第20話 普通の高校生

 七月中旬。月曜日。

 今週とあと来週を頑張れば学校が終わり、文化祭も迫っている。


 とはいえ受験生は夏が勝負の分かれ目であり、憂鬱な気分に沈んでいた。

 そしてそんな気分は、悪いニュースと共に別の感情に汚染される。

 週明けで最も足が重いこの日。事件は起きた。


「ねぇ、空くん」


 放課後、今日も図書室に向かおうとした空は海帆に呼び止められた。


「舞阪さん。どうかした?」

「菊川さんの話、耳に入ってる?」

「サヤカちゃん? なんかあったの?」


 聞くと海帆は周囲を見渡す。人が多い場所では話せないようだ。


「あたしもついてく」


 空は首を傾げるも、海帆の真剣な表情を見て了解する。二人で図書室に向かい、空はいつも通り準備を進めた。しかし十五分待っても、サヤカはやってこない。いつもならバイトに行く時間だから、今日は顔を出さずにサボりだろうか。しかしそんな日は今まで無かった。


 海帆が電話をかけてみたが繋がらない。


「そろそろ教えてよ。あ、もしかしてバイトがバレたとか?」

「ううん。それならまだよかったんだけど……」


 言いにくそうに海帆は目を伏せて、


「あたしもさっき聞いた噂なんだけどね……」


 と、海帆が話を始めようとした時。図書室にいた女子生徒二人組の話し声がひそひそ聞こえてきた。リボンの色がサヤカと同じ二年生だ。


「ねぇ、あれ聞いた? サヤカの話」

「あれマジなの? 援交してるって聞いたけど、やばくない?」

「良い子ちゃんのふりして絶対裏でなんかやってると思ったわ」

「性格悪そうだもんね。うちらのこと見下してそー」


 聞いた瞬間、空の中には怒りが込み上げた。父を亡くしても笑顔を絶やさず一生懸命働いているサヤカを、凡人共が勝手に悪く言うのは我慢ならない。


 気づけば体が動いていた。


「ちょっといい? その話いつから?」


 空の剣幕に驚いた二人は上擦った声で、


「あ、はい。えっと、今朝学校に来たら、みんな言ってて……」

「そ、そうです。噂程度で、いじめとかはないですけど……」

「サヤカちゃんは帰ったの?」

「は、はい。お昼に早退して、だから逃げたんじゃないかってみんなが……」


 そんなの、辛くなって耐えられなくなったに決まってる。誰かもわからない『みんな』のせいでサヤカが苦しんでいいはずがない。ふざけるな。


「舞阪さん。ここ頼んでいい? 仕事無いから鍵だけ閉めて返しておいて」

「そ、空くん? どこ行くの?」

「ちょっと探してくる」


 空は廊下を全力で走り、階段を駆け下り、急いで校門を出た。

 勢いよく飛び出したはいいが居場所に心当たりなんてない。


 まずはバイト先の喫茶店に行ってみたがサヤカの姿は見えず、店長に自宅の住所を聞き出した。サヤカから休みの電話は貰っていたらしく、サヤカと仲良さそうに話しているのを見ていたおかげか怪しまれずに教えてくれた。


 スマホで地図アプリを立ち上げて街を走る。引退したとはいえ真面目に部活に取り組んでいたおかげか息も長く続いた。サヤカの住むアパート周辺に着くと、一つ公園を発見。


 古びた公園には似合わない金髪ツインテールの美少女が、砂漠に咲く一輪の花のようにひときわ目立っている。ブロック塀に背中を預け、地べたに直接お尻をつけて丸まっていた。


 近づくと鼻をすする音と堪えきれずに嗚咽を漏らす音が聞こえる。


「サヤカちゃん」


 声をかけると、サヤカはゆっくり顔を上げた。

 いつものニコニコ笑顔は見る影もない。


「……せんぱい。どうして?」

「サヤカちゃんが心配だったから」

「せんぱいは、信じないんですか?」

「俺は知らない人の話よりサヤカちゃんを信じるよ。あんなに頑張ってるの知ってるもん」


 サヤカの隣に腰を下ろす。サヤカは我慢せず涙で顔をぐしゃぐしゃにした。


「うぅ……サヤカ、頑張ってるんです。英語話してって言われるから、裏切らないように話せるようになりました。サヤカ、スウェーデンだから英語じゃないのに。日本生まれだから日本語しか知らないのに……」


