小骨の多い男

光河克実

  

(1)

 初めての人間ドッグの健診結果を聞くために俺は町で一番大きな病院の一室にいた。あまり気が進まなかったが、中年にさしかかり女房から定期的に行くよう勧められたのだ。

 院長が俺のレントゲン写真を見て言った。

「別に悪いところはないけど・・・あなた小骨が多いねぇ。」

「は?小骨ですか?」

「見てごらんなさい。背骨のいたるところから無数の小骨が出ている。小魚みたいに。・・・」

そう言って院長は俺にそのレントゲン写真を見せた。確かに背骨から左右にワイヤーのように細い小骨が内臓を包み込むように覆っている。イワシかシシャモのようだ。

「あの、これって何か良くないことですか?」

恐る恐る聞く。

「いや、別に問題ないだろうけど、こう小骨が多いと開腹手術の時、厄介だろうね。」

院長は、自分が手術した場合を想像してなのか迷惑そうな顔で言った。

「今まで、お医者さんから何も言われなかった?」

「ええ。私、もっとも健康にはけっこう自信があって、ほとんど医者にかかったことがありませんでしたから。」

「毎年の定期健診は受けていない?」

「さぼってばかりで。・・・でも二十代の頃は何度かレントゲン撮りましたけど特に何も言われたことはありません。」

「ふうむ。すると後天的なものか。・・・」

医者は腕を組んで唸った。しばらくの沈黙。

「治療とか必要なんですか?」

俺は不安になって尋ねた。

「まぁ、そういう体質というだけで。健康なら別に問題はないと思いますよ。」

そう言いう医者の口元に笑みが浮かんでいるのを俺は見逃さなかった。なんだか見下されているようだった。

「とにかく経過観察という事にしましょう。何かあったら来てください。」


俺は憮然としたまま病院を出た。帰りのバスで吊革につかまりながらボソッと呟いた。

「俺って小骨が多いんだ。・・・」

なんだか哀しかった。


(2)

 帰宅して俺は女房にその事を告げると、あからさまに怪訝そうな顔をした。

「なにか嫌ね。小骨が多い男なんて。・・・」

「何が嫌なんだい?」

俺はドキッとした。

「なんだか神経質で、こざかしい男みたい。」

これだ。まさに俺がなんとなく感じていた事はこれだったのだ。自分がケチで甲斐性なしの小さい男のように思えてくる。

「今時、魚だって骨とってスーパーに並んでいる時代よ。時代に逆行してるわよ。」

なんだか申し訳ない気持ちで俺は尋ねた。

「これから、どうすればいいと思う?俺。・・・」

「知らないわよ。とにかくご近所や友人には内緒にしておくわ。なんだか体裁悪いもの。あなたも人にしゃべっちゃ駄目よ。」

傷ついている俺に優しい言葉は一言も無かった。


(2)

 翌日、会社での仕事終わりに同僚二人から、最近できたという小料理屋に誘われた。昨日から鬱屈した気分でいたのでその誘いに乗った。

カウンターだけの小さいその店に入ると割烹着の似合う美人の女将から「いらっしゃい。」と声をかけられた。女将に一言二言話す素振りから同僚は何度か飲みに来ているようだった。

 酒を飲みつつ世間話をしている内にくつろいできた俺は、思い切って自身の小骨の多さを打ち明けた。誰かに相談したかったのだ。案の定、二人は珍しそうに聞き入り、そして笑った。

「普通、過剰摂取のカルシウムって外に排出されるのに、ため込んで小骨にしちまうなんて、どれだけケチなんだい?」

「なんだか貧乏くさいねぇ。」

女房と同じ感想だ。

「ゾンビに襲われても、食うのに手間取って嫌がられるだろうね。」

「のどに小骨が刺さって痛がったりしてな。」

「ちぇっ、勝手なこと言いやがる。なんだ。ゾンビって」

俺はムッとした。

「それよりもお前が死んだとき、遺族が大変だな。骨拾うの、時間かかって。」

「骨つぼ、二ついるな。」

そう言って二人は笑った。俺が憮然としていると、その様子を見ていた女将が

「あまり二人でからかったらいけないわよ。」

と言って話に割って入った。

「この方、とても落ち込んでらっしゃるのにひどいわよ。可哀そうに。」

俺が聞きたかったのはその優しい一言だったのだ。同僚はその後もからかってきたが、次第に飽きたのか話は別の事となり、やがてお開きとなった。


(3)

 翌日、会社に出勤してみると俺に小骨が多いことが小さい会社ゆえに社内全部に広まっていた。上司をはじめ、いろいろな人から珍しがられ、からかわれた。俺を見る目はどれも、奇異なものを見るような目であり、中には軽蔑の色が浮かんでいるものもあった。

「チクショウ!あいつらベラベラ喋りやがって!」

俺はカッとなって昨日、打ち明けた同僚のところに行って文句を言った。奴らは笑いながら

「こんな面白いこと俺らに言ったら、そりゃ喋るさ。」

「気にしている事ばらしやがって。」

俺はくってかかった。

「だってセコイんだもん。採りためちゃって。」

「好きで採りこんじゃってるわけじゃない!」

「まぁ、そう怒りなさんな。笑い話にすればいいんだ。」

奴らはいたって軽いノリなのだ。

「もういい!人の事だと思って。・・・」

そう言い残して自分のデスクに向かった。


(4)

 その日は突然やって来た。月曜の朝、洗顔しようと洗面台の鏡で自分の顔を見た。不精をしていたせいで随分と髭が伸びていた。随分、白いのが混ざっていて、顔全体が老けている印象だった。

