第14話 修羅場

 六月下旬。空の自宅のリビングにて。


 いつも比奈が座っている席で、制服姿の海帆が優雅にハーブティーを飲んでいた。机の上にはチョコとクッキーが皿に盛られていて、それをつまみながら向かい合って座っている。


 学校が終わって部活も委員会も無いし帰ろうかと思ったところに、海帆から『家行ってもいい?』とメッセージが送られてきた。校門で待ち合わせをして一緒に帰りながら話を聞いてみると、どうやら受験勉強をしたいとのことだ。毎回カフェに行っていては出費が痛いし、学校は他の生徒の目があるからという理由を熱弁された。


 断る理由も無いし空はこれを了承し、今に至る。隣の豊田家には車が止まっていたから、比奈は両親と過ごす日だと思われる。


「疲れたー。もう勉強したくない」


 海帆は広げていた参考書を閉じた。


「舞阪さんほとんどお菓子食べてただけだけどね」


 空もノートを閉じてシャーペンの芯を仕舞う。比奈以外の女の子を家に上げるのは初めてで勉強に身が入らなかったのが本音だ。


「もう帰る? 送ってくけど」


 時刻はもうすぐ午後六時。勉強もひと段落したし切り上げるにはいい時間だと思ったが、


「んー、もうちょっといてもいい?」


 海帆は顎に人差し指を当ててポニーテールを揺らした。


「迷惑なら帰るけど……あ、ご両親が帰ってきちゃうとまずい?」

「いや、今日は帰り遅いから平気だけど」

「じゃあいいよね」

「う、うん。いいよ」


 了承すると海帆は嬉しそうに微笑んだ。そしてワクワクした顔で、


「空くんの部屋はどこなの?」

「え、見せないよ」

「大丈夫だよ、あたし理解あるから」

「理解してもらうような物は無いから」


 やけに興味津々だ。家に来たいと言ったのはこれが目的だったのかもしれない。空は先日の一件で海帆といると若干の気まずさを感じるのに海帆はぐいぐい来る。


「部屋散らかってるし面白くないよ」

「あたしそういうの気にしないけど。やっぱり怪しいね」

「絶対ダメ。逆に俺が舞阪さんの部屋入りたいって言ったら入れてくれるの?」

「絶対イヤ。そんなことしたら通報するから」

「それと一緒だよ! もう大人しくしてて」


 いくら打ち解けている海帆でも年ごろの男子の部屋に入れるわけにはいかない。

 空は海帆をソファーに座らせて、自分もその隣に腰かける。大人しく従ってくれたが、そわそわ家の中を見渡していて落ち着きがない。何か企んでいるのだろうか。


「それで、何するの? ゲームとDVDなら結構揃ってるけど」

「んー、また今度にしようかな。今日は作戦の話しようよ」

「作戦っていうと、特別になるための話だよね」


 リア充たちがしていることをして特別とは何か考えるのだ。


「あれから妹とはどう?」

「特に変化はないよ。家ではご飯の時間も別だしあんまり顔合わせないから」

「そっか。余計拗らせる原因になってたら悪いことしたなって思ってた」

「それは問題ないよ。あの子も昔はあたしに懐いてて可愛かったんだけどねー」


 天井を眺める海帆の横顔は寂しそうだった。

 一分ほど長い沈黙を挟むと、海帆がふいに腰を持ち上げ、空の隣に移動する。肩が触れ合うと急に甘い匂いがした。海帆は頭を預けるように傾け、空の肩にちょこんと乗せた。


「まっ、舞阪さん!?」


 横を見ると紅潮した海帆がこちらを見ていて、キスしそうな距離に唇があった。

 空は急いで反対側を向く。今までもスカートをめくって挑発してくることはあったが、ここまであからさまにスキンシップをされたのは初めてだ。


「空くん」


 耳元で海帆が囁く。ぞくぞくと背中から込み上げてくるものがあった。


「ふふっ、ビクッてした。もしかして照れてるの? 五番目の女の子に」

「こ、こういう遊びはやめてって前に言ったでしょ。怒るよ?」


 これ以上は冗談では済まない。海帆の両肩をもって引き剥がすと、海帆は真っ赤になって視線をさ迷わせた。目線が合うとすぐに逸らされて、でもすぐにまた合わせてくる。


「ぁ、遊びじゃないよ。これも作戦だから」

「そ、そっか。作戦か」

「うん。凪沙ちゃんもしてたし、だから……」


 ゆっくりと手が重なり、空の手を海帆が優しく包み込んだ。前に握った時とは違い、今回は海帆の方から。しかも二人きり。海帆の温もりが伝わってきて、濡れた瞳や吐息の音など海帆のことで頭がいっぱいになる。海帆は何かを決意したように、


