夏の恋人「盲目のお姫様と馬」
帆尊歩
第1話 手紙
拝啓
その後いかがお過ごしでしょうか。
すっかりご無沙汰しております。
最後にお会いしたのは、お母様のお葬式の時ですので、三十年ばかり前でしょうか。
不思議なもので、歳をとると十年一昔と申しますが、そのくらいは、ついこの間のようでございます。
最近ひ孫様がお生まれになったとのこと、おめでとうございます。
こちらもひ孫とはいきませんが、孫が三十路を迎え、それでもまだ独り者です。
本人はいたってのんびりしておりまして。
結婚をする気がないのか、と思うほどでございます。
これも世の流れということでございましょう。
ですから、本人より、せがれの方が焦ってしまって、やれ見合いだ、やれ婚活だと、こちらはてんやわんやでございます。
連れ合いをなくしてからすでに十年になろうとしております。
なくしてみると妻というのは実に私にとって、大きな位置を占めていたというのがわかります。
五十年ばかり連れ添い、まるで空気のようになっていたのでございましょう。
隣にいることに何の感動も、喜びもありませんでした。
それはあなたという、心の奥にある「想い」のせいかなと疑った時期もありました。
でもその妻をなくしてみると、妻は実に大きい存在でした。
その時点であなたという心の奥底の「想い」は消えていました。
それを安心したのか。
寂しいと感じたのか。
私自身もはかり兼ねるところではありましたが、そのせいで、今更ながら、妻に優しく出来たのか。
妻は私と一緒になって、幸せだったのか。
と考えてしまいます。
実は私にも癌が見つかりました。
違和感はありながらも、年も年なのでそのまま放っておきましたら、どうも余命があまりないようでございます。
最も、違和感に気づいた時に何かをしていたとしても、結果に大差は無かったようでございます。
昨年米寿を迎えもう思い残すこともありません。
ここまでくれば早く連れ合いに会いたいとさえ思う始末でございます。
そこで実はエンディングノートなるものをしたためようかと思い立ち、あれやこれやと思いをはせていると、あなたとのことが思い出され、いてもたってもいられず、ついペンをとったという次第にございます。
いつしか遠い記憶の底に沈んでしまっていたあの頃のこと。
そういえばあんなこと、こんなことが思い出されます。
初めてあなたに出会った原っぱも、一緒に入って水遊びをした用水路も実はまだそのままあります。
八十年も前になるのにさほど変わっていない。
田舎のいいところでございます。
記憶の紐を手繰る作業として少々長い手紙になりますが、もしよろしければ一読いただき、あのころを思いだしていただけたらと思います。
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