第21話 再会




「どうして、なんで、どうして」

 机を叩いたヘニングは顔面蒼白になりながら、考えを纏めようとするがそれが上手く出来ない。机上にあるのは石塊で、何故、とそればかりが頭を埋め尽くす。

「金が、金がっ――」

 気紛れだった。身代金を引き取りに行ったのだから一足早く拝ませてもらおう、と酒精を摂取して気分が浮き上がった頭でぼんやりと思い、固く結ばれた紐をヘニングは解いた。麻袋に詰め込まれていたのは石塊で、コトンと机の上に転がり落ちた。今となってはどうしてもっと前に確認しなかったのだろうかという後悔しかない。

「警備隊が、石を入れた? いや、そんな、まさか。じゃあ、金はどこに。誰がっ、あぁぁぁぁぁぁぁぁあ」

 感情のままにヘニングは机を両手で叩いた。その反動で机から石塊が転がり落ちて、その一つが足の上に落ちた。

「っ痛! ああ、もしかして――」

 痛みでふと我に返ったヘニングは、聖女を人質に取られた警備隊が危険な橋を渡る可能性が低いことに気付き、とある考えに至る。

「まさか、ルーヘン、ヴェンデル。あいつがっ、あいつらがぁ」

 一度そう思えば、ヘニングの思考は凝り固まってしまう。どんな手段を用いたか知らないが、ルーヘンが奪ったとしかヘニングには思えなくなっていた。

「――逃げなきゃ」

 そう声を漏らすとヘニングは椅子から転げるように立ち上がった。ヴェンデル達が仕組んだというのならば援護はない。袋の鼠の自分達は警備隊に捕らえられるのを待つだけの身だ。導き出した結果にヘニングは混乱する。どうにかして遠くへ行かなければ、聖女を誘拐したという罪状だけなすりつけられてしまう。縺れる足を叱咤してヘニングは武器に手を伸ばす。その様子を見ていた仲間達も状況を察したのか各々逃げだそうとしている。


 荒々しい音と扉が吹っ飛んだのは同時だった。


「動くな」

 白刃が煌めき、入口に居た仲間が数人崩れ落ちるのをヘニングは目視した。ゾロゾロと部屋に足を踏み入れた男達の姿に突っ込んでも勝機は無い、そう判断して身体を反転させて窓へ逃れようとするが、それよりも早く窓が外側からこじ開けられる。

「ああっ、あぁぁぁぁ」

 どうしてこうなった、と己を憐れみながらヘニングは己の腰に据えた細身の剣を抜いた。破れかぶれになって暴れて腕を振り回すヘニングは、目の前に居た男の肩口に斬りかかる。

「うわぁぁぁぁぁっ」

「邪魔だ」

 腹を蹴飛ばされた、とヘニング自覚したのは床に転げ回って剣を手放した時だ。鈍い痛みに胃液が迫り上がり、口からだらしなく血の混じった唾液が零れ落ちる。

「聖女は何処に居る」

 喉元に剣の切っ先を突き付けられてヘニングは喉の奥で悲鳴をひり出す。

「しっ、知らない。俺は何も知らない」

 頭を振りたくとも、喉が切れるその不安で身動きすることが出来ずヘニングは管楽器が失敗したかのような音を喉から吐き出す。憤懣遣る方無い感情を発憤するかのように脇腹を蹴り上げられ、ヘニングの身体が床を跳ねた。一瞬、呼吸が止まった気がしたヘニングは自分を制圧する男――クヴェンを見上げた。

「おい、聖女を確保するまでは殺すな。情報源だ」

 クヴェンの号令は指揮する者のそれでヘニングはまずい相手に斬り掛かったことに気付く。

「隊長、これ」

 ノルドの声にクヴェンは視線を部屋の中央にあった机へ向けた。ノルドの手には石塊が握られている。傍には空になった麻袋がある。

「おい、金は何処へやった」

 真下に寝転がっているヘニングにクヴェンは問い掛ける。その威圧感のある声にヘニングは転がっている剣へと伸ばした手を止めてしまう。

「知らない。最初っから、そうだった!!」

 遽色を容に浮かべたクヴェンにヘニングは、警備隊が仕組んだことでは無いことを察する。ならば、やはり自分は囮だったのか、と漸く思い至る。体中の血が沸騰するような怒りがヘニングの中に渦巻く。次に自分がやるべき行動は、とヘニングは剣に手を伸ばすのを諦めて口を開いた。裏切りへの返報は密告と相場が決まっている。