 髭剃りの刃を当てていつものように剃り始めると随分と引っかかるような手応えだ。不思議に思い髭剃りの刃を見ると刃がボロボロになっていることに気づいた。(?)剃刀負けする事はあるけど剃刀勝ちするのは珍しい。嫌な予感がして顎のあたりを鏡でじっと見てみて驚いた。半透明のチクチクしたものが黒い髭に交じって肌から顔をのぞかせている。

「骨だ!髭に交じって細い骨がいっぱい生えている?」

手で触ってみる。髭より硬い。怖くなって自分の腕やすねに生えている毛を確認すると明らかに毛とは違う半透明の小骨が伸びていた。

「な、なんじゃこりゃ!」

服を脱いで身体中を確認すると、腋毛にも陰毛にも骨が混じっている。いつの間にか、身体中から細い小骨が生え始めているのだ。

女房が何事かと慌てて洗面所にやってきた。

「どうしたの?大きい声出して。」

「み、み、見てくれ。俺の身体中から小骨が生え始めている!」

「何、馬鹿な事言っているの?」

苦笑しながら女房が俺の身体中を観察する。

「・・・・これ、あなたの小骨?」

「うん。毛よりずっと硬い。」

「き、気持ち悪い!どっか行って!」

女房は化け物を見るかのような表情で後ずさりして逃げた。俺は茫然と立ち尽くしていた。

 

(5)

 俺は会社に急病で休むとだけ伝えて、人間ドッグを行った病院に飛び込んだ。

院長は俺の身体中から伸びている小骨を目視して絶句した。そして予約なしで直ぐにMRI検査をしてくれた。そして、その画像を見ながら俺に告げた。

「うむ。やはり髭ではないな。小骨が中から外に向かって皮膚を突き抜けている。」

院長はパソコンの画面に映し出された俺の身体の輪切り写真をいくつも拡大して見せた。

「この画像をみてごらんなさい。ワイヤー状の小骨が硬化して外に向かっている。背骨からも手や足の骨からも。」

俺はその画像を見て、じっとりと背中に変な汗が滲み出るのを感じていた。

「痛みはありませんか?」

「不思議とそれはありません。それより、今までこんなことなかったのに、何故急に生えてきたんでしょう?」

俺は息せききって尋ねた。

「う~ん。わからない。大体、小骨が多い時点であなたは特殊なんだから。こんな症例があるのかどうか。・・・」

「そんな!先生、何とかしてください!」

俺は懇願した。院長はピンセットでつまみ上げようとしたがそう簡単にぬけるものでない。毛を抜く時の様な痛みを皮膚に感じた。

「手術と言ったって身体中開いて一本一本、骨の根元から抜くなんて大変な事、出来るわけないし。・・・」

「このままほっとくとどんどん伸びていくんでしょうか?」

「・・・おそらく。」

「毎日剃るしかないわけですか。・・・」

俺は頭を抱えた。

院長はしばらく考え込むとおもむろに

「京都に行きなさい。」と言った。

「京都?」

「あそこは鱧(はも)料理の老舗がいくつもある。そこの板長さんに頼んで身体を開いて小骨を細かく切って貰うんだ。それしかない!」

(こ、こいつ本気でいっているのか?)

俺は途方に暮れた。


(6)

 家に戻ると女房がいなかった。リビングのテーブルの上に書置きの手紙と一枚の書類があった。もともと俺への愛は醒めているし、小骨の多い人となんか一緒に暮らせないと書いてあった。そしてこの離婚届に署名して役所に届けるようにという指示まで記されている。見ると既に女房の方は署名を済ませてあった。どうやら以前から用意してあったらしい。

「チキショウ!いいさ。こっちだってなんとも思っていないさ。別れてやるよ!」

俺はむしゃくしゃして家を出た。

(7)

 夕暮れ。行く当てもない俺はフラフラと、このまえ同僚と言った小料理屋の暖簾をくぐった。あの優しい美人の女将に無性に会いたくなったのだ。

「いらっしゃい。あら、今日は貴方ひとり?」

笑顔で迎えてくれた。客はまだ誰もいなかった。俺はカウンター席に座った。

「ママ、俺のこの腕、見てくれよ。」

そう言って両腕のワイシャツの袖をたくし上げた。半透明の小骨が密集している様子を見て流石に女将も驚いているようだった。俺は身体中から小骨が伸びていること、治療のしようがないこと、それを気味悪がって女房が出て行ったことをまくしたてて泣いた。

「可哀そうに。・・・」

女将は優しく俺の腕の小骨を撫でた。

「先っぽチクチクするだろ?」

おれは自嘲気味に笑った。女将はしばらく密集した小骨の先を撫でながら

「あたし、このチクチクしたの、好きよ。」

と言った。

「え?」

「お願い。もう店を閉めるから。そのチクチクした身体であたしを抱いて!」

(ど、どういう事?)女将は興奮しているようだった。

「それにあたし、あなたの身体治せるかもしれないわ。試してみない?」

女将はそう言って艶めかしい目で俺を見た。

俺は女将に身を任せることにした。


 彼女の言ったことは正しかった。俺はあれから三日三晩、彼女に文字通り“骨抜き”にされたのだ。おかげで小骨の取れた元の肌と、そして新しい伴侶を手に入れた。もっとも彼女は、あのチクチクが取れたことを、とても残念がってはいるのだが。                         

                                    終

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