ヤンデレ令嬢とも知らずに婚約を破棄した男の末路

亜逸

ヤンデレ令嬢とも知らずに婚約を破棄した男の末路

「そうですか。わかりました」


 ほんの少し前まで婚約者伯爵家令嬢マリエル・サバトリエの、あまりにも淡泊な返事に、男爵家の長男エリック・エドワルは面を食らう。


 エリックはつい今し方、マリエルとの婚約を破棄することを彼女に伝えた。

 その返事が、先程の彼女の台詞である。


 そもそもマリエルとの婚約自体、エリックは初めからノリ気ではなかった。

 マリエルは確かに美人だが、あくまでもそれは上の下程度。

 他国が羨むほどに美人が多いこの国においては、そう珍しくはないレベルの美人だった。


 自他ともに顔には自信があったエリックにとって、上の下程度の美人では自分には不釣り合いだと思っている。

 それでもなおエリックがマリエルと婚約したのは、彼女の方からエリックとの婚約を熱烈に希望したがゆえのことだった。


 上の下程度とはいえ、美人にそこまで求められては男として悪い気分ではなく、エリックのエドワル家よりも、マリエルのサバトリエ家の方が爵位が上であることも手伝って、つい婚約を結んでしまった。


 そうした経緯があったからこそ、婚約破棄を言い渡したにもかかわらず粛々と受け入れるマリエルの反応が、なんというか……気に入らなかった。


「なんだその反応は? 君は僕のことを愛していたんじゃなかったのか?」

「勿論、愛しています。誰よりも何よりも、貴方様のことを」


 はっきりと断言され、気後れしてしまったエリックは口ごもる。

 事実、彼女の言葉に嘘偽りがないことは、他ならぬエリックが誰もよりもよくわかっていた。


 今この時に限れば、マリエルはただの感情の希薄な人間に見えるかもしれないが、婚約者としての彼女はいつも幸せそうに笑っている朗らかな女性だった。

 その上、甲斐甲斐しくエリックに尽くしてくれるものだから男冥利に尽きると言いたいところだが……飽きてしまったのだ。マリエルに。

 

 それにどうせ伴侶にするなら、上の下程度の美人ではなく、頭に「絶世」とか「傾国」とかつく特上レベルの美人の方が断然良い。

 マリエルにはもう充分楽しませてもらったし、最近仲良くなった公爵家令嬢がまさしく特上レベルの美人なので、最早婚約を破棄しない理由がないくらいだった。


 兎にも角にも、マリエルがいまだエリックを愛しているのは事実。のはずなのに、彼女のこの落ち着きようが、エリックはどうにも気に入らなかった。


(まったく……泣きながら婚約を破棄を拒絶する様を見せてくれれば、心地良い愉悦とともに別れられたというのに……いや。待てよ……)


