玉藻前さん、迷惑です!

野原せいあ

玉藻前さん、迷惑です!

 ため息が二つ、重なった。

 田舎の市営住宅の狭い公園には、俺だけしかいなかったはずだった。

 なのにいつの間にか、隣のブランコに女の人が座っていた。


 美人だ。

 モデルみたいにキラキラしてるとか、女優みたいに華やかとか、そういう印象じゃなくて、いわゆる〈顔立ちが整っている〉というやつだ。

 小顔で、目が大きくて、黒目勝ちで、唇は厚くてツヤツヤしてて。

 真っ黒な髪は腰を覆うくらい長いのに、重苦しくなくて、さらっと風に揺れるたびにドキっとさせられる。

 横から見ただけだけど、スタイルも良さそうだ。とくにボインが。テレビでときどき見るゴージャス姉妹みたいにボインしてて、つい目で追ってしまう。

 いかん。これじゃただのヘンタイだろ。

 必死に自制して視線をもどしたってのに、全部台無しにしてくれたのはその美人だった。


「あんさん、総理大臣になる予定があらしゃりませんか?」

「ないわ」


 理性で考える前に答えていた。「そんな予定はない」という意味と、「美女の第一声がそれかよ、ありえない」のダブルミーニングだ。


 なんだよ総理って。俺のどこにそんな要素が見当たるんだよ。

 うちは貧乏ってほどじゃないけど、親父は田舎のサラリーマン、おふくろはパート、オレはバイトの三拍子。ついでに小学生の双子の弟妹がいる。大学に行くにも、私立は苦い顔をされる家庭だ。


 成績は普通。……の、ちょっと下。

 まだ高二になったばかりなんだから、頑張れば公立も夢じゃない。


 そんな普通な俺が総理大臣?

 あんなもん、幼稚園から有名校に通うようなエリート様がなる職業だろう?

 つーか初対面の人間に振る話題として適切なのか、総理大臣。


「ほな、総理大臣になる気はあらしゃりませんか?」

「ねーよ! てか、なんでそんなに総理にこだわるんだよ!」

「へえ、話せば長いお話になるんどすが……うち、実は玉藻前たまものまえちゅう名前でしてなぁ」


 美女がおっとりと笑った。

 ああ、ほんとに美人だなぁ。

 ……なんてうっかり見惚れてしまった。


 遅れて「玉藻前」という名前が脳みそに入り、我に返る。


「たまも……って、狐の……? しっぽが八本くらいあるやつ?」

「へぇ、正確には九本か二本でおますえ」


 九本か二本で正確ってなんだよ。

 つか、いまさらだけど、この人のしゃべり方、いろいろごちゃごちゃしてねぇ?


「つまり、おねーさんは狐の妖怪ってこと?」

「そこんとこが問題なんどす。うち、本名は藻女みくずめゆうて、ただの田舎女やったんどす。せやけど上皇はんのお手付きになって、やっかみ買いましてなぁ」


 滔々とうとうと語る美女の横で、俺は「ミク」と口内で名前を反芻した。

 脳内では、ネギを持ったツインテール娘が「ミクー」と叫んでいた。


「親元から引き離され、こっそり養女になって、宮を追い払われ、お武士さぶらいさんらに手打ちにされて。あげく化け狐だの、妖怪だの、好き勝手に罪をなすりつけられて。そりゃもう、悔しゅうてなぁ。いろいろ恨めしゅう思うとったら、ほんまにあやかしになってしもうてんねん」

「つまり後付け設定」


 なるほど。

 いやよく分からないけど、なるほど?


