翼の無い少女

歩行

近いからこそ得難い景色

 この世界では二つの人種がいる。


 翼を持ち、空を自由に駆け巡る【翼人よくじん】。


 翼を失い、誰一人として空を渡れぬ哀れな【堕人だじん】。


 当然空を飛ぶことのできる【翼人】が上等だろう。


 だから。


「黙ってんじゃねぇよ!おらァッ!」


「いっ…」


【堕人】である私が階段の踊り場で殴られるのも道理だろう。

 集団で私の顔や腹を、繰り返し。

 大して痛くは無いが、痛みがないわけではない。


「ぁあ!黙ってるだけでもうるせぇんだよッ!なぁッ!」


 現実逃避も兼ねて自分の境遇を思い返したものの。

 恨むべくは、神か、私を産んだ母親か、【堕人】である父親か、もしくは社会か。


 どれを恨んだとして、何が変わるわけでもない。

 当然目の前にいる高等な【翼人】サマが私にやさしくするなんてことはない。


「チッ!気色悪ィ」


 やっと飽きたようだ、濁った茶のはねを翻しぞろぞろと一階への階段を下りている。

 彼女の翼が濁っているのは私の目が澱んでいるからだろうか。


 この女子校でも変わらなかった。

 体育の『飛行』という科目には一切出ることができないし、先ほどのような虐めに先生も加わることすらある。


 中学から上がって虐めが苛烈になったと言ってもいい。

 顔までは殴られていなかったから。


「…」


 そろそろチャイムがなるだろう。

 教室に戻らないと。


「ねぇ、君」


 …階段の下から心地のいい低音で話しかけられた。

 周りには誰もいない。

 ということは私に要件があるのだろうか。


 高い身長に、白い短髪。

 何より目を引かれる、赤みがかった黒褐色の美しく大きな翼。


 私の昏い目にも理解できるほどに。

 荘厳で神々しい、淡く光沢を放つ翼。


 彼女は生徒会長だったはず、入学式で壇上に立っていたのを覚えている。

 こんな翼の持ち主、そうそう忘れられない。


「少し話したいことが——」


「すみません、急いでますので」


 話を遮ったことへの罪悪感は当然湧く。

 それでも私のような穢れた存在が近寄るべきではない。

 間近にいるとそう感じてしまう。


 まさに様と付けるべきだろう。

 皮肉すら思いつかないのだから。


「…そうか、すまないね」


 謝罪を【堕人】にするなんて、【翼人】にあるまじき行為だと思うのだけど。

 一刻も早く離れよう。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 授業が終わり、昼休みになった。

 だいたいが中学校の復習で終わるから楽だ。

 休めるか、と言ったら休む間などないけれど。


 早く教科書やらを片付けないと…っ!


「うぱっ…!えほッ、こほッ」


 水…か、気道に入ってしまったようだ。

 どうせ次があるのだから袖で拭う。


「水かけたんだから綺麗にならないとだめでしょ~?」


 教科書を片付けていなかったのに。

 服は着替えを持ってきているが、教科書を乾かすのは面倒くさい。


 私が【堕人】だから悪くても風邪を引く程度で済むが。

 あなた達のような【翼人】は濡れてしまうと飛べなくなる。

 暴行以上に非道い虐めと言える。


 入学してあまり時間が経っていないのに…。


「ほらぁ、流れないとぉ~!」


「…っ!」


 …まただ、冷たい。

 殴られても、堪えられるが。

 水は仕返してしまいそうになる。


 私のような【堕人】と比べて、【翼人】は大抵飛ぶために軽い身体をしている。

 だから、私が殴ると骨折してしまう恐れがある。

 そうなると加害者になるのは私だ。


 例え、先生や生徒にあざけられたとしても堪えなければ。

 私が異物であるのは今に始まったことではない。


 ただ我関せずと云った様子で、本を読んでいる鴉羽からすばの少女や。

 怯えた様子をした、雀の羽を持つ少女など。


 嗤う様子のない彼女らは中立で危害さえ加えなければ関わってくることはない。

 敵視されないというのはちょっとした癒しかもしれないな。


「アハハ、びしょぬれぇ~!面白いもの見れたしもう行こっかぁ」


 耳障りな声が遠ざかっていく、生徒会長を見習ってほしい。

 生徒会長は高潔といった言葉が最も似合う風貌をしていたから。


 服を着替えて…。

 髪も乾かしておかないと。

 今日も昼ご飯は抜きになりそうだ。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 現在は放課後。

 当然。


「なんでこの学校にきてんだよッ!」


「うっ…」


 殴られております。

 今回は空き教室。

 つまり人目のつかない場所での暴行だ。


「そうだァ、いいことを思いついた」


 彼女は文房具入れを探って…。

 嫌な予感がする。


「あ、あったぞ。これでてめェの背中に羽書いてやるよ」


 嫌な予感は的中して、カッターナイフを取り出した。

 これで傷つけられたら、一生残るだろうな。

 体にも、心にも。


 当然状況は非道いのだが、やけに私の頭は冷静だ。

 既に諦めがついているのかもしれない。


「じゃあ、抑えてろ」


 さすがに数人がかりで動きを止められたら、抵抗しようにもできそうにない。

 動かない方がまだマシか。


「チッ!つまんねェな、ま、その方が楽か」


 上着を捲られた。

 痛いだろうけど…耐えなければ。


 …っ!足音!


「ねぇ、止めない?だれか来るわよ?」


「ぁあ?どうせ先公だろ、気にすんな」


 …そうか、先生は助けるどころか愉しむのか。

 はぁ…。


 そして、扉の開く音が聞こえる。



「ねぇ…お前たちは…彼女にいったい何を行っているのかな」



「…っ!」


 …ふぅ。

 一瞬息が止まった。


 彼女がはっされたものは怒気とでも言えばいいのだろうか。

 空気が震えて前後が曖昧になる感覚。

 有無を言わせるつもりもないと無言のうちに語られている。


 この場にいる人間を全員覆いつくすほどに大きく翼を広げられて。

 その様相は威嚇と言うにはあまりにも不相応だ。


「彼女は私のだ。お前たちが触れていい道理なんてないだろう?」


 はは、どうやら私はいつの間にか、彼女の獲物となっていたらしい。

 その双眸そうぼうでずっと私を見つめている。

 私は知らなかったが【翼人】は【堕人】を食べるのか?


 父と母は【堕人】と【翼人】という関係でも、仲睦まじい印象があったのだけど。


 いや、これほど崇高な【翼人】であれば、食す文化があってもおかしくはないか。


「チッ!ずらかるぞ」


「う…うん!」


 沢山の【翼人】サマが教室から逃げていき。

 残ったのは私と生徒会長だけ。

 その間も私から目を離すことはない。


 明らかに命の危機であるのに逃げようとは何故か思えないようだ。

 ただ座ったままより立っておいた方がいいだらうか…っ!


「…あれ?大丈夫?」


「…申し訳ありません、腰が逝ってしまったようです」


 何度も壁にぶつけられていたのだから、動けなくもなるか。


「ああー…ごめんね。ちょっと持ち上げるから舌嚙まないようにね、しょっ、と」

 

 え、彼女の腕が首の裏と膝の裏に…。

 これがいわゆる横抱きと云うものですか。

 

 この方【翼人】にしてはとてもたくましい。

 まさに【翼人】様だ。


「私の名前は鷲京わしのみや 栗羽くるわ。君の名前は?」


「…観行かんぎょう のぞみと申します」

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