第2話 予定の破壊者

 教師に呼び出された理由を私は認めない。

 だから、そんな態度の私に教師は言葉少なめの注意で済ませた。

 扉を開くと教室内の雰囲気が変わる。

 開ける前の雑音を私の存在が打ち消したのだ。

 緊張感の漂う教室。

 さっきのあれが効いたのだろう、当分は静かな学園生活を送らせてくれる。

 だが、単純なこいつらは一週間もすれば忘れて、また雑音をばらまく。

 一体、何の為に学園に来ているのか。

 所詮は体裁だけの騎士見習いになるためか。

 ブレザーにある印「騎士よ勤勉なれ」の文字がとんだ皮肉になってしまっているな。

 私は席に座ると騎士道教務の教科書を机の上に置く。

 教師の教育者然とした無駄な注意のせいで予習時間が減ってしまっていた。


「ジレちゃぁーん! おつかれさまぁー」


 教科書を開く。甘ったれたような声は無視する。


「ありゃ、機嫌悪いのぉ? どっか悪いのぉ? お腹痛いぉ?」 


 馬鹿にしたような物言いに「失せろ」の一点張りをしてきたものだが、こいつはどうやら言葉を理解出来ない生き物らしい。


「お腹痛いなら、保健室に行った方がいいよぉ。あたしも今日、なんだか、眠くて眠くて何かの病気かなぁ?」

「頭の病気だろ」

「ふぇー! たいへんだぁ、頭の病気は怖いんだよ!」

「確かに怖いな……言葉の裏を知らぬ者は」


 教科書に視線を落としたまま、鼻で笑う。


「そう言えば、さっきはかっこよかったぁ。ジレちゃん昔っから強かったもんねぇ!」


 しかし、こいつには嫌みが届かないのを思いだし、ため息を一つ漏らす。

 ブレザーの胸ポケットから懐中時計を取り出す。

あと十分もない。

 一端、教科書を閉じると横からまるでヒヨコのようにぴーちくぱーちくさえずっている奴へと向き直る。


「……そんで、最後の一撃が、おりゃーって」

「エミール、この際だから言っておく」


 

 その言葉にエミールは固まると眼を丸くしながら私を見つめた。

 金色のポニーテール、あめ玉のような水色の瞳、綿菓子のような頬、小ぶりな唇。幼い顔立ちに緑のブレザーと赤いリボン、チェックのミニスカートがよく似合っている。昔から……十年前から何一つ変わっていないエミール。変わってしまったのは……


「私は貴様が嫌いだ。だから、自分の席へ戻れ」

 

 私とエミールの関係だけだ。


「え?」と、か細い音が、桃色の唇から漏れる。


 みるみる内に瞳に涙が溜まり、ポロポロと零れ落ちた。


「ジレちゃんのいぢわるぅ、いっつもそう言うの。そんな言い方ないよぉ」


 目元をおさえながらエミールは声を上げ泣き出す。

周りが怪訝な顔でこちらを見てくる。しかし、私は一向に気にせず、教科書を開き予習を始める。

八分。予定は乱したくない。


「えーん、えーん」と子供のような泣き声で周囲の耳目を集めるが、私は脳内に騎士道信条第五項の条文を巡らすだけだ。


 だだっ子のように、声のトーンをエミールは上げる。

 ――っち、今日はやけに長いじゃないか。

 エミールへと軽く視線を投げかけると、手で顔を覆ってる指の間から目が合った。

 こいつめ。

 やはり、予定が狂う。エミールは予定を狂わす達人だ。


「いい加減、演技はやめたらどうだ?」


 私の言葉にエミールは目を覆った指の隙間からチラリ、こちらをのぞき込んできた。


「……エミール、何がしたい? 私は予習がしたいのだ。何を欲している? ならば、この言葉を与えてやろう……失せろ」


 耳をつんざくような泣き声を上げ出す。

流石の私も耳をふさぎたくなる。教室から見える廊下には、人だかりができていた。

 ――私は、一向に構わない。

 人からどう思われようが、どう評価されようが。強ければこの国、アニバーサリ王国で成功できるからだ。だから、幼なじみが泣きわめいて、その原因が先程も男子学生を殴り飛ばした私だとしても、私には……。


「わかった! エミール、分かった、お前の好きにしろ! だから、もう、やめてくれ」

「……ぐす。なら、今度のお休みに舞踏会に連れていってよぉ」


 見計らったように泣くのを止めたエミール。

いつもこれだ、何かあると泣く演技で私の予定を……


「……舞踏会だとぉ?」


 思わず声を裏返らせてしまう。

咳払いでごまかすが、頭の中でもう一度声を裏返らせる。舞踏会だとぉ?


「そうだよ、舞踏会! 英雄サジタリウス様の御帰還記念パーティーがあるの。そこに連れていってよぉ」

「それは、私、ジレンマ・シレジレアに言っているのか?」

「他に誰がいるのぉ? 大丈夫、ジレちゃん、美人だもん! ちゃんとドレスを着ればきっとお人形さんみたいになれるよ」

「だ、だれが、お、おに、お人形さんだ、か、からかうな」

「からかってないよぉ。ジレちゃん、今は男の子みたいな格好してるけど、本当は誰よりも女の子……」

「――エミール。それ以上は口に出すな。不愉快だ」


 エミールはぴくりと肩を震わし、また泣き出しそうな瞳でこちらを見つめた。

 エミールの瞳に映る私の表情を見て、不快さを増す。

 だから、いやなんだ、こいつと一緒にいるのは。



「ごめんね。私、馬鹿だから、ジレちゃんを傷つけちゃう事を言っちゃう」


 けど、

「……いつなのだ? その舞踏会とやらは」

 何故だろうか、どこかでこいつの笑顔を見たいと思う気持ちが働くのだ。


「え……うん! 来週の聖霊日だよ! いっぱいおしゃれして行こうね!」


 泣いたカラスがもう笑ったかのように、エミールは、はしゃいだ。


「私はドレスの類は持っていないぞ」


『もう』を着けなかったのは見栄だ。


「平気、平気! 私がちゃーんとコーディネートしてあげるんだからぁ!」


 ここで、「情けは受けない」と言ってしまえば、また、振り出しに戻るのだろう。それにその言葉は言いたくない。それこそ本当に落ちぶれたように惨めな気持ちになりそうだ。


「そうか、任せる」


 精一杯のやせ我慢に少し自嘲する。


「うん、頑張る! きっと、ジレちゃんの可愛さにサジタリウス様もメロメロになっちゃうよぉ。そしたら、きっと白鳳騎士団入りも、夢じゃないね!」

「エミール! 私は、そのような不純な動機で入るつもりはないぞ! 実力で」


 しかし言葉を投げた場所には、もうエミールはいなかった。


「……あのぉ、シレジレアさん、授業始めてよろしいでしょうか?」


 おどおどしながら騎士道教務の教師が私に言った。

周囲を見渡すと、既に同級生達は授業へと備えている。

エミールも席に座りこちらに「シシシ」と、顎の辺りを拳で隠しながら笑っていた。

 懐中時計を見ればマイナス三分。やってくれる、私の予定の破壊者め。

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