下
とはいえこうした調査能力は民間の妖怪ハンターである九鬼よりも、警察組織ともパイプを持つ公的機関のほうが上である。なので話の相手は去り際、九鬼に紙のメモを手渡した。
魔像の出所と思わしき場所はとうに特定されていた。住所と電話番号が――何重もの
要は得体の知れない相手の本拠地に公務員を向かわせたくない、ということらしい。どんな妖怪が潜んでいるかわからない場所に突撃させるには、九鬼のような陰陽師くずれは適任だったというわけだ。さしずめ鉱山のカナリア役といったところか。
広大な土地面積と、それに見合ったモダンな二階建て。誰が見るのかわからないテレビのバラエティ番組で登場する豪邸が、そのまま朽ち果てたような屋敷だった。
たしかに立派な屋敷だとはわかる。だがそれ以上に年月の経過によって、屋敷は際限なく荒れ果てていた。セキュリティだけは今も生きているのか、ひとの手によって荒らされた様子はないが、広い庭は雑草どころの騒ぎではなく、鳥が種を運んできたであろう樹木が乱立している。もともとあった庭木は枯れ果てているのに、明らかに想定されていない場所から生えている木々は元気よく葉を茂らせ、屋敷を暗く覆っている。
セキュリティ会社に察知されないための式を打ち、敷地内に入ると真っ直ぐ玄関へと向かう。鍵開けなどは朝飯前で、目をつぶっていてもできる。ドアを開けて屋敷の中に踏み込むと、九鬼はすぐさま臨戦態勢をとった。
ひとの気配がある。屋敷の中の空気は澱んでこそいたが、死んではいない。生活感はないが明らかにひとの出入りがあり、つまりここが調査の目的通りの使われ方をしている可能性が高い。
わずかに逡巡するが、玄関で靴を脱がずにそのまま上がり込む。スペースを大きくとられた玄関ホールとそこから広く続く廊下。
かすかな耳鳴りのような音を聞いて、九鬼は警戒を強める。おそらくは大きな電子機器を使用している。九鬼の鋭敏な霊感はこのように意図せず電流も察知する。
最初に見えたドアを開ける。ウォークインクローゼット――シューズクロークか。どうやらまだ玄関ホールの中らしい。だが中に入った九鬼ははっと目を見開く。
本来なら靴や傘が並べられているスペースには、無数の木像が並べられていた。一様に同じ裸に褌の胴体の上に、特徴的な頭部。
魔像だ。
九鬼は素早く魔像の頭を確認していく。三十六体の魔像と同じものはひとつもない。『相馬の古内裏』の巨大骸骨――『別冊少女フレンド』「ほんとうにでた世界の妖怪大特集」のモズマ(内臓魔)――動物園の人気者、ヘビクイワシ――ざっと眺めて元デザインをたどれたのはこのくらいだろうか。
間違いない。魔像が製造されている。それもこれだけの数――流通目的の可能性すらある。
だからどうした、という話ではある。魔像がネットオークションで流通したからといって、真贋を確かめるすべはないし、これらの作品を作り出した労力には対価が支払われてしかるべきだ。無論、嘘の来歴や価値を標榜するのであれば非難すべきだが、九鬼にそこまで面倒を見る義理はない。
陰陽寮のほうから調査を命じられたのは、国が人間と妖怪の共生の旗印として利用している三十六体の魔像のオリジナルとしての価値を損ねないために工作をしろ、ということだ。
しかしこの魔像――九鬼は現物を目にしたことがあるが、おそろしいほどにオリジナルに似ている。これだけ精巧な贋作を作る者がいるとすれば、あるいは――。
まだ屋敷に入ったばかりだと気づき、九鬼はウォークインシューズクロークを出る。廊下を靴のまま突き進んでいくと、いやでも目につくのがそこら中に置かれた魔像たちだった。どれも似たような胴体をしながら、その頭部はそれぞれ特徴的な意匠を施されている。
激しいモーター音が聞こえてきた。目の前のドアを開けて中に入ると、靴が固いものを踏み抜き乾いた音が響く。広いリビングの床一面におがくずのようなものが散らばっている。部屋の中央に置かれたテーブルには、大きな四角い箱状の機械が載っていた。