 空は黙って、涙と一緒に吐き出される言葉を待った。


「運動も頑張って一番になりました。あざといって言われるからいっぱい頑張ったんです。いっぱい笑って、ちょっとでもダメなところがあると突かれるから努力したんです。パパが死んじゃって、ママも入院してるから弟と妹の面倒も見てるんです。生活費もいっぱい働いて溜めてるんです。なんでサヤカは頑張ってるだけなのに……! ぐすっ、こんなつまらない嘘で傷つけられないといけないんですかッッッ!」


 その叫びと一緒に、決壊した。


「うわあああああああああああああああああああああん!」


 最初から特別な人間なんていない。

 なりたくてなっている人ばかりではない。

 自分からしたら特別でなくても、他人から見たら特別だったりする。

 サヤカも、ただの高校二年生の女の子なのだ。

 傷つけられれば泣くし、一人では倒れてしまうこともある。

 そうやって転びながら前に進む人は眩しくて、尊敬できて、報われてほしいと願う。


「サヤカちゃんの頑張りは俺と舞阪さんが見てるよ。一人じゃないから、俺たちを頼って」

「……しぇん、ぱい」


 サヤカはごしごし目を擦って涙を拭う。

 そしていつもより控えめで、いつもより美しい笑顔を見せた。


「せんぱいの女たらしぃ」

「なっ。いや、違うって。俺はただ力になりたくて……」

「援交疑惑の女の子を慰めるとか下心ありすぎですよ。にしし」


 白い歯をにっと見せ、赤く腫れた瞳で見つめてくる。


「お人好しが過ぎます。そんな誰にでも優しくしてると勘違いさせちゃいますよ」

「いや、別に普通でしょ。後輩が泣いてたら助けるって」

「せんぱいの優しさは特別ですよ。ただ優しい男はダメって言いますけど、突き詰めればせんぱいみたいな普通の顔でも武器になりますね」

「褒めてるのか貶してるのかわかんないよ」

「褒めてますっ。それだけ、心があったかくて素敵な人ってことですから」


 面と向かってここまで褒められるのは初めてでむず痒さを感じる。

 サヤカは頬を染めて、とろんとした瞳で言った。


「せんぱい……寂しいので、うち来てください」

「サヤカちゃん……?」

「うち、誰もいないです。せんぱいならいいです」


 艶めかしい声で、吐息も妙に荒い。

 空は誰もいないサヤカの家に連れて行かれた。

 …………………………。

 …………………。

 …………。

 ……。

 …。




***




「ちんちん!」


 サヤカが叫んだ。


「やんっ、……だめ、です。ぴゅーぴゅーしちゃだめぇ」


 そう言いつつ、サヤカは熱くて硬い場所に触れる。


「わー、ちんちんです! ちんちんちんちんちんちんちんちんちんちんちんちん!」


 興奮した様子のサヤカ。


「うわぁ、なんか出てきちゃいました! 全然ちんちんが収まってくれません!」

「サヤカちゃん、ちょっと黙ろうかッッッ!」


 やかんの火を止めると、溢れ出る水とぴゅーぴゅー出る湯気が収まった。

 一部地域で熱くなっている状態を『ちんちん』と言うが、可愛い女の子に連呼されると卑猥な想像をしてしまう。


「サヤカちゃんお湯沸かしたことないの?」

「恥ずかしながら……料理はいつも弟がやってくれます。料理だけは苦手なんですよ。あ、でもサヤカのこねたハンバーグは美味しいって評判です」


 サヤカがお湯を注いで、インスタントコーヒーを淹れてくれた。

 ちゃぶ台に乗せて、座布団の上に向かい合って座る。

 アパートの一室で八畳の部屋が二つとキッチンがあり、風呂とトイレは別についている。古い建物だが内装は気になる汚れも無く、白い壁とフローリングが温かい雰囲気だが、サヤカの外見だけを知っているなら不釣り合いに思えるだろう。複数人で済むには手狭な印象だ。