「空くん。もう一回ぎゅってして」


 追い打ちをかけるように、甘く囁く。


「こ、今度は抱き寄せるだけじゃなくて、正面からぎゅって。そしたら、ちゃんとわかる気がするの。特別とか、あたしのモヤモヤしてることとかぜんぶ……」

「……舞阪、さん」


 知りたい。空も自分が何を考えているのか知りたくなった。

 いや、ダメだ。これは何かの間違いだ。これは作戦。自分が好かれるはずがない。勝手に勘違いして下心を持つのは海帆に失礼だ。でも……。


 吸い込まれるような海帆を見て、歯止めが利きそうもない。

 海帆は左手で空の手を握ったまま、右手で幸せと苦しみが混じったような顔で胸を抑えた。

 それがあまりにも魅力的で、空は海帆に夢中になった。

 だからか、家の鍵が開く音に気付くことが出来なかった。


「くーくん?」


 その声で空は正気に戻る。

 ふと顔を上げると、ドアを開けたまま戦慄している比奈がいた。

 手に持っていたビニール袋を落とし、中に入っていた箱か何かがゴトンと音を立てた。


「ひ……比奈。これは、あのっ」


 必死に言葉を紡ごうとするが出てこない。何を言うべきかわからない。

 比奈とは付き合っていないし、海帆は友達でまだ何もしていない。


 問題はないはずだ。


 ないはずだが、比奈の顔を見た瞬間にやってしまったと気づいた。

 比奈にとっても海帆にとっても、男女である以上これは裏切りである。


「ぇ……えへへ。よかったね、くーくん」


 比奈はボロボロ涙を流しながら精一杯の笑顔を作ろうとする。

 好きな人に彼女らしき人ができて純粋に応援したい。

 でも出来なくて、嗚咽を堪えることができない比奈。


「わだ……わだし、……ごほっ、げふっ、……わだしは、どぐべづじゃ、ないんだね」

「比奈! 待っ──」


 バタン。とドアが勢いよく閉じられた。

 比奈の逃げるような足音と鳴き声が遠ざかっていく。

 玄関を閉める音がすると、


「空くん」


 海帆が握っていた手を解いて、一人分距離を開けて座りなおす。


「妹……じゃないよね?」

「幼馴染。隣に住んでて、たまにご飯作ってくれる」


 正直に打ち明ける。隠していたわけではない。

 言う必要はないと思っていた。でもそうじゃない。

 空にとってはどうでもいいことでも、他の人にとっては特別だったりする。


「比奈ちゃんっていうんだね。すっごく泣いてたよ。可愛い顔をぐしゃぐしゃにして」

「……うん」

「気づいてたんだよね?」

「…………うん」


 何を、なんて聞かなくてもわかる。会うたびに好意を向けられて、実際に言葉にされたこともあった。でも比奈は独りだし傷ついたら二度と立ち直れなくなると思って今の距離を保っていた。比奈のことを考えているようで、それは全部奇麗ごとで、自分勝手な都合なのかもしれない。


「あたしの気持ちは?」

「……わからない」

「そっか。今日は帰るね」


 海帆は立ち上がると鞄に参考書を丁寧に詰めた。

 比奈が持ってきたビニール袋をテーブルに置いて、ドアノブに手をかける。

「送っていく」なんて言葉は出てこなかった。


「あたしが言うことじゃないけど、ちゃんと向き合った方がいいよ」


 一方的に海帆は言葉をかけて、


「……やっぱりあたしは、特別になれないんだね」


 独り言ともとれる大きさで残し、空の家を出て行った。

 残された空はしばらく床を見つめ、部屋が真っ暗になると立ち上がった。

 電気をつけてテーブルに置かれた袋を見る。


 中にはぐちゃっと潰れているが、美味しそうなケーキが入っていた。真っ赤なイチゴに彩られたショートケーキでハートマークのマカロンも乗っている──比奈の手作りだ。


 一人では食べきれない量の甘すぎるケーキ。一口食べるごとに、甘いのと一緒に比奈の気持ちが口に広がる。空は言葉にできない想いを募らせながら黙々と頬張った。

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