箱の中では機械が前後に行き来し、唸りを上げながら底面から何かを立体物として印刷している。
「3Dプリンター……」
製造された魔像の数からもしやとは思っていたが、まさかここまでとは。
「やあ、いらっしゃい」
リビングの奥から気さくな声をかけられる。そうだ。3Dプリンターが稼働していたということは、それを操作する人間が必要となる。
開いたノートパソコンを抱え、分厚い防護手袋をした人物が笑顔を浮かべていた。
「あなたは――」
言ってから、失言だと気づく。不法侵入者は九鬼のほうなのだ。
「私は、そうですね、木喰――とでも名乗っておきます」
不遜な名前だ。
「失礼。私はこういうものです。勝手に上がり込んで申し訳ありません」
妖怪ハンターとしての名刺を渡す。この場は正体を明かしたほうが穏便に進むと判断しての行動だった。謝ってすむような問題ではないが、木喰は九鬼が靴を履いたままであることにさえ何も言わない。
「ああ、いいんですよ。ここ、魔像屋敷には、あなたのようなひとがよくいらっしゃるのでね。かくいう私もそのひとりでした」
木喰は印刷の終わった3Dプリンターを開け、中の木材フィラメントでできた塊を取り出す。防護手袋で周囲のサポート材を取り除いていき、細かくなったサポート材が床に積もっていく。
「これは――」
「ええ。ぬりかべです。正確には、ぬりかべの顔をした魔像、ですね」
ぬりかべは柳田國男が『妖怪談義』内の「妖怪名彙」で紹介したことで知られる。その後水木しげるはこれを参照して『墓場の鬼太郎』でぬりかべというキャラクターを登場させ、『ゲゲゲの鬼太郎』でもレギュラーキャラとして広く親しまれるようになった。このぬりかべのデザインは水木の発想による部分が大きく、「妖怪名彙」の中では姿に関する情報がなかった妖怪に独自のデザインを与えた。これは同じ鬼太郎ファミリーの砂かけ婆、子泣き爺、一反木綿にも同様のことが言える。
ところが2007年、アメリカのブリガムヤング大学の所蔵する妖怪絵巻の中に、「ぬりかべ」と名が書かれた三つ目の犬のような妖怪が発見される。この絵巻と同様のものはすでに日本国内で発見されており、跋文には享和二年――1802年と書かれている。その中でこの三つ目の妖怪には名前が書かれておらずデザインもほかに例がないため、詳細不明の妖怪とされていた。
この、ぬりかべは江戸時代にはすでに存在していた――というニュースが流れてから時が流れ、いつの間にか「妖怪ぬりかべの本来の姿は三つ目の犬のような姿」という言説が流れるようになっていった。
民俗語彙としてのぬりかべは昭和になって採集されたものであり、「夜路をあるいていると急に行く先が壁になり、どこへも行けぬことがある。」という妖怪と、ブリガムヤング大学の絵巻に描かれたぬりかべという妖怪が同一のものであると断定することはできない。絵巻のぬりかべには名前以外の文字情報が一切なく、わかっているのは「名前がぬりかべである」ということだけ。これが現在我々の知るぬりかべと同一のものであると判断できる材料はまったく存在しない。
木喰が取り出した魔像は、頭部がブリガムヤング本のぬりかべと同一のデザインであった。
「あなたが魔像を作り出したんですか」
「いいえ。そんなはずはないでしょう。それでは魔像に対してあまりに失礼だ。私はただの魔像屋敷に迷い込んだひとりです。ここにはなぜか魔像の3Dデータが入ったパソコンと3Dプリンターがあって、好きなデザインを3Dデータ化して魔像として印刷できる。そういうことにしておきましょう」
「小銭稼ぎにしてはずいぶんと手の込んだことを」
嫌悪感を露わにした九鬼に、木喰は笑いかける。
「あなたには見えないのですか。妖怪の未来が」
いつでも式を打てるように身構えながら、木喰の言葉を待つ。
