狐に嫁入り
蔵
第1話 替え玉嫁入り
白い角隠しの隙間からちらりと後ろを覗くと、どこまでも続く真っ暗闇にぼんやりと灯火が浮かんで見えた。それらはぞろりと列をなして、私の後ろを付いてくる。真夏の生ぬるい風に不気味な青色の明かりがぐにゃりと揺れて、田んぼの水面をかすかに照らしていた。
「お嬢様、足元お気をつけ下さい」
「……ええ、ありがとう」
着物の裾を軽く持ち上げ、道に伸びた大きな木の根を下駄でまたぐ。このつやつやと光る漆塗りの真っ黒な下駄も、大きな刺繍が施された真っ白な白無垢も、何一つ私の為に作られたものではないのに、あの方と同じようにどれも体に合っていて、それがまたなんとも言えない気持ちにさせた。私はお嬢様なんて呼ばれる身分の者ではないのに。
この嫁入りは、化け狐の大店『
一月前ふいに村へ現れた大妖狐様の使いと名乗る黒い烏が告げる突然の嫁入り通告に、村の狐たちは驚きながらも喜んだ。悪名高い大妖狐様に嫁ぐのは大変名誉なことであるそうだ。
しかし喜ぶだけならまだこちらにも断りようもあっただろうに、嫁入りを断れば大妖狐様のお怒りをかって村は滅びるらしい。めったに屋敷から出てこない
玉尾様は、権次郎じいさまの話を隠れて聞いていたらしい。旦那様が直接お話になる前に全てを理解していた。娘にどう伝えようかと悩む旦那様が屋敷へ戻り玉尾様の部屋を訪ねる頃には、毅然とした態度で畳に手をつき、大妖狐様のもとへお嫁に参ります、と凛とした声で告げていた。
しかし私は知っていた。玉尾様には想い合う狐がいる。
畑を耕す家業の男で、名を
玉尾様は上手く隠せていたつもりらしいが、私は二人の仲を知っていた。たまたま野菜を洗いに裏の木戸の前を通った時、見てしまったのだ。これは私などが口を出して良いことではない、とそっとその場を去った。しかし忘れようとすればするほど、二人の笑いあう顔が焼き付いて離れない。暖かい布で優しくくるんだようなあの光景を、思い返してはまた胸にしまった。
「私が代わりに参ります」
蜩の鳴く夕暮れ、気付くと私は玉尾様と旦那様に告げていた。あの時の、玉尾様の驚いた顔が忘れられない。何を言っているのか理解できない、という顔をしていた。十年以上お供をさせて頂いていたけれど、初めて見る顔だった。
「その代わり、玉尾様と吉三の仲を認めてください」
「お前、何を言っているのです……?」
玉尾様が、胸に抱いた三味線をぎゅっと抱きなおす。三味線のお稽古、小さな頃は大嫌いだったのに、今ではもう村一番の名手になっていた。
その努力家なところも、本当に、本当に昔から眩しかった。
私は、三つの時に紅天屋の旦那様に拾われた。この里に住む多くの狐とは違い、人間だ。狐の隠れ里近くの山に捨てられていたのを、たまたま見つけた玉尾様と旦那様に助けられ、こうして十七まで育てて頂いた。人間の子供など見つけてすぐ殺すのが定石なのに、旦那様はどうしてもそれができなかったらしい。玉尾様がいたからだ。幼い玉尾さまの泣いてすがる小さな手に、私の命は救われたのだ。
拾われた後は、幼くして母を亡くした玉尾様の遊び相手として育てられた。この里の狐は皆人型で過ごしており、屋敷からほとんど出なかったこともあってか幸運にも私が人間だと気づく者はいなかった。もちろん全ての狐が友好的なわけではない。同じ使用人なのに特別扱いされている私のことが面白くなかったのだろう。嫌がらせも受けてきた。
しかし、玉尾様は、幼い頃と同じように接してくれた。その、世間知らずで少し天然で、強がっているけど泣き虫で優しいあなたに、どれほど助けられてきただろう。
「どうかお幸せに、玉尾様」
そうして今日の嫁入りの日が来た。
十七歳を迎えるその村一番の大店の娘、ということだけならおそらく姿は見たことがないだろうし、私が身代わりになってもわからないだろう、ということでまとまった替え玉作戦だが、まさか玉尾様を説得するのに一月丸々使うとは……。曲がったことが大嫌いで、決して私を貶めたりしない。そんなところも、大好きだった。
誠心誠意お仕えしてきたつもりだけど、最後の最後で泣かせてしまったな。でも、玉尾様には吉三がいる。大丈夫だ。私はこのお役目を全うすれば良い。玉尾様の幸せを思うと、死ぬかもしれないこの嫁入りは不思議と怖い気持ちもない。
行列がお山の麓へ到着する。ふっと明かりが全て消えると、辺りは本当の暗闇に包まれた。
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