 一計を案じたエリックは、内心の愉悦を押し殺しながらもマリエルに言う。


「とにかく、君との婚約を破棄することは決定事項だ。だが、まあ、君がどうしてもと泣きついてくるのであれば、考えを改めてやらなくもないが」


 チラチラと反応を窺うエリックに対し、マリエルは朗らかに笑い返す。


「ご心配には及びません。わたくしは信じていますから。エリック様が必ず、わたくしのもとに戻ってくることを」


 そんな世迷い言じみた言葉を断言された。

 なぜか背筋に、薄ら寒さを感じたような気がした。




 一週間後。




 エリックは隣に、マリエルとは別の女性を侍らせていた。

 名はタニア。

 公爵家令嬢の娘で、美人が多いこの国において一、二を争うほどの美貌を有する、エリックとってはこれ以上自分の伴侶にふさわしい人間はいないと思わせるほどの美女だった。


 そのタニアとお近づきになれたことが、エリックが婚約破棄に踏み切った要因の一つであることはさておき。

 今二人がいる場所は、エリックが個人的に所有する別荘のベッドルーム。

 この先二人が何をやろうとしているのかは、最早言に及ばない。


「婚約を破棄してから一週間しか経っていないのに、こんなところに私を呼びつけて……非道い男ね。エリックは」


 非難するような物言いとは裏腹に、どこか陶酔としているタニアに、エリックは余裕の笑みを返す。


「非道い、か。そういう男は嫌いかい?」

「まさか」


 タニアはエリックの首の後ろに手を回し、貪るように唇を重ねる。

 求め合うように舌を絡め合い、二人一緒にベッドに倒れこんだ、その時だった。


「……ごふッ!?」

「っぐ……ぅぐぅ……ッ!」


 体の内側から灼けるような痛みが迸り、エリックもタニアもベッドに倒れたままもがき苦しみ始める。

 幸いというべきかどうかは微妙なところだが、喉はやられていなかったので、別荘の外で待機させている使用人フットマンに二人して必死に助けを求めた。


「誰か……誰か来てくれ……ッ」

「お願い……医者を……医者を呼んで……っ」




 ◇ ◇ ◇




 その日以降、エリックとタニアは絶えず続く灼痛しゃくつうに苦しめられることとなる。

 国中の医者に診せても灼痛の原因はわからず、そうこうしている内にタニアが痛みに耐えかねて発狂。

 廃人同然の有り様になってしまう。


 いずれは自分もこうなるかもしれない――そのことに恐怖を覚えたエリックは、ダメもとで魔術師に相談す。

 すると、微かながらもエリックに呪術をかけられた痕跡があったことが発覚した。


 しかし、わかったことはそれだけ。

 灼痛を止める方法まではわからず、途方に暮れていたエリックだったが、ふとマリエルの言葉を思い出す。



『ご心配には及びません。わたくしは信じていますから。エリック様が必ず、わたくしのもとに戻ってくることを』



 まさかと思ったエリックは灼痛に耐えながらも、マリエルがいるサバトリエ家の館へ向かう。

 使用人フットマンに案内されるがままに、一階にあるマリエルの部屋に足を踏み入れるも彼女の姿はなかった。が、部屋の中央では、地下へと繋がる隠し格段がこれ見よがしに露わになっていた。


 段々恐くなってきたエリックは一瞬引き返すことを考えるも、体の内側から絶え間なく迸り続ける灼痛に比べれば些末な恐怖だったので、息を呑むと同時に恐怖をも呑み込んで隠し階段を下りていく。


 いやに長い階段を下り、開け放たれた鉄扉の先にあったのは、床も壁も天井も石でできた部屋だった。

 そして、床にも壁にも天井にも描かれた、なぜか異様に不気味に映る魔法陣を見て、エリックは確信する。


「やはりか……! マリエルが僕にのろいを――」



 ガタン!



 背後から何が閉まる音が聞こえ、エリックは吐き出しかけた言葉を呑み込む。

 恐る恐る振り返ると、案の定、部屋の入口となる鉄扉が閉まっていた。


 そして鉄扉の前には、朗らかな笑みを浮かべるマリエルの姿があった。


 見慣れたはずの笑顔に言いようのない恐怖を覚えたエリックは、知らず知らずの内に後ずさってしまう。

 

「信じていましたよ。エリック様が必ず、わたくしのもとに戻ってくることを」


 蛇に睨まれた蛙のように立ち尽くすも、なけなしの勇気をかき集めてマリエルに怒号を返す。


「し、信じていただとッ!? ふざけるなッ! 僕にのろいをかけることで戻ってくるよう仕向けたのは君だろうがッ!」


 確証はないが、あえて断言する。

 こんな魔法陣だらけの部屋に案内してきた時点で、マリエルが狼狽えてくれるとは思ってなかったが。

 マリエルの頬がおぞましい角度に吊り上がったのは、完全に想定の外だった。


のろいなんてかけていませんよ。わたくしがエリック様にかけたのは、ただのおまじないですから」

「それがのろいだと言っているのだッ!!」

「いいえ。おまじないです」


 おぞましい笑顔をそのままに断言され、思わず口ごもってしまう。


「エリック様は、わたくしの身も心も愛してくれました。ですからわたくしは、エリック様の不貞浮気こころ防ぐまもるために、おまじないをかけたのです」


 マリエルはさらに口の端を吊り上げ、言葉をつぐ。


「エリック様の体液が、わたくし以外の女の体液と混じり合った際に毒に変質するおまじないを」

「か、語るに落ちたなッ! 毒といった時点で、それは間違いなくのろいじゃないかッ!」

「いいえ。おまじないです。事実、痛みがあるというだけで、命には何の危険も及ぼさない毒ですから。それに、エリック様には毒が効きにくいようにはしていますが、エリック様を惑わす売女ばいたには、エリック様が味わっているものよりも数倍の痛み味わうようにしています。ですからこれは、間違いなくおまじないです」


 話が通じているようで通じていないことにますます恐怖を募らせながらも、タニアが廃人同然になるまで発狂した理由に戦慄する。


「ですが、あくまでも毒が効きにくいというだけで、エリック様が味わっている痛みは相当なものです。わたくしは……もうこれ以上……エリック様が苦しむところを見るのは……耐えられません……」


 自分でのろいをかけておきながらむせび泣き始める、マリエル。

 エリックは今すぐここから逃げ出せと自分の体に命じるも、恐怖という名の鎖に縛られているせいか、身じろぎほども動いてくれなかった。


「ですからエリック様……貴方様に〝これ〟をプレゼントしたいと思います」


 そうして懐から取り出したのは、首輪だった。

 この時点でもう嫌な予感しかしないのに、いつの間にやらカラカラに渇いてしまった喉は、呻き声すらも発することができなかった。


「この首輪をつけていれば、エリック様の体を蝕む毒は完全に中和されます。ですが……誠に申し上げにくいのですが……


 言っている言葉の意味を理解したエリックの体はガタガタと震えだし、瞳から涙が溢れ始める。

 その震えと涙は、恐怖のあまりに露わになったものだが、


「まあ! 嬉しさのあまりに感極まってしまいましたのね!」


 都合の良いようにとらえたマリエルは歓喜の声を上げながらも、その手に持った首輪をエリックの首にまわす。


「これでずっと、一緒にいられますね。エリック様」



 その後――



 エリック・エドワルの姿を見た者は、誰もいなかった……

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ヤンデレ令嬢とも知らずに婚約を破棄した男の末路 亜逸 @assyukushoot

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