「ヴェンデルか、ルーヘンが奪ったんだ! どうやったか知らないが、そうに違いない!! あいつら、聖女を誘拐したんだ。俺らにも一枚噛むように言ったのに、裏切るなんて、畜生!!」

 自分達だけが幸福になるなんて許せない。そんな自分勝手な感情にまかせてヘニングは計画が失敗すれば良いと呪いながら秘すべきことを暴露した。

「ヴェンデルにルーヘン、それが残りの仲間の名か」

 床に膝を付いて身体を屈めてクヴェンはヘニングの顔を覗き込む。顎を掴み、睨み付ける射るが如き炯眼にヘニングは身体が竦み上がり、骨が軋む音を肌で感じた。

「聖女と一緒に居るのはそいつらだ、俺達は巻き込まれただけだって」

 自分の罪状を如何に軽くするか、ヘニングの焦点はそこに絞られている。諂うように笑みを浮かべたそれは引き攣り不格好なものだったが、ヘニングは自分は悪人ではないと主張する。

「全員、捕縛しろ」

 クヴェンの言葉に警備隊が縄で誘拐犯達を縛り上げていく。

「金を奪われて、聖女も戻ってこないなんてこれ以上の失態はない!!」

 舌を鳴らしたクヴェンは、あり得ない可能性を排除していって何処ですり替えられたかを思案する。もしもの話は複数枝分かれしていくつもの可能性を提示する。だが、思い至るのは、一点だけだ。

「店か」

 剣に付いた血を振り払い、鞘に戻したフォルトゥナートの言葉にクヴェンは頷首した。




 宿舎への道を辿りながらテオフィルは肩口に付けていた青い花を外してポケットに仕舞い込んだ。麻袋を受け取った男の後を追い掛けて走ったものだから、どの道を曲がったのかという確証もないままテオフィルは足を進める。行きと帰りでは道の表情が変わるのは仕方が無いことだ。身代金の遣り取りは完遂したのだから、ユーディットの居場所はきっと宿舎に送られてくる筈である。何と頼りないことに縋り付いているのだろうか、とテオフィルは気持ちを凋ませてしまう。帰ってくるのを待つだけなんて、心淋しい。

「?」

 運び役の男が立ち寄った店の看板が目に飛び込んできて、自分の方向感覚が外れていないことにテオフィルは安慮する。


 『こんな状況で、か?』


 クヴェンの訝しがる声がテオフィルの中で響く。あの時、男は何かを購入する為に立ち寄ったかのように見えた。あれは一体何だったのだろうか、と思いテオフィルは店を凝視する。視界の端に男が一人出てくる様子が過ぎりテオフィルは意識を現実に戻す。暗闇にも分かる燃えるような赤い髪にハッと息を呑んだ。別れ際のフォルトゥナートの言葉がテオフィルの中で思い起こされる。包囲網を突破した人物がまさか、こんなところに居ないだろうと考えるが胸がざわつきテオフィルは男が気に掛かってしまう。辺りを警戒するように見渡すその様子は、後ろ暗いことをしている人間特有のそれでテオフィルは更に疑いを濃くしてしまう。布にくるまれた、荷物を男は抱え上げた。その大きさがテオフィルが運んだ麻袋の大きさと似通っていて、色々と符合していくことにテオフィルは自然と腹を決める。大通りを悠然と歩く男の後ろを距離を保ちながらテオフィルは付いていった。宿舎へと進むべきを右に曲がり、入り組んだ小道を進み、人様の家の庭を横切り、次第に人はまばらになっていく。

「っ――」

 男が向かう先は何処なのだろうか、と先に目を向けるがその暗さは闇がぽっかりと口を開けているようでテオフィルは気弱になる自分を奮い立たせる。

 市街地からは少し離れポツリポツリと建物が点在している開けた場所に到達する。男が建物の一つに吸い込まれたのを確認してテオフィルは其処に駆け寄る。古い建物なのか周囲を見渡しても少し離れた場所に灯り一つ二つとあるぐらいだ。男が消えた扉に耳を当て中の様子をテオフィルは窺おうとする。ピタリと右耳をくっつけたテオフィルは中から聞こえるぼそぼそとした音に耳を欹てる。何を話しているのだろうか、と更に体重を乗せた刹那、テオフィルの身体は地面に打ち付けられる。勢いよく扉が開けられてなだれ込んだ、という判断が出来ずテオフィルは目を瞬かせた。床に倒れた右半身の痛みよりも中から溢れた目映いばかりの灯りに目が眩み、テオフィルは漸くそこで初めて、建物の中に引き込まれたことに気付く。