「それがどうして総理大臣につながるわけ?」


 肝心なところを促すと、美女……たまも……ミクさんは、慣れた調子でブランコを揺らした。


「後世のおひとにつけられた偶像でも、魂を縛りつけるほど強い想像は拘束力が強うおましてなぁ。ましてや九百年ちこう年月が過ぎとります。玉藻前、妃華陽夫人、褒姒ほうじ妲己だっき……要はうち、一番偉いお人にりつかなあかんようになっちょりますねん」

「なるほど?」


 いやよく分からないけど。


「じゃあ憑りついてきたら?」


 東京の方角を指さしてみた。といってもこんなド田舎じゃ、東京は遠すぎて方角なんて適当だ。

 ミクさんはブランコを止めて、ほうっと色っぽいため息を吐き、困ったように右頬に右手を添えた。


「せやかて今の総理はん、えらい御年おとしでっしゃろ」

「そうだっけ?」


 いまの総理って割と若い方じゃないっけ?

 確かに、オジサンっていうよりお爺ちゃんって年齢ではあるけど……。


「でも上皇さん? も、けっこうなお爺ちゃんだったんじゃないの?」

「上皇はんは初めてお会いしたとき、三十路みそじにならはったばかりでしたえ」


 俺の親父より若いぞ。え、もしかして昔の人って、けっこう若いうちに歴史に残る偉業達成してたりする?

 そういえば坂本龍馬も三十歳くらいで死んだんだっけ。

 そりゃ現代の総理大臣がお爺ちゃんに見えるわけだ。


「でも憑りつかなきゃいけないんだろ? 仕様書ができてるんなら、やるしかなくない?」

「そこがきもなんすぇ」


 ミクさんが頬の横で両手をぱんと重ね、すごく嬉しそうに笑った。

 美人が笑うと破壊力がすごい。俺、うっかりズキュンってなったぞ。


「一番偉いお人ゆうんは、うちが一番偉い、と思おとるお人になるんどす」

「……つまり?」

「お血筋で地位を継承するより、草の根かき分けて頂点てっぺんとりに行くお人が一番、えろうおましやすやろ。うちはそんなお人を探しとるんどす」


 なんだよこの美人、すんげぇ屁理屈こねてワガママ通そうとしてるぞ!

 筋立てて話す口ぶりとかしっかりしてるから、ついつい聞き入ってしまったけどさ!

 そもそも自分から化け狐だって名乗るなんて怪しすぎるだろ、なに信用してるんだよ俺!


 関わっちゃだめだ。こいつ絶対、男を振り回すタイプの女だ!


 急に腰が引けた俺は、腰かけていたブランコから慌てて立ち上がって愛想笑いを浮かべた。


「あー、そうだんだー。うん。じゃあがんばって……」

「そない、つれないこと言わんといて欲しいわぁ」

「ヒッ」


 いまなにが起こった!? ミクさん瞬間移動しなかった!?

 え、なんで俺、ミクさんに背後をとられてんの!?

 あ゛っ……首筋つつーってしないで!


「あんさん、うち好みのかわいいお顔してはりますねん。どや? うちと一緒に、総理、目指さへん?」


 みみみ耳元で色っぽい声でささやくなー!

 息っ、息が……!

 つーか背中にむにゅっとしてもにょっとした柔らかいアレがああああぁぁぁ……。


「ちょっと!」


 テンパる俺と、手慣れた手管で俺を誘惑するミクさんとの間に、雷鳴のような怒りに満ちた声が割り込んできた。


「なによ、なんなのその女!」

「たたた、タマコ! ちが、これは……ヒィッ」


 ギン! と睨まれて体を縮めた。

 怖ぇ! 怖ぇよ、化け狐より怖ぇーよ!!


「人を呼び出しておいて、自分は美人と白昼堂々イチャイチャして、なにこれ、あたしに見せつけたかったわけ!?」

「ちがう、ちがうから! 俺、今日こそお前にちゃんと告白しようと思って!」

「ああ、そう! 美人と付き合うことになったから、幼馴染のバレーバカなんていらないって言うつもりだったのね!」

「ちがうー!」


 やめてくれ、俺の一世一代の大事な場面を邪魔しないでくれ!


「ちょっとミクさん、いいかげん離れて!」


 空気読めよ、この化け狐!

 オレが一生、童貞のままで終わったらどうしてくれるんだ!

