生地訪問


 §1 過疎地の食糧事情

 晩酌の酔いも手伝ったのか、生まれた村を訪れることを思いついた。

 近々、かの地を舞台にした小説が出版される(『動物王国捕物控』文芸社刊)。故郷を踏み台にしているようで、申し訳ない気持ちがあった。

 もうひとつは、主人公のパートナーとしてしばしば登場する盲導犬エヴァンにも、その舞台を見せておきたかったのである。


 小説にあるように、妻の運転で出かける。少し早めの昼食をどこでとるか。家の近くで蕎麦そばを食べる。十割じゅうわり蕎麦。「食べる」というより「食する」というのがしっくりくる。池波正太郎先生が存命なら、ひょっこり出てきそうなたたずまいの店だ。


 この先に二軒ほど、うどん屋とラーメン屋がある。妻はうどん屋に寄ることを提案し、私はラーメン屋にも未練があった。しかし、蕎麦屋で正解だった。うどん・ラーメンとも、店が開いていなかった。


 §2 かつて地域の中心地

 吉野川の支流・祖谷いや川に松尾川が合流するあたりは「出合であい」と呼ばれる。正式な地名ではない。


 生まれ故郷の「千足せんぞく」へは、出合で祖谷街道に別れを告げ、ひたすら山道を登っていく。

 くだんのラーメン屋は出合にある。地域のさびれ具合がうかがえよう。


 往時には出合に十数件の店が営業していた。郵便局はもちろんパチンコ屋、映画館もあった。

 幼稚園から小学校・中学校があり、分校も設けられていた。


 出合の学校は、猫の額ほどの山間やまあいの土地に、ひしめき合うように建っていた。ここに周囲の村から、子供たちが通っていた。なかには一時間以上かけて通う子供もいた。


 §3 整備道を村人は出て行った

 千足には多い時で二一軒あった。おそらく人口は百人を超えていただろう。

 今、千足に住んでいるのは三軒、六人だけだ。


 村の最奥部に生家があった。そこから四〇分ほどかけて通学した。当時はやっとバイクが通れるくらいの道だった。村人は重い荷物を背負い出合と行き来した。

 大人も子供も、とにかくよく歩いた。徒歩しかめぼしい移動手段がなかったのである。


「家の下まで行ってみる?」

 妻がく。

 私の視界は真っ白である。それでも生家に近づきたい。クルマは隣家の下まで入っていった。そのあたりで行き止まりのようだ。生家はさらに歩いて三、四分かかった。もう、道は崩れ、周囲は鬱蒼うっそうとした杉木立ちらしい。近づきようがない。


 千足の道が整備された頃には、我が家は空き家になっていた。母が死去し父が長男の家で同居するようになったのである。

 公費を投入した道は、しかし、村人にあまり恩恵をもたらさなかった。多分に漏れず、多くの村人は快適になった道を利用して、都会へ流出しては行ったが。


 §4 親戚再会

「誰か来てるよ。クルマがある」

 軽トラが止まっているらしい。

 村の奥に三軒の家があった。残り二軒のうちの関係者でも来ているのだろうか。


 クルマを降りる。妻が愛想よく話をしている。

 妻は隣町の生まれで、姉が千足に嫁いできた。姉も連れ合いが亡くなり、都会に住む長女のもとで暮らしている。幼少のころから姉の嫁ぎ先に遊びに来ていた関係で、村の衆とは顔見知りだ。


 話し声から、従祖母(いとこおば)であることが分かった。昨年、夫を亡くした。今、千足で一人暮らししている。

 もう一人の声はその息子。私のまたいとこである。

 母が枯草を堆肥にするのを、手伝いに来ている、という。


 彼は出合中学の最後の卒業生、とのことだった。それから過疎化は加速度的に進んだのだろう。合併した中学は、とっくにない。


「さっき、サルの群れが近くまで来とった」

 従祖母は世間話の続きのようにいう。日常茶飯事なのだろう。

「あちこち、イノシシが掘り返しとる」

 と、またいとこはいう。一瞬、イノシシの視線を感じた。


 §5 消えた水音

 引き返して、空き家となっている妻の姉の家に寄る。

 義兄の墓参りをする。妻の話によると、サル除けの電気柵があり、中でミカンがたわわになっているらしい。


 故人がそこに眠っているあかしが墓なら、その近くで命をつないでいる木々もある。一見、昔ながらの田舎の風景があった。

 しかし、何かが違っていた。

 静かなのである。もう冗談を言い合う村人の笑い声や、子供たちの嬌声が聴けないことは、分かっている。

 いくら耳を澄ませても、谷川の音が聴こえないのである。


 戦後の国策による植林のため、日本の森林は姿を激変させた。針葉樹と広葉樹のバランスは崩れ、地下に蓄えられる水の量は減少、谷や川の水はれた。一方で大雨が降ると大量の水が地表を流れ、大洪水を引き起こす。


 過疎化は環境破壊とセットで進行した。村に人口が戻ってくれば解決するような問題ではない。


 自然の沈黙に耳を傾ける。我々はいったいどれだけのものを、失ったのだろう。


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