「おや、想定外の客人か」

 ドアノブを掴んだルーヘンは空いている手でテオフィルの身体を無遠慮に掴むと部屋の奥へと放り投げる。細身の身体に反しての力強さにテオフィルは咳き込んだ。

「さぁ、その顔を晒して貰おうか」

 伸びてきた手を撥ね除けようとするがテオフィルのささやかな抵抗をものともせず、ルーヘンはテオフィルのフード付きのローブを剥ぎ取った。

「おやおや、これは奇妙な。ヴェンデル面白い、見世物だ」

 ルーヘンが声を掛けると部屋の奥に仕切るようにかけられていたカーテンが揺らめいた。

「ルーヘン、手筈通り、持ってきたか。それに何を言って――」

 カーテンの奥から出てきたヴェンデルはルーヘンの足下に倒れているテオフィルの顔を見て、目を瞠り、ニタリと嗤った。

「ははは、まるで映し鏡だな」

 そう言ってヴェンデルはカーテンを引いた。そこには後ろ手に手を拘束されて俯き座り込んでいるユーディットが居た。

 カーテンの揺れに驚いたユーディットがテオフィルを捉えて一層、目を丸くした。

「ユーディット!!」

 思わずテオフィルは叫んでしまう。別れた時から髪が少し短くなって服が汚れている様子から手荒いことをされたのを想像してテオフィルは痛ましげに顔を歪める。

「聖女様、どういうこと? もしかして、聖女様、聖女様じゃなかった?」

 ユーディットに近寄ったヴェンデルは屈んでユーディットの顔を覗き込む。髪を無理矢理掴んで顔を上げさせるその粗雑な扱いにテオフィルは身体を起こして掴みかかろうとするが、立ち上がったところで腕を捻り上げられてルーヘンに両手を拘束されてしまう。

「っ……本物は私。気品があるし、美人だし、それに私の方が胸とかあるし……」

 アピールすることに不慣れなテオフィルは必死に言い募るが、ユーディットの顔が、こいつ何言ってるんだ、と倦色を浮かべたことには気付くことはない。

「聖女は私。私が人質になるから、彼女は解放して」

 ユーディットの影法師を務めている以上、害悪は自分が引き受けなければならないとテオフィルは自然と考えていた。

「そうか」

 テオフィルとユーディットを交互に見たヴェンデルは小さく頷く。分かってくれたのか、とテオフィルが期待した刹那、ヴェンデルはユーディットに向き直る。

「本物じゃないなら、口を封じた方が良いよな」

 短刀を手にしたヴェンデルはユーディットの首筋に短刀の切っ先を近付ける。ユーディットを助ける筈の言葉がユーディットを追い詰めることとなってしまいテオフィルは勢いよく叫ぶ。

「嘘です!! 俺が偽物です!!」

「ヴェンデル、こいつ男だね」

 間近でテオフィルを見ているルーヘンの言葉にヴェンデルは承知したとばかりに深く頷いて、口の端を歪めた。

「とんだ茶番だな。聖女様、助けに来たのが騎士様じゃなくて残念だったな」

 短刀を仕舞ったヴェンデルはユーディットに慰めの言葉をかけるが、口元には言葉に反して笑みが浮かんでいる。

「っ、何するんだよ」

 ルーヘンに腕を縛られたテオフィルは思わずつんのめりユーディットの方へと、とん、とん、と進み出て膝から崩れ落ちる。

「っ痛、ユーディット」

 テオフィルは近付いてユーディットの些細な変化に気付く。艶やかだった髪はかさつき、白皙の顔に朱線が走っている。乱れた服が所々破られており、覗く肌には赤い痣がついている。服がずり落ちた肩口には強く噛まれたのか歯形の跡が付いている。土埃に塗れているから少し刺激臭が鼻腔を掠める。

「大丈夫か? 怪我は? ごめん、俺が、しっかりしてなかったから。どんなに言われても断れば良かった。本当ごめん」

 涕泣して言葉を震わせたテオフィルの姿にユーディットは頭を振る。

「馬鹿ね、テオフィル」

 力なく笑ったユーディットに緊張の糸が切れたようにテオフィルは啜り泣いた。




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