「美味しい。弟さんは何年生?」

「小四です。妹は小一で、そろそろ帰ってくると思いますよ」


 と、ちょうどドアが開いた。


「ただいまー。さやねぇ今日は早いな」

「さやね! さやね! わーい!」


 妹がとてとて走ってくる。サヤカに似ていて可愛らしいなと思っていると、


「うおおおおお!? おとこだ! さやねがおとこつれてきた! にぃちゃ!」


 妹は驚愕の顔をして弟に助けを求める。

 弟の後ろに隠れながらやってきた。


「にぃちゃこいつ!」

「うわっ、誰だお前! さやねぇ弱みでも握られたのか!?」


 変質者以外の選択肢はないらしい。

 弟はサヤカを庇うように前に入った。


「大丈夫ですよ。ソラせんぱいは悪い人じゃないです。二人とも手を洗ってきてください」

「ダメだこいつ絶対さやねぇの身体狙ってるぞ! 顔が変態だからな!」

「あたちのこともロリをみるめでみてくるよ!」


 散々な言われようだ。

 どうしようか迷っていると、サヤカが二人の頬をつねった。


「こら、失礼です。せんぱいごめんなさい。悪い子たちじゃないんです」

「痛い痛い! さやねぇ引っ張るな!」

「ちみくらないでぇ~!」


 二人は頬を抑えて、仲良く手を洗いに行った。

 普段は後輩というイメージだが、今は頼れるお姉さんみたいだった。


「じゃあ俺、今日は帰るよ。学校は……無理していかなくてもいいと思う。ごめんね、役に立たなくて。でも絶対、今度こそ何とかしてみせる」


 比奈の前例があるため、軽はずみに行けとも言えない。学年も違うし目の届かない範囲で何が起こるか分からない。


「連絡してね。何かあったらすぐ行くから」


 コーヒーを飲み干して立ち上がる。するとサヤカが手を握って、


「待って、ください」

「サヤカちゃん?」

「行きます。学校、明日も行きます」


 空は一瞬悩んだが、サヤカの瞳を見て頷く。


「わかった、でもどうしよう」

「考えがあります。ミホせんぱいにも頼んで、二人にも責任取ってもらいます!」


 サヤカが自分から頼ってくれた。それだけで十分。


「よし、とりあえず連絡してみようか。舞阪さんもすっごく心配してたよ」

「ではさっそく相談しましょう! 二人とも、ちょっとサヤカ出てくるからお留守番しててください。戻ってきたら三人で食べましょう」

「さやねとごはん!? やったー! がんばってね!」

「さやねぇ、よくわかんないけど全員ぶっ潰せ。景気づけにうまい料理作って待ってる」

「うんっ、行ってきます」


 普段、サヤカは夜遅くまでバイトをしているから家族と過ごす時間が無いのだろう。二人がサヤカを大好きな気持ちは伝わってくるし、サヤカも二人を愛している。


 先にサヤカが外に出る。他にも何かできないかと空は思い、


「ちょっと二人ともいい?」

「あ、なんだよ。さやねぇの下着ならやらねえぞ」

「あたちのもみせないから!」

「君たちの目には俺がどう映ってるんだ。まあいいや、あのさ──」


 意味があるかはわからないが、知っておいて損はない。意外と素直に教えてくれた。


「──なるほど。助かる」

「さやねぇの事ちゃんと見とけよ。あんまり頑張らせるな」


 弟は素っ気なさそうに言う。

 そんな生意気な頭を撫でまわしてやった。


「ちょっ、ウリウリすんな!」

「任せとけ。君の大好きなお姉ちゃんは強いからな」

「ふんっ、お前に言われなくても知ってるわ」


 こうして空はサヤカと共に海帆と合流し、サヤカの作戦を聞かされた。

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