「魔像は江戸時代以降の作――この情報は、すでに妖怪というミームのストリームに取り込まれています。逆説的に、新たな魔像を作り出せばそれが江戸時代以降の作ということにしてしまえる」
「馬鹿な」
鼻で笑おうとしたが、咳のなりそこないがこぼれた。
魔像の来歴が怪しいものだと理解している者は少なくない。少なくないが、無邪気に魔像を楽しみ、そこに歴史を見出す圧倒的多数にはどうやっても敵わない。
なにより現代では妖怪の存在が証明されている。妖怪作品として扱われている魔像に対し、その不自然さを指摘する行為は冷ややかな目でしか見られない。
実在する妖怪と、過去の創作物である魔像。ここには本来明確に分かたれなければならない区分があるはずなのだが、妖怪が実在しているという現実が大きく判断力を鈍らせる。妖怪と創作物の垣根は曖昧だ。創作物から発生した妖怪もいれば、妖怪から生み出された創作物も多い。
そもそもが、妖怪とはすべて創作物だったはずだったのだ。だが妖怪は存在している。そういう社会に〈大祭礼〉が変えてしまった。
「妖怪とは古いもの、です。歴史を尊び、伝統を大切にするような手合いは、簡単に騙される。いいえ、いいえ。これからは魔像が歴史を綺麗に舗装していくんです」
たとえばゴリラの場合、ゴリラという種自体は何百万年前から存在している。だが日本列島に文明が起こってからこの国にゴリラが入ってきたのは1954年が最初であり、それ以前に日本にゴリラは存在しなかった。そんな中で、平安時代にゴリラが描かれた絵巻が存在した――などと言えば正気を疑われるだろう。
ところが、こと妖怪となるとこの無茶苦茶な理屈が通じてしまう。
木喰はその理屈を、すでに過去に接続した魔像という媒体を利用してあらゆる妖怪に援用しようとしている。
ぬりかべの本来の姿は三つ目の犬のような妖怪ということになる。どれだけそれが正確ではないと主張しても、魔像がぬりかべのデザインが普遍的なものであると担保する。
「何が目的ですか」
「ただ単に、妖怪が好きなだけですよ。妖怪は実在することになりましたが、まだまだ弱い。ちょっと裏をひっくり返せばまた非実在の概念に逆戻りしかねません。妖怪の存在強度を高めるために、国が利用している魔像を利用させてもらっているんです」
九鬼は無言で木喰を見つめた。狂っているわけではない。妖怪というシステムをハックしながら、システムの向上を目指している。本当に、善意でやっているというのか。
そんなものは所詮偽りだと糾弾することは、九鬼にはできそうになかった。妖怪が対象だろうと歴史を紐解き、検証し、真実を究明することは可能であるし、行うべきだとはわかっている。だが陰陽寮を辞めた時にはもう、九鬼はすべてに愛想が尽きていた。木喰の言う通り、妖怪を大切にしていこうと足並みをそろえる国には、この魔像は覿面に効くだろう。
「最後にひとつ、聞かせてください。あなたの所属は――」
木喰はぬりかべ魔像を九鬼に手渡し、耳元で囁く。
「――研究会」
もう十分だった。土産に渡されたぬりかべ魔像を手に、九鬼は屋敷をあとにする。
陰陽寮への報告を早急に仕上げなければならない。だがこのぬりかべ魔像を提出する気にはどうしてもなれなかった。どこに渡っても、ブリガムヤング本のぬりかべを民俗語彙のぬりかべと同一視するための材料に使われてしまう気がしてならない。
すっかり夜になっていた。九鬼は車のエンジンをかけ、事務所に向かって夜道を走らせる。
車のライトが、大きな三つの目を映し出す。そのまま九鬼の車は見えない壁に衝突する。意識を失う間際、九鬼は自分がなぜすべてに愛想を尽かせていたのか理解した。
妖怪が当然のように存在していることが耐えられなかっただけなのだ。
翌朝のニュースに載ったのは、妖怪ハンターの事故死ではなく、ぬりかべ魔像発見の一報であった。
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