タニシ・イン・ザ・ルーム

黒てんこ

タニシ・イン・ザ・ルーム

 私はタニシであるが、普通のタニシとは一線を画していることを先に述べておきたい。私は普通ではない。体の構造上はタニシであり、タニシとしての条件をすべて満たしている。しかし、それだけの話だ。つまり、外見や中身がタニシだからといって、私が完全にタニシであるかと言えば、そうではないのだ。

「私はタニシである。名前はまだ無い」

 まず、このように私は話すことができる。これは「人間」という種族がかつて用いていた言語であり、私は「本」を利用してこの言語を習得した。私には「目」があり、「耳」があり、「口」がある。触覚機能は失っているが、それはたいした問題ではない。

 次に、私の脳はほぼ「人間」の知能に近い。一般的に、脳の皺の数が、その生き物の賢さを表すとされているが、私の脳の皺は、どうやら「人間」のものと同じ数あるらしいのだ。つまり、私はタニシでありながら、かつて世界を支配していた「人間」並みの知能を有している。

 そして、最後に、これが最も重要なことであるが、私はとても素早い。タニシはあまり動かないことで有名であるが、私は一般的なタニシの百倍以上の速さで動くことができる。たとえば、一時間あれば百メートルは移動できるだろう。


◆◆◆


 かつての「人間」たちの核戦争がもたらした災害は世界を一変させた。あらゆる生き物が死滅し、「人間」たちもどこかへと消え去った。そして、やがて平和が訪れた。世界は私たちタニシのものとなっていた。世界で唯一、タニシだけが核の汚染に耐えられたからだ。


◆◆◆


 私は故郷を離れて旅に出た。

 私たち「タニシ」の世界を見て回ることにしたのだ。


◆◆◆


 それから「人間」たちが荒らした瓦礫の山を越え、沈んだ谷を越え、死んだ街を通り過ぎ、燦々と輝く太陽が照りつける中、歩みを進めた。私は疲れ知らずで、いくらでも前進できた。しかもタニシの体は便利であり、壁に張り付いて上ることもできた。私に進入不可能な場所などなかった。


◆◆◆


「今日はここで休もうか」

 それでも定期的に休憩は必要だった。頭の中を整理する時間が欲しかったのだ。私は常にあらゆることを考えており、脳に与える負荷は許容できないほどに大きい。そのため、適度に休憩を取り、頭を休ませる必要もあった。


◆◆◆


 私は建物の中に入った。

 雨と雷が激しい夜だった。

 私は、柔らかいソファの上で、ウトウトと眠りにつこうとした。


 ――カタンカタン


 物音がした。

 空き缶が転がるような音だった。

 私はすぐに飛び起きた。

 あたりを見回す。

 暗闇の部屋の中には誰の姿もない。

 風の仕業か。

 私は落ち着きを取り戻した。

 もうこの世界にはタニシ以外に生き物はいないのだ。

 私たちだけしかこの世界にはいないのだ。


 ――カタンカタン


 また音がした。

「誰だ?」

 私は驚きのあまり、声をあげた。私以外に「人間」の言語を理解する生き物なんて存在するはずもないのに、私は声をあげたのだ。それは意味のない行為のはずだった。はずだったのに……。

「そこに誰かいるの?」

 声が返ってきた。

 私以外の声が聞こえたのだ。

 部屋の中に誰かいる!

 急いであたりを見回す。

 暗闇の中にぼおっと白い影が見えた。

 私は目を疑った。

「僕のことが見えるの?」


 それは「人間」の子供の幽霊だった。


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