 ……とか言ったらミクさんが責任とってくれそうな気が……ってちーがーうー!!


 俺を羽交い絞めにしている細腕をなんとか振り払おうともがくけど、びくともしない。なんだこれ、女性の腕力じゃないぞ。

 マジでかんべんしてくれよぉ。


「なんや、あんさん。こないな芋娘、構わんといて、うちと総理大臣目指しましょや」

「むりです! 俺にはむり! お断り! 総理なんかより俺はタマコのほうが大事なの!」


 よっしゃ、ビシッと言ってやったぞビシッと!


「芋娘ぇ……?」


 ああ、肝心のタマコが聞いてない! ひどい!


「あぁ、そうね……そちらの美人に比べたら、あたしなんてミミズも同然よね……!」


 タマコの肩が怒りでぷるぷる震えてた。

 制服のスカートを破る勢いでぎゅっと握りしめて、学校指定のカバンもプルプルしてる。

 ミミズだってオケラだってみんな生きてるんだぞってフォローなんてしようものなら、富士山が噴火しかねない。


「よぉーく分かったわ! 総理大臣でも大統領でもなんでもなりなさいよ!! ばっかみたい!」

「ちょ、ま、待て、タマコ!」


 火事場の馬鹿力でミクさんを引きはがし、ぷいっと背中を向ける幼馴染を必死で追いかけた。

 ここで取り逃がしたら三日は口をきいてくれなくなる。俺にとっては死刑に等しい。

 文字通り、命を賭けた疾走だったのに、神様は無情だった。

 狐に魅入られた人間なんて、加護を与えるにふさわしくないと見切ったのかもしれない。


 ぐぎっ。


 勢いよく足をひねった。

 転んだ先にタマコがいた。

 気づいたらタマコを押し倒して、ささやかな丘陵地帯に顔面を押し付けていた。


 ……ミクさんとはちがってボリューム少なめだけどさぁ。

 張りがあって、良いにおいがして……。

 これは……たまんなくね?


「……ハッ」


 十秒くらい経って現実にもどってくる。

 目の前には、上半身を起こして、顔を真っ赤にして、さっきの五千倍はお怒りの幼馴染様がいらっしゃった。


「いや、あの、これは……」

「バカ――――――!!」


 バレーのスパイクで鍛え上げられた平手打ちは強烈だった。

 俺は紙切れみたいに吹き飛んで、逃亡するタマコを追いかけることすらできなかった。


 ひでぇ……ひでぇよぉ……。俺がなにをしたってんだよぉ……。二つの大福に埋もれてただけじゃんかよぉ……。


 地面にめり込んだまま、しくしく涙を流す。

 今日は厄日だ。

 朝の占いで「今日は最高にラッキーデー★」って言ってた占い師に責任とって欲しい。


「あんさん、大丈夫どすか? うちの胸でなぐさめちゃろか? ボインやで」

「うっさい! そういうのは好きな男のためにとっとけ!」

「好き……?」


 ミクさんの黒目がぱちくりと開かれる。

 ほんと、こういうところカワイイよな。腹立つくらい。いや腹立ってるわ。

 一世一代の告白を邪魔してくれたこともだけど、さっき顔見知りになったばかりのヤローにぐいぐい女の武器を使っていることもだ。


「ミクさんが狐なら、男はみんな狼なの! ミクさんなんてあっという間に食われるよ!? だから自分で自分を大事にして、ここぞってときに使えよ! 惚れた腫れたってのが一番大事だろ、使いどころ間違えンな!」


 じゃないと俺みたいになるからな、チクショー!!


 叫ぶだけ叫んで、俺は泣きながら猛然とタマコを追いかけた。

 いまならまだ間に合うかもしれない。

 せめて、せめて絶交だけは回避したい……!


「まぁ」


 おいてけぼりにしたミクさんが、ぽっと顔を赤らめていたなんて、俺が知る由もない。


 ちなみにタマコは一週間、口をきいてくれなかった。

 土下座百回で許してくれた彼女には感謝しかない。

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