第37話

 スフェリへ戻って四日が経過をした。

 この数日、人々が口を開けば、同じ話題ばかりが上っている。


「まさか、あのセルディノ家にも大泥棒が入るだなんてねえ」

「スフェリだけではなく、マリボンにも現れるだなんて。セルディノ家の現在の当主は蒐集家でも有名なのでしょう」

「カードが屋敷内に残っていたそうよ。ヴィワース夫人、あなた例の大泥棒の顔は見ていないの?」


 年上のご婦人に話を振られたリリアージェは顔を左右に振った。


「まさか」

「ほほほ。そりゃあそうよねえ。でも、ずいぶんといい男だというじゃない?」

「それはスフェリの芝居での話ですわよ」

「あら、本物も顔はいいかもしれなくってよ」


 ご婦人方は言いたい放題だ。


 マリボン滞在最終日に夫婦の危機に陥ったリリアージェだったが、もっと衝撃的な報せが舞い込んだ。なんと、あの大泥棒がセルディノ家に盗みに入ったというのだ。おそらくは前日の夜に犯行に及んだのだろう、というのが警邏隊の見解だった。街の警邏隊を巻き込んでの大掛かりな捜査が行われたのだが、成果は芳しくない。


 泥棒一匹捕まえられないのか、とセルディノ公爵は大変にご立腹で、現在エルクシードも事件の事後処理に掛かりきりになり、忙しくしているのだという。捜査となれば、街の治安を司る別の担当者がいるのだが、王家の使者として滞在していた最中に起こった事件ということもあり放っておけないのだろう。

 クラウディーネの言によると、エルクシードはマリボンとスフェリを往復する日々だという。


「そういえば、聞いたのだけれど、大泥棒が盗み出すのは、曰く付きのものばかりだとか」


 一人のご夫人が声を潜めた。

 クラウディーネ主催の演奏会の練習のはずが、すっかり雑談に占領されている。演奏会の本番も差し迫っているのだが、もともとこれは王太子妃と貴族のご婦人方の交流の一環ということもあり、そこまで厳しい練習というわけでもない。


 今年宮殿に上がったばかりのリリアージェはヴァイオリンを習っていたこともあり、参加メンバーに選ばれた。大変に名誉なことだ。

 参加者たちは皆、クラウディーネと同じ年頃のまだ若い貴族夫人たちで、和気あいあいとした雰囲気だ。


「さあ、皆さん。おしゃべりはそのくらいで、そろそろ練習を再開しませんこと?」


 クラウディーネが声を出すと、ご婦人方の口がぴたりと閉ざされた。

 それから全員でもう一度通しで練習を行った。

 演奏会で披露する曲はそこまで難しいものでもない。ただし、簡単すぎるのもよくはないので、中級くらいの難易度の曲。


 本日の練習を終え、各自楽器を拭いたり、しまっているとクラウディーネが部屋の中央に踊り出る。


「今年の演奏会にわたくし、素敵なゲストをお招きしたのよ」


 自分だけが知る秘密を言いたくてうずうずするような声を出した王太子妃に、全員が一斉に注目をした。


「まあ。どなたですの、妃殿下」

「数日後には分かるわ」

「まあ、もったいぶらないで早く教えてくださいな、クラウディーネ様」


 婦人たちが次々に強請ったが、クラウディーネは頑として口を割らず、最後まで「当日のお楽しみよ」とだけ言いながら微笑んだ。

 婦人たちを見送ったリリアージェが戻ると、クラウディーネがこちらへと寄ってきた。


「あなたもお疲れ様」

 顔を覗き込まれ、瞳の奥の色までじっと見定めるような視線に晒される。

「クラウディーネ様?」

「無理に聞き出そうとは思わないけれど……、一人で何もかも抱え込んではだめよ」


 クラウディーネは幼子を諭すような声で囁いた。こちらを見据える瞳は慈愛に満ちている。


「あの……」

「あなた、ここのところ元気がないでしょう?」

「そんなこと」


 ない、と言おうとしたのに、クラウディーネの表情に制される。


 私情を出すまいと、きちんと公私を分けていたつもりだったのだが、どうやらクラウディーネには見透かされていたらしい。感情の制御とは、自分が考えている以上に難しい。


 激流に身を任せてエルクシードに大嫌いだと言ってしまった。日を追うごとに後悔に胸が支配されていく。


「リリアージェ」


 優しく名前を呼ばれると、もう駄目だった。誰かに聞いてほしくてたまらなくなる。

 くしゃりと顔を歪めると、クラウディーネが人払いをした。肩を抱かれ、優しく次の間へと誘導された。

 椅子に座り、リリアージェはぽつぽつと、事情を話した。十六歳の頃に聞いてしまったエルクシードの本心。


 そして、マリボン最終日に彼に向かって大嫌いと言ってしまったこと。


「わたくし……本当は、エルクシード様のこと……嫌いではないのです。本当は、まだ……」

「好きなのでしょう?」


 言い当てられてしまい、リリアージェは動揺する。目線だけで問うと、クラウディーネは苦笑した。


「わかるわよ。少しあなたを見ていたら、ちゃんと分かったわ。あなたは、まだエルクシードのことが大好きなのでしょう?」

「わたくし……」


「本心ではないけれど、つい言ってしまったのね。悲しくて、悲しくて、あなたの本心を、心の叫びを聞いてほしかったのでしょう?」


「大嫌いって言うつもりは無かったのです。わたくし、くまのぬいぐるみだって嬉しかったんです。初めて贈りものをもらって、とても嬉しくて。だから……手紙を書いたんです。嬉しかったですって。それで、来年はこの子のお友達をくださいって。エルクシード様は、それを守ってくださっているだけなのです」


