないんですけれど、義妹の頼みですし。それにルルが凄く楽しみにしていて」
再び登場した義妹、というキーワードにデ=レイは敏感に反応した。
先日の晩餐での、兄夫婦の話を思い出したのだ。
そう、マーラーだかマーレだか、たしかそんな名前の子爵がシエーナを狙っている、という噂話を。
デ=レイはつい、ロンの家でダンスをしていたシエーナの様子を思い出してしまった。
そして気づけば妄想していた。
王立舞踏ホールでシエーナが美しいドレスを着て、楽しげにマーなんとか子爵と踊る姿を。
それはなんだか、……不快な光景だ。
デ=レイは呟いた。
「今夜か……」
「明日の出勤に響かないよう、飲みすぎないようにちゃんと気をつけますわ」
「あ? それはどうでもいいが、何時頃行くんだ?」
いやいや、何を言っている。何を聞いている。
デ=レイは自分自身に突っ込んだが、確かめずにはいられない。
「義妹が妙に張り切っていて、私の身支度をやってくれるつもりらしくて、多分それが終わってから……」
「何時だ? 」
「その前に帰宅するのに一時間かかりますので…」
「何時に舞踏ホールに着く?」
なぜ執拗に到着時間を聞かれるのか不可解に思いつつも、シエーナは頭の中で計算する。
「おそらくは八時頃になるかと」
「八時」
なかなか遅い時間だ。
デ=レイはふと考えた。
国立舞踏ホールには以前、行ったことがある。だが紹介状はどこにしまっていただろうか?
書斎だろうか。思い出せない。
デ=レイも視線を上げて柱時計を見つめた。
そして何となくシミュレーションをしてしまう。――魔術館を閉め、王都に戻って紹介状を探す。その後自分が身支度をするには、どのくらい時間がかかるだろう?
(いや、私は何を考えているんだ……。ホールに行って、どうしようというんだ)
だが、これは義妹とやらの策略かもしれない。
くだんの子爵との出会いが仮面舞踏会でセッティングされていて、そこに子爵も来ているに違いない。
そうしてシエーナと子爵が、二人で手を取り合って、舞踏会場で踊るのだろう。
(だめだ。そんなのは、けしからん)
想像するだけでイライラする。
もしや自分は空腹なのだろうか……。
いや、昼食は食べたばかりだ。
デ=レイは窓辺で客を待つシエーナの横顔をちらりと見た。
そして気がついた。
(そうだ。私には雇い主として、彼女を守る責務がある――コレだ)
人畜無害で地味な令嬢が、金目当てのちゃらんぽらん(かもしれない)な貴族の男に、騙されるのを看過するわけにはいかない。
シエーナが伯爵家に帰宅すると、メアリーは彼女を拉致するように自室に連れ込んだ。
そうして侍女五人がかりで、シエーナの頭から爪先までをいっぺんに改造した。
髪に香油を塗り、纏め上げて金粉を振りかける。
デコルテや腕、手の甲、そして膝下を小さな剃刀で入念に剃り上げ、ツルツルにする。
お腹を締め上げ、全身の肉を胸に回す。
なんとか作り上げた鞠のような胸の膨らみに、微粒子状のパウダーをはたき、キラキラと目立たせる。
眉毛を抜いたり切ったりして、ダサい形の眉を流行の形に整える。
ようやく身支度が終わると、侍女たちの息はすっかり上がっていた。かなりの重労働だった。
後で侍女達に、特別手当を支給しなければならないところだ。
「お義姉様! お美しいですわ。 妹のわたくしも、思わずうっとりとしてしまいますもの」
メアリーは心の底からそう言った。
「さあ、ルルと楽しんできて下さいませ!」
シエーナは慣れない高いヒールの靴に転びそうになりながら、顔を引きつらせて礼を言った。
イジュ伯爵家の黒い馬車が、王都を走る。
国立舞踏ホールは、王都の中心部に建っている。
そこへ馬車で乗り付け、正面玄関に向かうと、その場所から既に舞踏会の喧騒が漏れ聞こえる。
入り口でイジュ伯爵家が持っている紹介状を見せ、建物に入る。
扉が開くと、人々の話し声や笑い声、そして管弦楽団の演奏がよりはっきりと聞こえる。
モザイク状の木の床を持つ、小ホールの奥には大きな扉があり、その両側には警備係が立っていた。シエーナが彼らに再び招待状を見せると、扉が開かれた。
(凄い熱気……!)
その先が舞踏会場だった。
高い天井からぶら下がるシャンデリアが煌き、その眩しさにシエーナは一瞬目を瞑った。
広いホールは金銀の装飾が施され、テーブルには豪華な料理が並べられている。
壁には隙間なく絵画や彫刻がされ、王宮の中かと見紛うほど絢爛だ。
そしてそこに集い、お喋りやダンスに興じる人々も場に負けず劣らず、豪勢な服装を纏っている。
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