 毎年くまのぬいぐるみをくれるのだって、ちゃんと理由があった。

 彼はリリアージェの手紙の内容をずっと覚えてくれていた。何か別のものが欲しくなったのなら、伝えればよかったのだ。今年は、手巾が欲しい。大人になったのだから、何か身に付けるものが欲しいと。


 無邪気に強請ればよかったのに、もしかしたら彼が自分のために選んでくれるかもしれないと勝手に期待をしたのはリリアージェの方。


「エルクシードは優しいのね。でも、いつまでもくまのぬいぐるみは、ちょっと気が利かないと思うけれど?」

「エルクシード様は真面目なのです。わたくし、そういうところだって好きですのに……素直になれなくて」

「わかるわ。わたくしもいつもニコライとは喧嘩ばかりだもの。国のお母様にも言われたのよね。あなたは気が強すぎるから一歩引けって」


 クラウディーネが小さな声で付け足した。


「本当は……別れたく……なんて……ないのです」


 クラウディーネがそっとリリアージェの肩を抱いた。よしよし、と優しく手のひらが肩を撫でていく。


 誰にも話したことのなかった本音を、リリアージェはようやく口にした。ずっと、ひた隠しにしてきたリリアージェの気持ち。

 エルクシードのことが好き。彼が自分のことを何とも思っていなくても、リリアージェは彼に想いを寄せている。


「やっと、言えたわね」

 きっとクラウディーネにはとっくに知られていた。


「でも……もうおしまいですわ。わたくし、今度こそ嫌われて……」

「まだ、彼とは何も話し合っていないのでしょう? 大泥棒騒ぎで忙しくしているだけだから、それが片付けばゆっくり話も出来るはずよ」


 優しい声色に悲しみの色に染まった心が落ち着きを取り戻す。

 自分の本音を誰かに話したのは初めてだった。


「それにしても、空気の読めない泥棒ね。なにもこんな時にセルディノ家に泥棒に入らなくてもいいのに。そう思わなくって?」

「はい」


 ぽんぽんと、肩を優しく叩かれると、いつの日かエルクシードに頭を撫でられたことを思い出した。

 いつまでもしょんぼりしていてはだめだ。リリアージェはクラウディーネの話し相手なのだから。


「わたくし、もう大丈夫ですわ。ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」

「あなたはわたくしにとって妹のようなものだから、もっと心配かけてくれていいのよ?」


 クラウディーネがころころと笑った。


「いえ。それはだめです。わたくし、立派な淑女になるのです」


 まだちょっと照れくさいけれど、リリアージェはクラウディーネの調子に合わせて澄ました声を作った。クラウディーネがその瞳を覗き込む。青い瞳は、ほんの少しだけ潤んでいるけれど、心の中はすっきりしていた。


「大丈夫。喧嘩をしたのなら、仲直りをすればいいのだから。ちゃんと、自分の気持ちを伝えなさい」

「はい」


 リリアージェはゆっくりと頷いた。

 彼を傷つけたのなら、ちゃんと謝りたい。それから、もう一度改めて話し合いをする。自分の気持ちを隠して離婚を押し進めようとするから、齟齬が生まれた。

 だから、今度こそ間違えない。嫌いだと言った言葉を訂正して、それから。


(わたくしの気持ちだけでは……夫婦関係を続けることはできないもの)


 クラウディーネに向けた笑顔の裏で、リリアージェは今度こそ決意を固めた。好きだと伝えたあとは、きちんと彼にお別れをする。最後までみっともなく縋りたくはない。


(エルクシード様には重荷になってしまうかもしれないけれど……最後にきちんとわたくしの気持ちだけは伝えさせてもらおう。そのあとは、ちゃんと、あなたの妹になるから)


 リリアージェは密かに決意を固めた。

 自分のするべきことを見定めたリリアージェはしんみりした空気を変えようと思った。


「そういえば、演奏会の素敵なゲストとは一体どなたなのです?」

「それはまだ言えないわね」


 リリアージェの気持ちを汲んだのか、クラウディーネはもったいぶった口調を作った。


「そこをなんとかお願いしますわ」

「リリアージェでもだめよ。内緒」


 二人は笑い合う。自分のことを気遣ってくれる人がいる。それはとても素敵で、心強いことだ。

 お姉様と話をするというのは、こういう感覚なのかもしれない。そんな風に考えていると、いささか乱暴に扉が開いた。

 入ってきたのはガルソン夫人だ。


「妃殿下」

「どうしたの、ガルソン夫人」


 常に落ち着き払っている彼女にしては様子がおかしかった。妙に顔が強張っている。

 付き合いの長いクラウディーネはいち早く彼女の様相に気が付き、美しい顔に憂いを作った。

 二人の目の前にやってきたガルソン夫人は小さく礼をしてから、口を開いた。

 話を聞いたリリアージェは瞠目し、立ち上がり、駆け出した。


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おまたせしました!! 10月7日よりコミカライズが連載開始です。

BookLiveさまにて1~3話先行配信

11月より各電子書籍サイトさまにて通常配信(こちらも1~3話一気です)


天使なリリアージェちゃん本気で可愛いので、よろしくお願いいたします。

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